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楓さんに背を向け、狭い玄関を出ると、蝉がうるさいくらいに鳴いていた。
まだ気温はそこまで高く感じないけれど、陽射しは既に眩しい。
僕はスマートフォンを開き、時間を確認する。
まだ朝か……。ここに来ると、いつも時間感覚が狂うな。
楓さんがカーテンを開けないでと言ったわけではないけど、なんとなく開けてはいけないような気がしてしまう。
別に悪いことをしているというわけでもないのに、背徳感のようなものを感じてしまうのは、楓さんとの関係を周囲に秘密にしているからなのかもしれない。
楓さんとは父も親しいし、LazyBirdに来ればにこやかに喋っている。だけど、それは彼女が店員だからだ。
常識を重んじるうちの親が、僕と楓さんの関係を知ったら、絶対にいい顔はしない。楓さんもそれがわかっているから、LazyBirdで僕と親しい素振りは一切見せないんだと思う。
それにしても、楓さんの反応は思った通りだったな。
本気になられたら困ると顔に書いてあった。分かっているんだ、そんなことは。だからショックなんて受けないつもりだった。
そのはずなのに、僕の足取りは重い。
花名にフラれたからって、楓さんを本気で好きになろうとするなんて、楓さんに対して失礼だし(お互い様な部分もあるけど)、何よりまた実らない恋をするのは自分でも馬鹿げていると思う。
楓さんの言う通り、花名のことを諦めたのなら、もう僕らの関係はなりたたない。だけど、気持ちってそんなに単純なものなんだろうか。
こんなことをごちゃごちゃ考えている時点で、僕は既に楓さんのことが好きなんだろうな。彼女に好きだと、言わせたくなるくらいには。
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