第四十八夜 浅倉直哉

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第四十八夜 浅倉直哉

 人を傷つけるに、刃物など無用です。  言葉ひとつが人を殺す。それは今に始まったことではありません。なぜとなれば、人とは魂そのものであり、それは過去の堆積であり、記憶であり、言葉そのものでもあるからでしょう。  何気(なにげ)ない一言が魂を傷つける。しかし、またそれは、殴った方の拳を痛めるように、言葉を吐いた者をも傷つける。もし、傷つかない者がいるとすれば、その者こそが鬼なのやもしれません。自らが鬼であることに気付かぬ者こそが本当の鬼なのですから。  御船龍樹(みふね たつき)の変化に気付いたのは、霧立律子(きりたち りつこ)だけでは御座いません。いまひとり、同級生の浅倉直哉(あさくら なおや)という男の子です。淡い思いを抱いて教室の龍樹を眺めてきたようですね。 ……龍樹さんの様子がおかしい。  人を小バカにしたり、からかったり、よくわかんない言葉で(けむ)に巻いたり、そんなことはいつものことだし、モブキャラの自分に冷たくて意地悪なのもいつもどおりなのに。あ、これ、悪口じゃないんだ。  僕にだけ冷たいとか意地悪なんじゃなくて、みんなに等しく、冷たく意地悪なんだよね。って、なぜか悪口になっちゃうな。  んー、でも、そんな人だけど、本当は優しいのかなと思えるところがあったり、なんだかんだで面倒見もいいし、口は悪くても心根は優しい人なんじゃないかな。  だから、好きになったんだ。  僕だけが特別じゃないことはわかってる。でも、たとえ冷たい対応だとしても、分け(へだ)てなく接してくれることが嬉しかった。  ただのクラスメイトだけど、それだけでも嬉しくて、叶わない思いがきりきりと痛むその痛みよりも、龍樹さんを眺めていられるいまが幸せなんだ。  だけど、最近の龍樹さんはどこかおかしい。  ふっと何もない場所を眺めていたかと思うと、鋭い目付きで佳乃さんを睨んでいることがある。わりとお喋りなのに、最近は黙っていることが多くて、喉を痛めたのか、三郎くんとのやりとりもノートに書いた文字だったりする。  書道部の部長を務める龍樹さんの字はとても綺麗だ。姿勢よく字を書いている姿は清楚(せいそ)な御嬢様のようで、どきりとさせられる。  それが、不意に口を開くと、佳乃さんに向かって激しい罵倒のような、口が悪いとかじゃなく下卑(げび)たようなことをいう。  売女(ばいた)だの親殺しだの。聞いていて心地良い口の悪さとは違う、龍樹さんらしくない嫌なことをいうんだ。そう、悪い言葉というよりは嫌な言葉だ。  先生方がいるところでは決して言わない。それもおかしなことで、普段の龍樹さんなら、誰を前にしても口は悪いし遠慮しない。誰にも等しく冷たく意地悪なあの人はどこへ行ってしまったのだろう。  ふっと何もない場所を眺めている龍樹さんの顔は空っぽで、暗い穴みたいだ。眺めていると引きずり込まれそうな気がしてくる。  佳乃さんは何を言われても動じず、じっと見返しているだけだ。  決して仲良くなどない二人なのに、龍樹さんが、一緒に外宮前の喫茶店でも行かへんかと誘ってた。黙って頷く佳乃さんに、ついてこないように言われる三郎くんと浩二くんだ。二人の心配そうな表情とは裏腹に、女の子二人の太々(ふてぶて)しさ。女の戦いなのだろうか。
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