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そんなはずないと胸のざわめきを沈めながら、僕は声のした方へ顔を向ける。
奥の方の席に別の女性と一緒に座っていたのは、紛れもなく花名だった。
塞がったと思っていた傷口の中身がどろりと零れ落ちてくるみたいに、僕の心はかき乱されてしまう。
もう会いたくなかったのに、どうして今更。
花名がもしまだ先生と会えていなかったら? 上手くいかずに別れていたら? ――頭の中で次々と小さな期待が膨らんでいく。
忘れると決めたはずだったのに、何も忘れられていなかった自分の心の中が晒され、堪らなく不安になる。
アキさんも、マスターに会うたびにこうやって少しも消えてくれない自分の気持ちを確認していたんだろうか。
僕自身、こんな一瞬で引き戻されてしまったんだから、どんなに待ったってアキさんの気持ちが変わるわけがなかったんだ。僕はいったい何を期待していたんだろう。
僕に会いながらもアキさんがずっとマスターのことを考えていたと思ったら、どうしようもなく苦しい気持ちになった。
気にしないと言って無理に関係を進めたがったのは僕なんだ。アキさんは悪くないのに、裏切られたような気持ちになってしまうのは、僕自身が今、アキさんの気持ちを裏切っているからなんだろう。
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