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『旧市街』と呼ばれる一角がある。
空中都市の辺縁部に位置する、緑の多い、長く帯状に広がった市街地である。ここは都市建設の初期に造られたエリアで、建築物の年代としては、今から二百年以上も遡るという。古くはここに伯爵の居城があり、廷臣の邸宅などが多かったようだ。ただ、今から百年ほど前に、『新政庁』と呼ばれる大建築が街の中央部の高層部分に増設され、以来、都市の政治機能の主たるものは、そちらにすべて移動した。
静かだ、とても。
リーエヒルデとザークは、わずかにザークが前を歩き先導するような形で、この旧市街の路地の奥を、さきほどから無言で歩いている。すれ違う人間はまばらで、その多くは年寄りたち。聞けば、ここ二十年来、年金暮らしの老人たちが、この地の静けさを好んで住み着くことが多いという。そのこともあってか、地区全体が、今はどこか、エネルギーに乏しい。なにか全体に眠っているような街区である。
路地の幅はやや狭く、路面を覆う石畳も古めかしい。ところどころめくれあがった舗装は、補修もされず、そのまま放置されている。古い路地に沿って、石壁や垣根に囲まれた多くの邸宅があり、その多くは無人のようだ。壁面の大部分が深い蔦に覆われた屋敷が、あちこち目につく。手入れのされなくなった庭園の樹木は、自由奔放に大きく茂り、一部は通りの上にまで大きな枝を張りだしている。
「どこまで歩くのですか?」
リーエヒルデが、後ろからきいた。
ザークは少し面倒そうにふりかえり、もうすぐだ、と簡単に答えた。
このやりとりは、すでにここまで四回、繰り返された。
ザークは路地を左に折れ、ふたり並んで歩くには幅の狭い、垣根と垣根に挟まれた抜け道のようなところを、とくに急ぎもせず、一定の速度で進んでゆく。二人の侵入に驚いた小鳥たちが、群れになって飛び立ち、どこかの空へと消えてゆく。鳥たちの羽音が消えると、あとにはもう、何の音も聞こえない。太陽が斜めに降りこみ、緑の路地を、どこか眠たげな光で包んでいる。
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