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第九十四夜 御船具風
御船の屋敷では盛大な宴が催されておりました。千年蠱毒の成功と、戸隠の鬼の討伐と、これで御船家も安泰と。
あわせて漁火を酔わせて捕らえ、りんを人質に服従を迫る、さもなくば死を。その手筈でした。しかし、実のところ、手に入れたのは万病に効く生き肝どころか、ただの腐った臓腑であり、人質たるべき者も自死してしまっていた。そして、それに誰も気付いていない。
そうなると後は破滅に向かうしかない。
今宵の語り手は、ようやくにして土蜘蛛の里の壊滅を知った御船具風です。
……愚かなことをしたものだ。
父上が土蜘蛛の里を取り込んだ意図もわからずに、時の感情と思い付きに任せて滅ぼしてしまうなど正気の沙汰ではない。
そのうえ漁火の妹を人質にして思うままに使おうとは、人の心というものを欠片も理解していないではないか。我が兄ながら、ここまで愚かだったとは。
屋敷に着いた時には宴の準備はすっかり整っており、本家の主だった者はほとんど揃っていた。最後に入室した私に向かって、兄の下卑た声がかかる。
『おお、来たか。遅かったではないか。だがまあ良い。めでたい席だ。これより漁火に褒美をやるところよ』
『褒美?』
『そうよ、漁火は戸隠の鬼を殺し、その生き肝を持ち帰ったのだからな』
『なんと、あの鬼女を』
驚いて視線をやった先、末席では漁火が顔もあげずに俯いていた。膳に載った豪華な食事を見ているのかいないのか、石のように固まっている。同席の誰もが、本家のお偉方の前での遠慮と思っているようだったが、私には何か不気味で恐ろしいものが感じられた。
褒美をやろう、なんでも言ってみろと続けた兄に対して、顔をあげた漁火の目は爛々と輝いていた。そして、
『おれが欲しいのは、おまえらの首だ!』
と叫んだと同時、直近に座っていた一族の某が血を吹いて倒れた。さらに屋敷の中に白い犬が躍り込み、幾人もが喉を食い千切られて絶命した。
乱心! 乱心! 漁火、乱心!
戯けたようにも聞こえる声が屋敷中に響き渡り、集っていたお偉方は我先に逃げ出そうとするが、土蜘蛛の技か、目に見えぬ刃を受けたかのように、次々とその場に斬り伏せられていった。
雷光様、お逃げくださいと声が上がったが、そこは豪胆な男ゆえ、兄は逃げずにその場で指揮をとり、漁火と犬を討ち取ろうとした。
そこで、浮き足立っていた連中も相手は一人と一匹に過ぎないことを見て取り、矢を射かけ、術を仕掛けて追いつめる。
やがて多勢に無勢、さしもの土蜘蛛も傷を負い、捕らえられた。その漁火に対して、怒りも露わに迫ると、兄は白い犬の首に刀を当て、それを振り上げてみせた。
いままさに振り下ろされようという時、漁火が何事か呪を唱えていることに気付いた。土蜘蛛古来の言葉であり、そうしたことに興味のない他の連中はわからなかっただろうが、
おれを喰え、喰って呪え。目につく物すべてを喰らい尽くし、殺し尽くすがいい。
との意味だった。私の制止の言葉はわずかに届かず、もしくは届かぬ振りをしたのか、兄が刀を振り下ろし、漁火の目の前で犬の首を断ち切った。
いつか山立から聞いた話を思い出す。
獣を狩る相棒として狼の血をひく犬を飼う者は、獲物の数を数えるのだという。その数が九十九を越えた犬は主人の命を狙うようになり、やがて主人を喰い殺して化け物となる。
漁火は自分の犬に呪をかけたのではないか。そう思い、落ちた首になにか異変がないか見つめるも、どくどくと流れる血のほかに何ら動きはない。
ふぅ、と息を吐いた時、ぐらぐら、ぐらぐらと屋敷が揺らいだ。目眩でもしたかと思えばそうではなく、他の者も足元が覚束ない様子で震えているではないか。そうして同じように、ぐらぐら、ぐらぐら揺らいでいた犬の首が転がり、漁火の足元で止まった。
それが、ぐいと引っ張られるように漁火の胸に向かって飛びあがり、大きく開いた口で噛みついたのだ。抉るように胸の奥に牙を突っ込み、漁火の心の臓を一飲みにした。
屋敷の揺らぎが止まり、しんとした空気が流れる。誰一人として動けずにいた。自由になるのは両の目のみ。
私の目に映ったのは、胸を抉られて死んだはずの漁火が四つ足で這いつくばり、おうおうと咆哮をあげる姿だった。
それはむろん人ではなく、さりとて獣でもない。これを鬼といわずして何とするか。漁火であったものは、雷光の喉元に噛みつき、ま、待てと制止しようとする言葉に構わず、喰いちぎった。吹き出たどす黒い血が木枯らしのように鬼の周囲を捲いてみせる。
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