白銀のツバメは、ただ北を指して飛ぶ

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2  『星夜祭(せいやさい)』と呼ばれるその祭りは、聖白六月の終わりに開かれる。  流星を見るのがもともとの趣旨だったはずだが、今ではそこに、余分な祈りの祭典や、何かの儀式が加わり、何やら少し繁雑なものになっている。また、広場に出て空を眺める人の出を期待して、露店の類も多く出る。ざわざわしたものがあまり好きではないザークにとっては、それほど好ましい祭りとは思えない。が、実際そこにあるものは仕方がない。避けられない以上、過剰にそれを嫌っても仕方がないだろう、と。その程度には考えていた。じっさい世の中には、これよりはるかにくだらない、無意味な儀式や祭典はいくらでもあるからだ。  地上の多くの街々に比べて宗教心に乏しいこの空中都市においては――  とくに市の当局が主催する式典のようなものはない。が、さまざまな出自を持つ地上民が集うこの都市においても、やはり星夜祭は、市民レベルで、それなりの規模で祝われた。今年もまた、例年通り、日没以降の全市街地において開催されるという。    飛空艇乗りの仲間からの誘いを断りきれず、ザークは高台にある中央広場まで、数人で繰り出した。時刻は二十二時を過ぎている。星の祭りに合わせて、市街の明かりは最小限にまで落とされていた。古く暗い石畳の路地から人々が溢れ出し、この中央広場や、そのほか主な市街の広場へと集まりつつあった。  目的はひとつ、星を見ること。  毎年この日、この夜には、天頂付近から地平に向かって、数千単位の星が流れる。流星群、と呼ばれるものだ。ザークにとってもそれはすでに見慣れたもので、特別な何かの期待をもって今夜ここまで出てきたわけではない。が、好きか嫌いかで訊かれれば、ザークは天上の星の祭典を眺めることそれ自体は、それほど嫌いではなかった。美しいと。いつも素直に思った。それはどこか、垢にまみれた地上の重さを超越し、とても高く気高い何かを、心にいつも伝えてくれる。こっそり少しだけ、そう思っていた。とても、ではなく、少し、ではあったが。  だが、それを見るまでの待ち時間、この都市の広場での喧噪は、正直あまり好ましいとは思えない。特に今回は、仲間の人数が多い。あまり名前をよく知らない、所属も不確かな飛空艇乗りもいる。おおかたの者は、ここに来るまでに路上の露店で酒の類を飲み連ね、もうすでに出来上がっている。あまり品の良いとは言えない言葉で、「そうだったろう?」「ちげえねえ」「だがちょっと待てよ、」などと、過去の飛行に関するなにかの些細な話で盛り上がっている。横にいるギルダという若い男が、しきりにさっきからザークに話をふって同意を求めてくるのだが、ザークはあまり聴きもせず、「そうだったかな」「いや、たぶん」などと、気のない返事を返していた。できればあまり、話しかけても欲しくはなかったのだが。  そして今夜は、どういう気まぐれか――  その娘も、そこの人数の中に含まれていた。その、二週間来の相棒であり、魔法砲手、流れる銀色の髪を持つリーエヒルデが。    その前の二週、二人で飛んだ。ザークとリーエヒルデは。二人の初戦の到達距離は、それは目覚ましいもので―― その時点での最長距離記録を、軽く60コルンも超えた。翌週には、さらにそれを27コルン更新。二人は目下の記録保持者である。ザークにとって予想外だったことには―― 娘は砲手である以前に、すぐれた魔法飛行士としての資質があった。魔力による飛行のサポート。ことのほかそれが、優秀だ。機体がとにかく軽い。燃料の消費が信じがたいほど遅い。自然、距離が稼げる。ザーク自身、新たに自分が打ちたてた飛行記録に自分でも驚いていた。あの、未踏の地点のその先の空域で発生した、竜たちとの遭遇、そこでの不可避な防戦がなければ。距離自体はもっとずっと先まで行けたろう、とザークは思う。あと100、あるいは200。もっともっと深く。もっとずっと先まで。それはひとつの確信として――   「ずいぶん大勢で見るのですね?」  広場の人混みを眺めながら、娘が言った。それはとくに感心している風でもなかったが、かといって特に、それを忌むわけでもなく。とても中立的な感想だった。ザークは、そうだな、と答えた意外、特にはそれに意見しなかった。娘の放つ銀色がかった白さは、二十三時に近いこの夜の暗さの中では、くっきりと光そのもののように浮き上がって見える。行きかう街の者たちが、ハッと足を止めて娘を見つめるのだが、リーエヒルデの方では、人々のそういった反応に慣れているのか、あまり気にもとめないようだ。あるいはそもそも、相手の反応に気づいていないのか―― 「しかし、美人だよなあ、彼女」と、隣の飛空士仲間がつぶやいた。「まったくだな。ふだん何喰って生きたら、あんな美人が生まれるんだ?」発泡酒の類を満たしたグラスを傾けながら、髭の濃い男が、それなりに大きな音量で同意した。ザークは名前は忘れたが、たしかそいつは、飛行の技術はそこそこで、しらふで乗せて飛ばせると、なかなか良い飛行をする。が、地上で会うと、あまり尊敬はできなかった。いつも酒ばかり飲んでいる。できれば空で会いたい男だ。 「あれだよな。ぜったいあれは、まちがってもウンコなんてしませんって顔してるな」そう言ってそいつは大声で笑った。手元が怪しく、酒が少し、グラスからこぼれて石畳に落ちた。 「バ、バカ野郎。おまえ、あまり品のないことを、彼女の前で――」  ザークは止めようとしたが、言葉はもう、リーエヒルデの耳にも届いた。彼女は一瞬、きょとんとした顔をして、それから真顔で言った。 「ウンコは、ええ、しませんね。わたくしは――」  ザークは飲みかけていた果実の発酵水を思わず吹いてしまった。 「え?? しないって? マジでか?」 「それ、冗談?」  男らがざわついた。しかし娘は表情を変えず、また、なぜ男たちがそんなにこの話に喰いついてくるのかが、むしろわからない、という表情をした。基本、感情の温度があまり高くない。表情の変化が、やや乏しい。 「体のつくりが、少し、違っていますから。わたくしたちの郷の出身者は。まず、あまり物を食べないですし。食事はときどき、少しだけ。ですから排泄は――」 「おい! こら! 人が気持ちよく飲んでるときに、排泄とか言うな! 空気よめ!」  ザークが娘をさえぎった。 「話してはいけない話題、でしたか?」  娘が少し不思議そうにザークの顔を見た。バカらしいので、ザークはそれ以上の説明はしない。が、そのとき流れる人波がふたりとその他の者たちの間を分断し――  押し流される形で、二人は、明かりを落とした広場の別の場所まで、流されて行った。ずっと後方で、飛空士仲間が何かを叫んでいたが―― その彼らとしても、この人の波を割ってこちらに来ることができるわけでもない。二人はやがて、広場の人波の中、孤立―― というのも変だが。とにかく、数千単位の人の波の中で、二人だけになった。そしてそのとき星が降った。  最初の星は、長い白の軌跡を描き、南西方向の地平へと消えた。そのあとは星の嵐だ。あるいは星の風と言っても良い。とにかくおびただしい数の星たちが、天頂に現われ、そして地平へと散って行った。  娘が空を見た。男も空を見た。流れる星に、色はなかった。すべてが白かった。だが、その白は美しいと男は思った。その、何もなさが良い。なにもおしつけない、無垢なその色が。地上の何よりも、それは確かで、真実であるように思えた。空にはやはり、何かあるなと。男は少し、柄にもなく厳粛なことを考えた。空、というか。あるいは宇宙――
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