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第七十三夜 鯰
ちょいと忘れがちですが、鬼に引き裂かれた温州蜜柑の皮袋、ぼちぼちと鼓動を取り戻してきたように思います。いまでは目もなく耳もなく、鼻も口もない。果たして、世界をどう捉えているのか。
あるいは鯰のように味覚で、また電場の変化で世界を捉えているのやもしれません。
全身が舌とも揶揄される鯰の語る話です。何やらごりごりと擦り潰しておりますが。
……ああ、美味いなぁ。
水穴に潜んで十数年、こんなに沢蟹を食べたのは初めてです。化け犬様々ですよ。あちこちから良い匂いがすると思えば、まさかこんなに多くの沢蟹が捨て置かれているなんて。
先ほど凄まじい音がして、水穴が崩れ落ちるかと思いました。ヒトの使う弓矢というんですかな。あれが化け犬を粉砕したんですぞ。いやぁ、恐ろしや、恐ろしや。
その威力は、大穴を揺るがし、水穴を震わし、風穴を揺らしましてな。小生の尻尾も、ぴんと持ち上がったものですよ。
続けて社殿のあたりが崩落しまして。大きな音を立てて建物を押しつぶしたのですな。
まるで地震のような出来事でありましたが、小生の仕業ではございませんので。地震を起こすのは地の底の大鯰などと、どこからそんな話が出たものやら。
社殿にいたヒトの子らは危うく難を逃れたようですな。その安堵の隙を突いてか突かずか、化け犬の影のような体は、わずかに開いた黄泉の戸の隙間から穴へと落ちていったらしい。
目が見えずとも、味と匂いでわかる。
ああ、気分が悪い。腐った溝川のような匂いがする。いやぁ、厭な匂い、厭な味だ。
へどろと化してなお世を呪うとは。
ああ、それを悲しむ者がおりますな。絶命したはずの白い犬ですな。もう死ぬという点では似たようなものでしょうが、無念に包まれたこの味は、美味といってもよろしいかと。
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