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第十二夜 狭間正二
ああ、来られていたのですね。気付きもせずに申し訳ない。来し方行く末に思いを馳せておりました。長い長い時を経て、なにを得てなにを失ったのか。
千年の時も過ぎてしまえば、ひとへに邯鄲の夢の如し。千年想い続けるも、千年呪い続けるも、同じ物の裏と表に過ぎぬのでしょう。
そう思えば、わずか百夜、わずか十七年と言えるかも知れませんね。さて、繕いものはあらかた片付きました。次には形を整えながら、また行く末の話を聞いてみますか。名坂警部補を追い抜いて、警部にまで昇任されるようですよ。狭間正二殿の話です。
……やれやれ、いつまで経っても人使いの荒い人たちだ。千里さんも名坂さんも、一介の巡査から警部にまで昇任しても扱いが変わらないのだから嫌になる。
千里さんと来たら、せっかくの非番に、詳しいことも言わず、手伝いに来いだからな。それを聞いて名坂さんは、ついでだから鬼の娘の様子を見てきてくれときた。
小間使いじゃないんだから勘弁してくれ。
自己主張しない僕も悪いんだけどさ。どれだけ階級が上がっても、名坂さんにだけは頭があがらないしなぁ。
せめて少しは観光していこうと立ち寄った赤福本店でも痴話喧嘩に巻き込まれるし。高校生くらいか、男女で水と茶のかけ合いだ。近くに座っていたから、巻き添えで熱いお茶をかけられて参った。ワイシャツに染みがつかないといいけど。よっぽど、説教するなりなんなりしてやろうと思ったんだがなぁ。
こんなことは名坂さんには口が裂けても言えないが、白いセーラー服の少女の鋭い目が怖くて、思わず避けて出てきてしまった。僕には女難の相が出てるのかもしれない。そんなのは千里さんだけで十分だ。
隠れ地の学び舎へ入るのに千里さんの口添えが必要なんだけど、こちらの足元を見て土産物屋を手伝えなんてさ。妖がらみの事件の手伝いでもなく、ただのバイト代わりなんだから。公務員はバイトできないって言ってるのに。じゃあバイト代なしで手伝えなんて、どっちが鬼だかわかりゃしない。
なんとか学び舎へは入れてもらえたけど、もうくたくただ。さっさとその娘さんの様子をみて帰るとしよう。
案内してくれる御船校長に赤福でのことを話すと、そりゃ、うちの孫娘ですなと返ってきた。跳ねっ返りのおてんばで困っとりますと笑っていたが、そんな暢気なものでもない。
着きましたよ、と案内されたのは赤錆びた鉄の扉だった。あたりは静かだが、妙に張りつめたような雰囲気がある。扉には白い半紙に力強い筆致で、
勝手に開けるべからず〈校長〉
と記されていた。
あまり興奮させないように願いますよ、と前置きされて開かれた扉の向こうでは、殺風景な部屋の片隅に、姉妹にしては似ていないが、高校生と小学生くらいの少女が座っていた。
コンクリート打ちっぱなしの部屋は窓もなく、留置場よりも寒々として、鎮守の森に囲まれた学び舎の座敷牢じみている。廊下に並ぶ窓の向こうからセミの声が遠く、ひんやりした空気が這い出してくるかのようだった。
ごくりと唾を飲み込んで足を前に出せずにいると、幼くもしっかりとした声が聞こえた。小学生くらいの少女が、すっと立って御船校長に頭を下げ、僕の方を見た。
先生、こちらの方は?
そう問われて御船校長が僕のことを紹介している間に、職業病なのか、二人の少女の関係を考えてしまう。小学生くらいの少女は櫛を手にしており、つい先ほどまで、高校生くらいの少女の長い黒髪を梳かしていたらしい。無造作に胡座をかいているその年上の少女の白い足が目に眩しい。飾り気のない作務衣のような服を着て、眠るように目を瞑っている。
これが鬼の娘なのだという。
いまは天児と呼ばれているらしい。その髪を梳いていたのは立花久美という少女で、来年中等部に上がるそうだ。姉妹ではないというが、どこか家族的な雰囲気がある。その立花久美に促されて、天児の方へ一歩近付いた。女性というには早く、少女というには大人びて、やはり高校生くらいだろうか。
首をうなだれている様子からは生気が感じられず、どこか作りかけのマネキンか人形のように感じられて、ふと気が緩んだのだろう。少し近付き過ぎたらしい。
天児が目を見開いて、次には牙のような犬歯を剥き出しにしていた。喉の奥から聞こえる唸り声と目付きは獣のもの。人が獣に化生したかと思えた。
いまにも飛びかかってきそうな気配に後へ引いたところ、優しい歌声が聞こえてきた。立花久美が子守唄をうたいながら天児の髪を梳かし、撫でつけてやっていた。
だいじょうぶ、だいじょうぶですよ。
と繰り返す声に、まだ喉の奥で唸りながら、天児は頭を下げて目を閉じた。さらに立花久美から、
頭を撫でてやってください。髪を撫でられるのは好きなんです。
と言われ、噛みつかれないかドキドキしながら髪を撫でつけてやっていると、次第に唸り声も治まり、張りつめた気配も薄れていった。
やがて、天児は安心したように身を伏せて立花久美に抱きつくと、そのまま眠りに落ちた。それと見てとって、
やった。噛まずに我慢しましたよ。これで、外出させてくれますね?
と嬉しそうに校長に話しかけていた。どうやら何かの試しに使われたみたいだ。名坂さんと千里さんのせいで、これまでどんな目にあってきたか、苦い思いで振り返ることになった。
外へ出て鋼鉄の扉が背中で閉まると同時、大きく溜め息をつくしかない。やれやれだ。
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