24人が本棚に入れています
本棚に追加
/100ページ
第八十六夜 御船かなで
ふみは、その後、箱の力もあってか幸せに暮らしたと聞きます。その子孫は、代々、大切に箱を祀り、名門神尾家をなしたのでした。
それはまあそれの話です。
一方、箱を手放した私ですが、その後も引っ切りなしにやってくる追手に悩まされておりました。なにしろ私の生き肝を手に入れようとしている連中ですから、始めから殺しにかかってくるわけです。
そんな折、新たに戸隠の鬼退治を命じられたのは、かつて土蜘蛛と呼ばれ、いまは御船家の端くれに加えられた者たちでした。かつての王権に背き、山里で異能を伝えてきたのです。
今宵の語り手は里の女長、御船かなでより。
……とうとう来たか。
そのうちに沙汰があろうと思うていたが、予想よりも早い。戸隠の鬼退治、本家の連中には荷が重かろうて。
かさねの方は討ち取ったと聞くが、くずの方は千年蠱毒の場より逃げ、追手を次々と返り討ちにしておるらしい。
御船の名を賜わったとはいえ、我らは土蜘蛛を祖とする一族。妙に手柄を立てられては困るのだろう。それを命じてくるあたり、もう余裕がないのであろうな。
と考え込んでいるところへ、鼻先に酒の匂いがした。目を開くと、盃が宙に浮かんでおり、誰もいないのにゆっくりと酒が注がれていく。安易に術を使うなというてあるに。りん、横着をするでない。そう口に出すと、どこからか悪戯っぽい声が返事をする。
『長ってば、難しい顔をしちゃって。せっかくの祭りなんだから、少しくらい楽しんだらどうです?』
いつも陽気なりんの声が、今日は特に華やいでいた。豊作を祝う祭なのだからな。楽しそうなところに可愛そうだが、言うべきことは言わねばならぬ。
『酒はいただこう。だが、術は切り札だと何度いえばわかる。非力な女子と見せておけ』
『はぁい。んで、なにを考え込んでたの?』
『御船本家からの指示だ。戸隠の鬼を狩れと言うてきた。漁火に行かせる』
『兄さんに……』
声が黙りこみ、宙に浮いていた盃が地に落ちた。零れた酒が、乾いた土をとくとくと満たしていく。
『心配か?』
『いささかは。だって、戸隠の片割れは天下に比類なき美人なのでしょう? きれいな女には弱いから』
『はは、なにかと思えばそんな心配か。戸隠の鬼は、さように甘いものではないぞ。片割れが死に、生き残った者がその異能を得た。人に倍する力と獣の如き身のこなし、くわえて人ならざる術を使うという。はたして漁火でも勝てるかどうか』
『兄さんなら勝つわ。絶対に』
『そうだな。我が里きっての使い手だからの』
『ええ、あたし、呼びに行ってくる』
ああ、頼んだよと応じて地面に落ちた盃を拾いあげると、それは、ぱきりと音を立てて割れてしまった。手に持った半分を残して、割れた盃が再び地に落ち、乾いた音を立てる。
最初のコメントを投稿しよう!