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第九十三夜 りん
こうして私は鬼籍に入りました。
その腹を掻っ捌くことを忌んで、戸隠の鬼の生き肝に代えて、御船碓氷の生き肝を手に、本家へ向かった漁火で御座います。
死んだ私の体は、茫々たる芒の原に埋められ、山のものとなりました。いわば、万治が思うたように里から山へ帰ったのです。
鬼が待つのは里か山か、誰にわかる?
土蜘蛛の里のこと、また己の妹のことも知らで、魂が抜けたようにして足を前へ進ませる漁火でありました。
悪いことをしました。そう、悪いのは本当はすべて私なのです。生まれ落ちた時に死んでおれば、生きようなどと足掻かなければ、りんを辱め、死なせることもなかったかもしれません。
今宵の語り手は、漁火の妹、りん。
……汚された、汚されてしまった。
でも、兄さんに会うまでは、兄さんに里のことを伝えるまでは死んでやるものか。女としてどんな辱めを受けようと、まだ死ねない。
兄さん、土蜘蛛の里は滅びました。そう伝えるまでは。
術は切り札という長の教えが、いまほど役に立ったこともない。ここの連中は、あたしのことを兄さまのおまけかなにか、何もできぬ非力な小娘と侮っている。
屋敷の地下牢から飛ばした式鬼の胡蝶が、ようやく兄さんの訪れを告げたんだ。御船雷光に結果を報告している。
『雷光さま、鬼の生き肝を手に入れてまいりました。これを』
『うむ、たしかに受け取ったぞ。これが万病を癒す生き肝か。うっ、この匂い。ただの腐った腹わたとしか思えんな』
『腹の底まで腐ったような輩ですので』
『ははっ、そうか。ところで、他の奴らはどうした。なに、お目付役としてつけておいたのだが、念のためよ。気を悪くするな』
『碓氷殿と部下の方々であれば、くずの術に巻き込まれて亡くなられました』
『なに、碓氷の奴がか。ふん、戸隠の鬼が強いのか碓氷が弱いのか、たいしたことのない奴だな。今後は碓氷の分も励め。よし、褒美をやろう。いや、その前に宴だな』
準備ができれば呼ぶが、しばし待て。と、控えさせられた兄さんのもとに胡蝶を飛ばす。あたしの技だと知っているから、兄さんは後をついてきてくれた。あたしのいる地下牢へと。
痛めつけられ、嬲られ、ほとんど半裸のまま囚われているあたしを見て、兄さんは声も出せずにいた。驚かせてごめんね。でも、これでやっと、これでやっと終わる。
やつらは兄さんを生かして帰すつもりはありませんよ。里の者は鏖殺されました。あたしも捕まり、辱めを。
暗い地下牢で兄さんの表情はよく見えなかった。ただ、すまぬ、と一言だけつぶやいて牢の外へ出してくれた。先に立って歩く後ろ姿を少しだけ眺めた後、あたしは兄さんが倒した牢番の腰から刀を抜き取り、躊躇うことなく自分の首を掻き切った。
ぶくぶくという血の音にのまれて聞こえたかどうかわからないけれど、あたしは兄さんに声をかけた。もうなにも我慢しなくていい。もう兄さんを縛るものはないから。だから、兄さんは、兄さんの思うように……
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