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時代から取り残されたよう。この村は、都会から来た人にそう表現されがちだ。何故なら村の外の世界がやれ戦争だ、やれ復興だと大騒ぎしている時でさえ、ほぼ完全に蚊帳の外に置かれていたからである。周囲を山に囲まれた、下界から隔離されたも同然の村。良いものも悪いものも吹き込んでくるとされるこの盆地には、昔から“あやかし”の話が少なくなかった。
小学生の疾風も、時々それらしいものを見かけることがあったりする。
例えば、よく一緒に遊ぶたっちゃんとケンちゃんの兄弟の家。彼等の家には座敷童がいた。彼等の家の軒下から、ひょっこりとおかっぱの男の子か女の子かわからない存在が顔を覗かせていたのである。
『恥ずかしがり屋なんだよな、アイツ』
たっちゃんはその座敷童を、そう称していた。
『家の住人である俺らの前にも、全然姿を現さないんだ』
『そうなのか。もったいないな、せっかくこの家子供が多いのに』
『だよなあ。何度も一緒に遊ぼうって誘ってるんだけど。ひょっとして、鬼ごっことかかくれんぼが好きじゃねえのかな?あ、じゃあ今度は花札に誘ってみるか。コイコイわかるかなあいつ』
『どうだろ?でも普通に考えて俺らより年上っぽいから、わかるんじゃね?』
『そうかあ』
まあ、こんな具合だ。つまり、あやかしの類が見えるのは、何も疾風に限ったことではない。大人になると見えなくなる人が多いらしいけれど、少なくともこの近辺の子供達はみんな何かしらのあやかしが見える者ばかりだった。この村がそういう存在を認知しやすい土壌にあるのか、あるいはこの村の人間がそういう血筋であるからなのかはわからない。
あるあるなのが、あやかしや幽霊の類がみんな当たり前のように見えるので、よっぽど露骨な姿をしていない限り生きている人間と間違えてしまうということだった。
それこそかくれんぼをやっていて、一人どうしても見つからないと思ったら実は人間じゃなかったのです、なんてこともザラにある。
そう、疾風にとって、あやかしや幽霊はごくごく身近にある存在だった。大人達にとっても、見えなかったとしてもきっとそうだろうし、その大半は害をなさないもの。長らくそう考えて生きてきたのである。
ゆえに。
まさかこのようなことになるだなんて、かつての疾風はちっとも想像していなかったのだ。
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