第二章【キィ】

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 今度こそ、おばさんに見つかったら大変なことになると思ったぼくらは、彼女をとりあえず押し入れのひみつ基地に押し込んだ。  さわると、人間よりずっともろい、やわらかすぎる杏仁豆腐みたいな感触がかえってきて、ぼくらはそのことにもおろおろしたんだけれど、とりあえずぼくらのしたいことは察してくれたのか、彼女は何も言わずに押し入れのひみつ基地にはいってくれた。  でもさすがに、全員が入れるわけがなくて、彼女を押し入れに、ぼくとこーすけでふすまが開けられても一瞬は大丈夫なように壁をつくって、久野とたけるはぼくらの向かいに座って、まるで半円を描くみたいに押入れを取り囲んで座った。  彼女は、真っ白い瞳をじっと静かにぼくらにむけたまま、まばたきもしなければ呼吸すらしているのかどうか不安なほど、何も言わず、座っている。  ふすまの向こう、おばさんが来ないことを確認して、ぼくはこーすけと顔を見合わせた。頷く。 「ええと……とりあえず、ありがとう。あの海賊たちおっぱらってくれたんは、あんたやねんな?」  こーすけの言葉に、彼女は何も答えない。 「……日本語、通じないんじゃない?」  久野の一言に、ぼくらはうっと固まった。その可能性は、ある。 「じゃあ、どうすればいいんだよ。英語?」 「アキオでも呼んでくるか?」  クラスで一番英語が上手いアキオの名前を出されて、ぼくははぁと息をついた。 「いまから? アキオにまた説明するの? いちから?」 「……ごめん。オレもちょっと考えていやになったわ」  自分で提案しておいてげんなりしたこーすけの頭を軽く叩いて、ぼくは頭をかいた。 「どーすればいいんだよ、これ。いつまでもここにいれるわけじゃないし」  海賊たちはどっかにいって、とりあえず身の危険とかそう言ったものとは(一時的に、かもしれないけど)おさらばできて良かったけど。けど……で、どうすりゃいいんだ? さっきちらっと時計をみたら、五時近くだった。たけるとぼくの門限は六時だから、ちょっとやばいし。  ぼくと久野とこーすけは、顔を見合わせてうーんとうなった。そもそも、英語だって通じるかどうか、あやしい。どっかの猫型ロボットの持ってる、それ食べたら誰とでも話せる道具とかあったら別だけど。そんなもんあるわけないし。……さて、どうしよう。 「ねぇ、おねえちゃんは、どうしていきなりでてきたの? 名前は何なの?」  だけど、ぼくらより事情を飲み込めていないらしいたけるは、おとくいの「なの?」をはじめてる。彼女は白い視線を、たけるにあわせた。たけるは、全く動じることもなく、次から次へと「なの?」を問い掛けている。  ぼくらがハラハラしながら見ていると、彼女はふいに鍵を押入れの床において、両手を空にした。  その両手を、何も言わずにたけるに向かって差し出した。一瞬ぽかんとしたたけるは、自分の小さなどろと汗まみれの手を、彼女の手に重ねた。  たけるの目が、吸い込まれるように彼女をみすえている。 「たける?」  ぼくの呼びかけに、たけるはまばたきを二度、三度。それから、小さく呟いた。 「わかるの?」 〝うん〟  聞こえた声は、こーすけのものでも、久野のものでも、もちろんぼくのものでもおばさんのものでもなかった。秋の教室みたいな、静かな声。女の人のものだ。  その声の主が彼女だと、ぼくらは一瞬で理解した。 「……しゃべれるのね!?」  小声で、だけどするどく久野が言った。心臓が、トクトクと汗を呼ぶように速くなる。  もう一度、その静かな声で、彼女は頷いた。 〝うん〟  ぼくとこーすけは顔を見合わせて、思わずお互いでガッツポーズをした。こーすけが身を乗り出し、口を開きかける。と、久野が手のひらでぼくらを止めた。  冷たい目が「いいから黙ってなさい」と言っているみたいで、ぼくとこーすけはむすっとする。  たけるの手から自分の手をはなし、だけど相変わらずの無表情で彼女はこっちを向いている。 「どうして今までしゃべらなかったの?」 〝あなたたちの使用している言語情報が、データベースに存在していなかったから〟  久野の問いかけに、彼女が答える。ぼくとこーすけ、たけるの三人は、一瞬目がテンになった。げんごじょーほーがデータベース。  ……いや、なんとなく、判るのは判るけど。いいや。質問は久野に任せておこう。 「じゃあどうして、いきなりしゃべったの?」 〝この知的生命種……『たける』の思考データを読み取って、認識、分解して言語情報をくみ上げることが出来たから〟  ……たぶんよーするに、たけるに触ったから、判るようになった、ってことだ。たぶん。 「じゃあ、あたしたちの言葉は判るのね? いくつか質問してもいい?」 〝わたしが答えられる範囲ならかまわない〟  相変わらず無表情で、淡々と彼女が答える。久野は頷いて、ぼくとこーすけを見た。 「何から、聞く?」 「……お名前とLINE交換を! オレと愛あふれたおデートを!」  バカなことを騒ぎ出したこーすけの頭を引っつかむ。そのまま力をこめるとこーすけが悲鳴を上げた。 「イダダダ、い、いだいでふ、ひろとふ……あた、あたまがあっ! いやーっ!」 「バカなことしか言えないんだったら、黙れ?」  久野は相手にするのも疲れた、というような無表情で、こーすけを無視した。 「次。片瀬」 「いきなりふるわけ!?」 「何よ、文句あるの?」  冷たい視線のまま、久野が言ってくる。チクショウ、やなやつめ。  ええと、なにを聞けばいい? とりあえずあなたは何――はいくらなんでも抽象的すぎる? 「じゃあ――あなたと、その鍵の関連について教えてください」  ぼくの言葉に、彼女は一瞬考えるそぶりをみせた。 〝今現在、あなたたちが相対しているわたしと鍵は、本来同一のものと言って良い関係だ。ただしこの姿は外部投射映像にすぎない〟 『…………』  ぼくらは一気に沈黙した。  判るか。判るかこんなもん。たけるから言語情報とやらを組み上げたんだったら、もう少し判りやすい日本語でしゃべって欲しい。だからって、たけると全く同じ調子でしゃべられても、それはそれでいやだけど…… 「つまり……」  久野がこめかみをぐりぐりさせながら、低く言葉を続けた。 「この鍵は、イコールあなた自身。だけど、今あたしたちが見ているあなたは、映像であって、あなた自身じゃない。そういうこと?」 〝うん〟 『おおー……』  ぼくとこーすけとたけるは、久野の読解力に思わず拍手をした。久野はこんなのあたりまえでしょってな顔で、つんと鼻を上げた。 「なら、本来のあなた自身はどこにいるの?」  彼女はまた少し、沈黙した。何か考えるような時間を置いて、 〝『わたし』自身はわたしだが――わたし、また鍵と同一のものなら、たけるの記憶、言語情報とあわせて調べると、あなたたちの言うところの『キリン公園』という場所付近にいる〟
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