第八十五夜 ふみ

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第八十五夜 ふみ

 姉が息絶えた時、不完全ながら術はなされ、化け物が生じた。なんとなれば、私が仮死状態でも死んでいなかったが(ゆえ)に。また、御船一族の願いどおりであれば、私の()(ぎも)こそが万病を癒す薬と化したわけです。  ふふ、鬼籍に入ったいま、もはや確かめようもありませんが。  一方、化け物が生じると同時、私の中に姉の有していた力が流れ込んできた。駆ければ獣の如く、跳ねれば鳥の如く。素手で鎧を砕き、槍を折り、大の男を軽々と投げ飛ばす。さらに手妻程度であった術も、そこらの陰陽師では敵にならぬほどの威を示すものとなった。  私は、新たに生じた恐ろしくも憐れむべき化け物を小さな箱に封じ、懐にしまってその場を後にしました。夜陰に紛れ、嵐に紛れ、逃げおおせたもの。しかし、それは悲しみの始まりでしかなかったのです。  今宵は、追われ続けるなかで出会った少女の語る話です。ふみという孤児(みなしご)で、私に喜びと悲しみを諸共(もろとも)にもたらしてくれました。 ……くずさまを殺した。  恩人を手にかけた。それが正しいことではないと知っていた。けれど、そうするほかなかった。なかったと思っていた。だから謝らなかった。謝ることができなかった。  わたしは孤児(みなしご)で、村の厄介者だった。役に立ったのは、どうなってもよい子供を買いたいという旅の術士に買われた時くらいだ。  そのころ、まだ出会わぬくずさまは、地獄のような蠱毒(こどく)を生き延び、化け物を封じて、その箱と自分の生き肝を狙う輩から逃げ続けていた。  名を変え、姿を変えて、どこかに穏やかな暮らしを得ても、すぐに失うことになった。次々と追手がやってきた。  ということは、次々と追手を返り討ちにしていたということだった。そこで一計を案じたのが、わたしの飼い主だった。  くずさまの優しさを逆手にとって、子供に、つまり、わたしに殺させようとした。  なんらかの術をかけられたようにも思うけれど、よくわからなかった。かわいそうな孤児(みなしご)を装って、くずさまに拾われるところから策のうちだった。  自分といては危ないと引き離そうとするくずさまに、すがって泣きついて一緒に過ごしたその日々は決して悪いものではなかった。  やがて月日を経て、どうしてくずさまに近づこうとしたのか自分でも忘れかけたころ、(くだん)の術士を見かけた。にぃ、と顔を歪ませてこちらを見ていた。  その夜のことだった。  術ゆえか、なにか別のなにか故か、わたしはくずさまを殺した。くずさまの胸に刃物を突き立てたのは間違いのない事実だった。  その瞬間、両目からぽろぽろと涙が落ち、自分が泣いていることを知った。そんなわたしに、殺したはずのくずさまが声をかけてきたのだった。そう、わたしが殺したと思ったのは、くずさまそっくりの式鬼(しき)に過ぎなかった。しかし、そうと知らずに刃物を振り下ろしたわたしは、やはりくずさまを殺したのだった。  わたしは謝らなかった。ただ、止めどなく涙が流れ続けていた。くずさまは何も言わずにわたしの頭をなでてくれた。その後、泣き止んだわたしに当座の路銀を渡した上で、  貴方(あなた)が責めを負う必要はありません。生き肝を差し出すわけにはいきませんが、この箱ならば差し上げましょう。 と告げて、小さな箱を渡された。それは、金属のような布のような不思議な風合いを持ち、見る角度によって様々な色彩が浮かぶのだった。さらに続けて、  この箱を正しく(まつ)れば福を招くでしょう。しかし、決して開けてはならない。もし、貴方(あなた)にこのようなことを強いた者が箱を欲しがるならば、死にたければ開くが良いと伝えなさい。 と言われるのだった。  くずさまと別れた後、案の定というか、わたしから奪い取るようにして箱を手にした術士は、ほんの少し箱を開いて隙間から中を覗こうとした。そうしたら、その隙間から黒い無数の手が伸びてきて、ありえないことながら、もがく男を手のひらほどの小さな箱の中へ引きずり込んでしまった。  恐ろしかった。けれど、くずさまからいただいたものを粗略には扱えなかった。だから、どこへなりと落ち延びて、そこで箱を(まつ)って過ごそうと心に決めたのだった。
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