私たちは恋をしない ―笹野夏菜子―

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 高校に入ってすぐ、お父さんはPTA会長になった。お父さんは何かとそういう役をやる。断れないだの自営業だから仕方がないだのと言っているけれど、単純に頼られるのが好きなんだと私は知っている。きっと家では誰も頼りにしていないからなんだろう。  森緒君のお母さんが副会長だと知ったのは、二年生になってからだ。お父さんが置きっぱなしにしていた、PTA会報を何の気なしにペラペラと捲ってみたら、副会長の欄に森緒という苗字の人の顔が載っていた。森緒君にとても良く似た綺麗な女の人だった。  森緒君とは、一年のクラスが一緒だった。彼はいつも本を読んでいて、授業中にまで読んでいるから、先生に叱られることもあった。けれど、常に成績はトップクラスで、教科書を一通り読むと、大概のことは理解できてしまうんだと、他の男子に自分で言っているのを聞いたことがある。そういうことを言っても、嫌味に聞こえないのが森緒君なのだ。  森緒君は人気の運動部所属でもないし、派手な男子集団に属しているわけでもなかったけれど、ひっそりと人気があった。単純に森緒君が綺麗な顔をしていることや、落ち着いた雰囲気とか、優しそうな喋り方なんかが関係しているのかもしれない。  彼が本のページを捲っていると、とても様になる。例え中身が、グロテスクな死体が次々と現れるミステリや、世界の歴史的な殺人鬼に関する本だったとしても。  もちろん、森緒君がいつも何の本を読んでいるかなんて、誰も気にはしていない。私も偶然知るまでは、きっと純文学でも読んでいるんだろうと思っていた。彼は普段、そんな雰囲気を醸し出しているのだ。  けれど、私は好青年だから森緒君を好きになったわけではない。どちらかというと、好青年になんてあまり興味はないほうだと思う。  私が森緒君のことを観察するようになったきっかけは、偶然見てしまった彼の顔だった。  ある日、前日夜に終わらなかった宿題をやろうと、早朝の教室に私は足を運んだ。室内に入ろうとすると、森緒君が朝から熱心に本を読んでいた。  本を読みながら、彼はとても悪い顔をしていた。人の不幸をひっそりと喜んでいるような、そんな顔だった。  彼は私が部屋に入ってきたことに気づき、いつもの好青年の顔に戻って、「おはよう」と爽やかに挨拶した。けれど、私は森緒君の内に潜む影を、確かに見た気がしたのだ。  それからというもの、私はよく森緒君を観察するようになった。
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