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第七十四夜 稲田葛音
近頃は健康食とやらが人気と聞きます。
昔は食べるに事欠く暮らしでしたから、食べるものに気をつけるなどということは、いまひとつ理解し難いところです。
とはいえ、体を形作る食事が大切であることは言を俟たず。同様に、心を形作る言葉も大切で、取り入れる言葉は選ばなければなりません。
飲水思源という言葉が御座います。
どのような意味に取られましたか? 私には、自らの源に思いを馳せよと言われているように聞こえるのです。本来の意味とはまるで違うのですがね。
貴方は、自らのルーツを御存知でしょうか。今宵は、稲田三姉妹の二女、稲田葛音の語る話をお聞きあれ。そもそもの始まりの物語で御座います。
……伝承があるんだよ。
戸隠の鬼と言い、紅葉と言う稀代の鬼女。鈴鹿御前やら、立烏帽子、はたまた呉羽、葛葉、かさねと様々な名で呼ばれるんだ。
戸隠は黄泉の戸であり、また天の岩戸でもあるとか。貴人の子を宿すも、その子は母の血を恥じて自害したという。
酒呑童子や大嶽丸、土蜘蛛退治と、時の帝から宣旨を受けて討伐された悪鬼ども。戸隠の鬼もまた、その一人。でも、本当にそうかな。
昔々、ここらの盆地一帯は大きな湖で、山と山とを舟で行き来していたとか。いまでも十二神社には、舟繋ぎの樹と呼ばれる大木の古跡が言い伝えられているんだ。それが、山崩れによって水が抜け、水無瀬と呼ばれるようになった。
さらに、天武天皇の時代に遷都が計画されたおり、水無瀬の鬼たちがそれに歯向かって退治されたため、それ以後は鬼無里と呼ばれるようになったんだと。
なにが言いたいかっていうと、史実なんて糞食らえってことさ。なにが嘘で、なにが事実かわかったもんじゃないよね。
一般に流布する話を語ろうか。
時代は流れて平安時代、後に戸隠の鬼とされる美貌の娘は源経基に見染められ、その子を授かるも、山深い鬼無里の地へと流されてしまう。
娘は魔性の者であり、呪詛をかけていたことが露見したとも、逆に、正室の妬みをかって追われたともいう。
さて、どちらが事実か、あるいはどちらも事実ではないかもしれない。山中の寒村に流された娘は村人を慈しみ、あるいは騙してその地に親しんだとか。鬼女の意向によるのか、貴女に向けられた村人の優しさか、都を偲んで東京、西京、二条などと地名をつけたともいう。
やがて、鬼女による山賊働き、謀反の気配ありなど、もっともらしく悪事をあげつらって、朝廷は平維茂を派遣して戸隠の鬼を退治するわけ。でもさ、そんなの一方的な話でしょ。実際がどうだったかなんてわからないよ。
娘が嫁ぎ、離縁されたのが源経基というのも胡散くさい。経基ってのは、将門の乱とも絡みがある人物で、清和源氏の祖だかなんだか知らないけど、信用ならない話なんだ。
いったい、本当の出来事ってなんだろう?
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