第十四夜 菱山美藝

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第十四夜 菱山美藝

 川渡りの風の涼しいこと。川床料理を味わうに良い季節ですが、もう楽しまれましたか? はぁ、まだなのですね。  願掛けは願掛け、百夜参りは百夜参りとして、季節と地の物を知るのも大事なことですよ。その様子では、水占(みずうら)みくじも引いていないのでしょう。お代は要りませんから、ひとつ引いてみては如何(いかが)です。  白紙じゃないかと? ふふ、水占(みずうら)みくじと言ったでしょう。ここは龍神を(まつ)り、神水の湧く霊地ですよ。水に浸してみてごらんなさい。  さあ、文字が浮き出てきましたね。  あらあら、末吉ですか。しかし、まあよろしいじゃありませんか。願望は遅くとも叶うべしとなっておりますよ。さてさて、そろそろ今宵の語り手を()びましょう。伊勢の隠れ地に建てられる(まな)()の若き女性講師、菱山美藝(ひしやま びげい)の話です。 ……御船校長の気紛れにも困ったものです。  私は講師として雇われているだけで、校長の秘書でもなんでもない。朔日餅(ついたちもち)くらいで言うことを聞かせようなんて、人を莫迦(ばか)にしてます。  それでいて意のままに動いてしまっているのだから情けない。たしかに八朔粟餅(はっさくあわもち)は名品ですが。ああ、この粟の粒々感と濃厚な黒糖餡(こくとうあん)の甘味が堪らない。  うん、まあ五穀豊穣(ごこくほうじょう)無病息災(むびょうそくさい)を祈る八朔参宮(はっさくさんぐう)の名残りと思えば大事なお(もち)です。(なか)ば校長の趣味のようなものとは言え、ミッション赤福の様子を見届け、危ういことがあれば上手く処理せよとの意向を()んでやってもいいでしょう。これまで定番の赤福を食べたことのない天児(あまがつ)に、いきなり赤福氷を食べさせるのもどうかと思いますがね。  あの鬼娘も、お(はし)は無理でもスプーンくらいは使えるようになったようですし、ちょうど良いのかもしれません。  さて、橋姫の(ほこら)の前を通って、新橋へと姿を現しました。道行く人々に気付かれずに現世(うつしよ)に紛れる。いつ見ても不思議なものです。そこから、もうすぐそこが赤福本店ですからね。  全体的に黒っぽい建物の入り口には、創業宝永四年と添えられた赤福の大看板が掲げられています。西暦でいえば1707年で、富士山が噴火し、蛙狩神事(かわずがりしんじ)赤蛙(あかがえる)が捧げられた年でした。そういえば、赤福もなんとなく蛙っぽく見えなくもないです。  公式HPには、赤福の由来は「赤ん坊のようなうそいつわりないまごころを持って自分や他人の幸せを喜ぶ」という意味の赤心慶福(せきしんけいふく)とされていますし、こし餡の三つの筋は五十鈴川(いすずがわ)の流れを表しているとも言われますが、本当は豊穣を願って食べる赤蛙の代わりとして考案されたのかもしれません。  そう考えると神宮(じんぐう)を参拝する多くの人々が赤福を買って食べるというのも神事のひとつのように思えてきます。古い神を食べ、新たな神の活力とする死と再生の物語は万国共通のものですから。  だから私はもっと赤福を食べたい。いや、食べるべきです。ちょっとぐらい太っても仕方ない。神事なので。不祥事はあったけれど、あれでわかったのは赤福は冷凍しても美味しいということですよね。冷凍食品として販売してほしい。そうすれば、ずっと常備しておくのに。  はっ、しまった。余計なことを考えていたら、立花兄妹と天児(あまがつ)を見失ってしまいました。もう本店に入ったのでしょうか。  おや、あそこにいるのは御船龍樹(みふね たつき)ですね。  そばにいるのは弟の悠里(ゆうり)ともう一人、誰でしょう。龍樹と同い年くらいの男の子ですね。凛々(りり)しくキリッとした顔立ちで、木綿の着物を(いき)に着流して。和風男子ですか。まったく龍樹ときたら、生意気なだけでなくふしだらな。胸ばかり育って頭に栄養が回っていないに違いありません。女性の胸は、私のように控えめな美乳であればいいのです。所詮は脂肪の塊ですからね。母性だとか性的魅力だとか、ばかばかしい。そんなことはどうでも良いのです。  そう、まったくもってどうでも良い。  店にも入らず、何をやっているものか。あの龍樹が、爪を噛んで悔しそうにしていますね。見ているのは赤福本店内のようです。どれ、店に入って見てきましょう。そもそも、それが御船校長の依頼でしたから。  とりあえず赤福氷を頼んで、空いている席に腰を下ろしました。なかなかの混み具合でまいりましたが、うまく立花兄妹と天児(あまがつ)の様子が見える場所です。御船龍樹が見ていたのはこの三人でしょうね。  なるほど。傍目(はため)には立花浩二と天児(あまがつ)がイチャついているように見えます。それを見て嫉妬(しっと)でもしていたのかもしれません。まったく色ぼけ学生どもが。ああ、いや、そんなこともどうでも良いのでした。  薄い作務衣(さむえ)を着崩して、ああ、ああ、胸元をはだけ、そんなに素足を剥き出しにして。浩二が裾を直してやりながら、抹茶味の氷をスプーンであーんとしてやる。見ているこちらが恥ずかしくなってきます。口元から垂れるシロップを拭き、かいがいしく世話をしてやっていますね。よくよく見ると、イチャつくというよりは子供の世話をしているような感じですが、嫉妬(しっと)に狂う者にはそうは見えないでしょう。げに恐ろしきは女の嫉妬。安倍晴明でさえ鎮められぬ代物ですから。  さて、外の様子はと。……ん? 御船龍樹が手にしている箱は、あれは外法箱(げほうばこ)のようにも見えますね。どうも禍々しいものがあります。あれは……。あっ、来ました。赤福氷です。夏の風物詩ですね。やっぱり美味(おい)しいです。一人で食べるなんて贅沢(ぜいたく)なものです。誰かと一緒に食べている方々がうらやましいなど、そんなことは一切ありません。私に近付いて来られない世の男性諸氏の遠慮と奥ゆかしさを感じるのみ。結局は顔と乳だなんて、そんな下賤(げせん)(やから)にアピールする気などまるでありませんから。ああ、抹茶の風味と、赤福独特の(あん)がマッチして(とろ)けるようです。かき氷にあんこ餅をぶち込む意味があるのかと下らない疑問を持つような連中は、一生、雪に蜂蜜でもかけて食っていればいい。いや、意外と美味しいかもしれませんが。と、ちょっと待ってくださいよ。何を考えていたのでしたっけ。んー、思い出せません。赤福氷で脳みそが埋められてしまいました。まあ忘れるぐらいなら大したことではありませんね。きっと。
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