白銀のツバメは、ただ北を指して飛ぶ

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「おい、あれは何だ?」  そのざわめきが、広場を埋める人々の中から起こった。小さなさざめくその声は、たちまち伝播し――  ザークもそちらに、目をむけた。東の方向の低い地平に、巨大な赤の彗星―― あるいは遊星の類か。  近い、と。  ザークも思った。はっきりとそれは、大きく、どこかいびつで―― 天頂から散り落ちる白い星々とは対極の、あまり良い印象でない、不穏な何かがそこにある気がした。  が、しかし、あくまでそれは、それだけのこと。その赤の遊星は、人々が見なれた『豊饒の月ユルド』の、すぐそばの位置にとどまり、それ以上動くこともなければ、何かのきらめきを新たに放つこともない。街の人波はすぐに、その赤い星のことを忘れた。  が、  そこに立つ銀の髪の娘は、それをけして忘れてはいない。むしろそれを、ひとり、凝視した。長く見つめていた。他の者がすべて、意識からその赤を消し、ふたたび降りやまぬ白の星のきらびやかなショーに目を戻した、その時になっても。  エルグ、と。  その形の良い唇が言葉をつぶやいた。だがそれは小さ過ぎて、すぐそばで空を仰ぐザークの耳にも届かなかった。だが、そのエルグという言葉は、やがてこの惑星人類のすべてが、嫌でも知ることとなる。しかしそれは、あくまで後日の話であった。      その夜、それを――   街の最も高い場所に位置する城壁の上から、ひとり、見すえる者がいる。  燃え立つ赤の長髪を夜風に流し、 「その者」もやはり、赤の遊星に向かい、同じ言葉をつぶやいたのだ。  エルグ。  来たか。ついに。この時が――      そしてその同じ星夜祭の夜に、ひとつの発表があった。  発表は、辺境伯からの臨時の公式令という形をとって、最初は市庁舎の公布人たちの口から、そこから人々の口伝いに―― やがては空中都市の全住民の耳に、翌朝までには伝わることになる。その内容は簡明なものだった。簡明だが、その衝撃は大きかった。    明日以降、  当市が主催する飛行競技ワイアット・ヒートは、  無期限に中止とする。  以上。    
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