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これってどう考えても僕が泣かせたわけじゃないよな。普段、凹んだ顔を滅多に見せることがない楓さんにこんな表情をさせる人なんて、マスター以外思いつかない。
「マスターと何かあった?」
喉から出た自分の声がやけに平坦に聞こえた。
楓さんの頬がピクリと引き攣るように動いたのが目に入り、目の前にいるのに彼女の心の中に僕はいないんだなと改めて思い知らされる。自分の存在がちっぽけで虚しいものに思えてきて、僕は虚しさを唇を噛んでやり過ごした。
よく自信家だよねと言われる。ボストンにいた時でさえそうだった。たしかに僕は、比較的順風満帆な人生を送ってきた。家族にも環境にも恵まれていたと思うけど、僕自身も努力はしてきたつもりだから、それなりに自信だってある。
だけど、恋愛に関しては自信も何もあったものじゃない。僕はどうしようもない恋ばかりしている。
マスターを好きなままでいいと言ったのは僕だし、本気にならないという約束を守っていないのも僕だけど、胸が押しつぶされそうな気持ちになった。
「マスターと何かあったわけじゃないけど」
「じゃあ、マスターに何かあったんだ」
「絵莉さんって知ってる? 近くにあるカフェのオーナーだった人」
楓さんは暗い表情のまま、下を向きながら話し出した。靴を脱ぐ素振りすら見せないところをみると、本当にこのまま帰って欲しいんだろうな。
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