第四十五夜 ジジ

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第四十五夜 ジジ

 Comfortable hole Bye  これは、いわゆる人の言葉ではないとされています。いろいろと疑義のある話ながら、とある動物の死生観を示しているそうです。  心地よい穴の中へ。さよなら。  とでも訳せば良いのでしょうか。花火をイメージして名付けられたHanabikoは、友達の猫を亡くし、手話でこう表現したとか。アフリカにいた頃に母親を殺されたと話したお仲間もいるらしく、言葉を得たために記憶が呼び覚まされたのではないかとも言われます。  魂とは何かを考えると、それは時間の堆積なのでしょう。中洲のように取り残された過去そのものであり、すなわち記憶である。しかし、それは言葉によって再現されることがなければ永遠に眠ったままなのです。  猫に魂があるかどうかは別として、九つの命を持つとも云われる猫様の話です。猫柳理奈の飼い猫で、好きなアニメにちなんでジジと名付けられた黒猫。かなりの老齢にて、昔なら猫又と疑われていたかもしれません。 ……吾輩(わがはい)は猫である。  名前はまだ無い、などというわけもなく、威風堂々たる固有の名前がある。だが、人間には発音できぬ(ゆえ)、呼び名はジジで良い。なんとも軽い感じだな。  愚劣な人間どもは我らを飼っているつもりらしいが、実のところはそうではない。王侯貴族よろしく優雅に日々を寝て暮らすために世話をさせてやっているのだ。  我が下僕(げぼく)の理奈とそのまた下僕の将吾にも、日々、遅滞(ちたい)なく食事を用意するよう(しつ)けてある。二人とも、不遜(ふそん)にも毛皮を撫でようとしてくるが、下僕を慈しむのも王者の義務として応じている。吾輩は寛大なのだ。  今日は我らを(たた)える祭りに来ている。あまり外出は好きではないのだが、人間どもが我らの眷属(けんぞく)を拝み、尊崇(そんすう)する様子を眺めるのも悪くない。  とはいえ、やはり人間とは愚かなものだ。  自分たちの種族と他の種族の見分けもつかないのだからな。我々高等種は、人間のような低俗種とは違い、目だけでなく魂でも物を見ている。何もない虚空(こくう)を見つめて動かないなどと揶揄(やゆ)する輩もおるようだが、馬鹿どもめ。貴様らに見えておらぬだけのことよ。  霊的な場の力もあってか、おかげ横丁の雑踏には多くの人ならぬものが闊歩(かっぽ)しておった。あるいは其奴(そやつ)ら自身、気付いていないのかもしれぬ。  その中に、温州蜜柑(うんしゅうみかん)佳乃(よしの)の姿を見かけたのだ。目で見る姿は変わっていたが、その魂は変わらず。人間どもにはそうは見えぬだろうが、化物と鬼が手に手を取って歩いておった。  懐かしくなって温州蜜柑を呼んだものの、応じたのは鬼の方、佳乃が追いかけて来よった。じゃから、逃げて逃げて、ここまで来た。  あの娘は苦手だ。  人間であり、式鬼(しき)であり、鬼でもある。その手で撫でられると、天鵞絨(ビロード)の如き我が毛皮だけでなく魂までも撫で回されておるようで落ち着かぬ。  しかし、温州蜜柑(うんしゅうみかん)の奴め、まるで気付いておらんじゃないか。軒先まで来ているのは偶然なのか。一緒にいる娘にもまた鬼が憑いているようでもある。よくはわからんが。どれ、もう少し……  と、近付こうとした時のことだ。情けない話だが、うっかり足を滑らせた。もう歳なのだ。  つるんと落ちかけた吾輩を助けたのは、鬼の娘、佳乃であった。屋根の上を走り、瓦を弾き飛ばすように迫ると、乱暴に首根を掴んで持ち上げよった。  苦手な娘とはいえ、助けようという思いには感謝しないでもない。ただ、やはり人間というのは愚かだな。この程度の高さから落ちたところで猫には支障ないことであるのに、佳乃の奴め、吾輩を抱きかかえたまま軒下へ落っこちたのだ。それを助けようとしたのか、いまは浩二と呼ばれておるようだが、温州蜜柑が下敷きになっておったわ。  まったく愚かな周章狼狽(しゅうしょうろうばい)。  たいした怪我もなさそうな、しかし、動けずにいる佳乃の胸元から軽やかに降り立ったところへ、吾輩の名前を呼ぶ声がした。下僕の猫柳将吾と、温州蜜柑こと浩二とだ。  やれやれ、ようやく思い出したか。  ふぅ、と溜め息を吐いた吾輩の背後から、可愛らしい猫やなぁと言いながら女の手が伸びてきた。どうやら、軒下にいたもう一人の女らしい。振り向くと、短い黒髪と黒い着物と白い肌と、造形の良い顔立ちが影になって、ぽっかりと()いた赤い口が際立(きわだ)っていた。そこから(のぞ)く赤い舌の(たましい)は、鬼の形をしている。
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