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「ただいま」 真っ暗な部屋でも、彼女の光は消えない。明かりが点いても、その光は消えることがない。 「ただいま、紘」 僕の髪を撫でながら、愛おしそうに微笑む彼女。 「ごめんね、今日遅くなっちゃって。笹原がね、なかなか帰してくれなくてさ。すごいよね。部長の後釜、あの笹原だよ?あいつ、ご機嫌でお酒グビグビ飲んじゃって、酔っぱらってまた私に絡みついてくるんだよ?あー、汚い。私には、紘だけなのに」 僕の手を取り、自分の頭に置く彼女。 「今日あいつに触られたところ、紘が消毒して?」 彼女は僕の手を、肩へ、腕へ、ふくらはぎへ、太ももへ、頭へ、顔へと当てていった。 目が熱い。とてつもなく、苦しい。 「紘、泣いてるの?嬉しいな。嫉妬してくれるなんて……あと、最後にね、ここも触られたんだ」 そう言って彼女は、僕の手を、自分の唇に当てた。 頭がガンガンする。苦しさは増すばかりだ。 「ほんとひどいよね。紘がいないのをいいことに、毎回やりたい放題だもん。笹原だけじゃない。会社のみんな、紘がいなくなったって気にもしない。勝手に辞めていったんだって納得して、もう新入社員入れてるんだよ?冷たいよね、人間って」 僕をやさしく抱きしめる彼女。 「紘は、あったかいよね。体も、心も。私ね、紘のあったかいところ、大好きだよ。今まで生きてきた中で一番、紘はあったかい人。私を捨てた母親も、私を殴ってた父親も、私をいじめてきた奴らも、紘をいじめてた会社の奴らも、みんな冷たい人間。死体と同じ。生きてる人間は、こうして、紘みたいにあったかいんだよね」 彼女は、僕の唇にやさしく唇を重ねた。 そして、ふふっと笑って、僕の両手を拘束している手枷に触れた。 「紘がずっとそばにいるって約束してくれた時、すごく嬉しかった。僕は、美愛から離れないって言ってくれて、こうしてそれを証明してくれてる。安田紘って存在を消して、私だけのために生きてくれてる。私ね、本当に幸せなんだ。生きててよかったって、紘と出会って初めて思えたんだよ?だから、ねぇ、紘……」 彼女は、僕の頬に手を当て、目に涙を浮かべている。 「お願いだから、紘……死なないで」 彼女の言葉を聞いた瞬間、僕は再び暗闇に戻っていた。 目の前には、彼女と彼女に抱きしめられている僕の体がある。 僕の手足は枷で拘束され、腕、足、顔には痣や傷がある。 僕の周りには、茶色い空き瓶1つと、たくさんの錠剤が散らばっている。 少し離れたところにある肉球の描かれた容器には、毎朝入れてもらう水が手付かずのまま残っている。その隣には、色違いの容器に白米がしゃもじ一杯分盛られていて、すでに硬くなっている。 「紘、ほら、起きてよ……もう2日も寝たままなんだよ?そろそろお風呂入らないと、臭くなっちゃうよ?紘……私がずっと怒ってたから、すねちゃったの?あれは紘がやめてくれって怒鳴るから、私、怖くて怒ったんだよ?だって、だってあの時の紘、お父さんみたいだったから……そんなはず、ないのに」 そうか。あの日、僕は初めて彼女に抵抗した。 あの日も、部長の送別会で酔っぱらった笹原が彼女に触って、彼女は今日と同じように僕に消毒させようとした。唇を触られたところで、僕は我慢ができず、彼女を突き飛ばした。 そして僕たちは初めて、喧嘩をした。 翌日になっても、彼女は怒っていた。なかなか収まらない彼女の怒りを、僕は体で受け止めていた。痛みは容易く我慢出来た。だって悪いのは、僕だから。彼女の過去を知りながら、彼女を突き飛ばしてしまった僕が悪い。 彼女の怒りが収まるならと、何度も謝り、怒りを受けた。 数日後、彼女は『仲直りしたいなら、この瓶の薬を全部飲んで』と言い、茶色い瓶に入ったよくわからない薬を僕に渡した。なんとか仲直りしたい僕は、彼女が眠りについた後、それを一気に飲んだ。 そうしていつの間にか、僕は死んでしまったみたいだ。 「紘……起きてよ……私、もう怒ってないよ?また突き飛ばされたっていい……紘になら、痛いことだって、何されたっていいから……ねえ、お願い……起きてよ……死んじゃったら、心まで冷たくなっちゃうよ?そしたら、私、また冷たい世界で生きないといけないんだよ?やっと紘が私を助け出してくれたのに、また、あんな世界で……嫌だよ……冷たい紘なんて、私、嫌いになっちゃうからね……ねぇ紘……まだ、私たち、仲直りもしてないんだよ、紘……紘ぉ!」 彼女は、とうとう、死んだ僕の体にすがりつき、子供のように声をあげながら泣いてしまった。 僕の世界が、真っ黒になっていく。 彼女の光が、小さくなっていく。 だめだ。彼女の光を消しちゃ、だめなんだ。 僕が守るって決めたんだ。この光を、彼女の世界を。 ずっとそばにいるって約束したんだ。 泣いている彼女を抱きしめたいのに、もう彼女がどこにいるのかわからない。手を伸ばしてみるも、手が動いているのかわからない。僕は今、目を開けているのか?それとも、目を閉じてしまっているのか?わからない。 彼女がいない。また暗闇の世界だ。もう、なにも感じられない。   光が、完全に見えなくなってしまった。 「ごめんね、紘……今度は私が、そばにいるから」 何も見えない暗闇のなか、彼女の声だけが響いた。 終
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