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第七夜 御船悠里
夏とはいえ、夜は冷えますね。貴方も風邪など引かぬように気をつけなさい。
昨夜は懐かしい一族の名を聞きました。御船一族ですか。貴方は独学で様々な術を学び、盗み、作り出してきたようです。むろん、御船一族のことはご存じでしょう。神は船に乗りて来たり、また流される。船とは異界とつながるひとつの道なのです。
葦の船に乗せて流された蛭子を祖神とし、鬼を使役する一族。千年前にも、この国の要として己の信じる道に生き、そして死んでいったものです。いや、死に切れぬ者もいましたね。どうしていることか。あるいは、鬼となって彷徨っておるやもしれません。
いけない、いけない。つい話しすぎてしまいました。今生において、私は影でしかない。影は影らしく、繕い物でもするとしましょう。さあ、皮袋を直しますからこちらへ。それを待つ間、御船悠里の話を聞きながら。
……ぼくは久美ちゃんのことが好きだ。
とても同じ小学生とは思えないくらいしっかりしていて大人びている。勝っているのは背丈くらいだ。
伊勢の学び舎へ行けといわれた時はすごくイヤだった。だって、僕は御船一族の落ちこぼれなのだから。いつだって龍樹姉さんと比べられて、姉さんが男で僕が女だったら良かったのに、そんなことを言われ続けて。
でも、久美ちゃんと出会えて、ぼくはそれだけで幸せだ。恋に落ちるというのはこういうことだと初めて知った。だからわかる。龍樹姉さんは浩二さんのことが好きなんじゃないかな。どうかな。あの姉さんが人を好きになるなんて信じられないけど。
姉さんは、浩二さんと久美ちゃんの秘密を探れという。こそこそと、そんなことしたくない。本当はイヤだ。でも、姉さんには逆らえない。だから、だから、ぼくは人形を使う。
一族の鬼を使役することのできないぼくにできるのは、小さな人形を操ることだけだ。通いの学生に許された共同教室の引き出しにそれを潜ませて帰ることにした。
おかげ横丁の新橋につながる秘密の橋を渡るまえに小さな祠があって、ここに住む橋姫にとがめられないように帰らなければ。
ぼくはウソがへただ。問い詰められたら話してしまっただろう。そうして高島先生に怒られ、姉さんにも怒られて、父さんにも怒られるに違いなかった。
さいわい、橋姫はのんびりとお昼寝中で、ばれずに通ることができた。外から入るものは警戒しても、内向きにその必要はないからかな。
ほっとして、その夜、姉さんと下宿している外宮近くの家で術を使った。ぼくの視界が真っ暗な引き出しにつながる。ごそごそと様子を伺いながら教室の外へ出て、あたりを探る。
浩二さんや久美ちゃんが暮らす寄宿舎へ向かう途中、どこからか獣のような叫び声が聞こえてきた。これは、でも、人の声? 言葉ではないけれど、かすかに感情がこもった声だ。もしかしたらお腹が空いているのかもしれない。根拠はないけど、そう思った。
そう叫ぶなよ、天児。
浩二さんの声が聞こえた。獣のような声の持ち主に話しかけているみたいだ。しかし、なぜそんな呼び名を使うのだろう。天児とは、幼い子供の代わりに穢れを引きうける形代としての人形をいう。不吉なものじゃないけど、人につけるような呼び名じゃない。
さっきから叫んでいたのは浩二さんのいう天児らしい。廊下の奥に赤錆びた鉄の扉があり、そこから聞こえていた。わずかに開いた隙間から人形を滑りこませる。
暗い室内に灯りがゆれていた。
はっと気づいた時には、白い牙のような歯に噛み砕かれ、引き裂かれていた。短い悲鳴を飲み込んで、ぼくは下宿の和室に戻っていた。あれは何だったのか。天児と呼ばれる何者かなのか。
浩二さんたちの秘密についてはわからなかった。姉さんに聞かれても、二人が天児と呼ぶ誰かの世話をしているらしいとしか答えられない。
ただ、人形が噛み砕かれる寸前に見えたのは、獣じみた目つきの女の人だった。鋭い犬歯が牙のようで、恐ろしくはあったけれど、その目は美しく澄んでいて、悪意ある者とは思えなかったんだ。
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