第二話

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第二話

 電気屋・たつみは、小さな商店街の片隅に、四十五年前に個人商店として誕生した。 地域密着型で親しみやすい、こじんまりした下町の電気屋が、競馬で当てた資金とわずかな貯金を元手にチェーン展開を始めてからめきめき頭角を現し、ライバル企業との価格競争を『一円でも安く!』をモットーに勝ち抜いて、大手家電量販店にまで昇り詰めるとは、たつみの創始者(ひい爺さんに当たる)も想像してなかったかも知れない。 親父もかなりの成金主義で商魂たくましいが、金を稼ぐ才能は血筋とみて間違いないだろう。 昔、何かの縁で有名な占い師に運命を視て貰ったことがあるらしいが、親父は前世も商人で、膨大な財産を築いた大富豪だったらしい。 ただし、晩年は信頼していた人間に裏切られ、孤独な生涯を送ったそうだ。親父はこのエピソードを、来客や親族やらに面白おかしく話して自慢している。 “晩年は孤独”という都合の悪い箇所は適当に記憶から抹消した模様だ。前世占いが嘘か真か定かではないが、この親父のがめつさとワンマン経営者っぷりを思えば、それも納得できる気がした。    そんな一部上場企業「巽グループ」にとって、俺は利用価値のないお荷物だ。親父の愛人が、密かに生んだ忌むべき隠し子――望まれてこの世にある命ではない。 あの親父は、身体の弱かった実母から俺を引き取りはしたものの、放任主義で面倒見が良い性格ではなかったし、駿の母は俺に対して(当然といえば当然なのだが)、辛く当たるばかりだった。 継母(ままはは)からすれば、俺は血の繋がりの無い赤の他人。まして、自分の人生を狂わせるきっかけになった命だ。憎しみの対象になってもおかしくはない。厄介な持病持ちで虚弱の上、顔立ちや雰囲気が実母によく似ていた俺は、あの女(ひと)の神経をつねに逆撫でしていたのだろう。 「ちんたら食べるな」、「とっとと着替えろ」、「見苦しい」、「汚らわしい」、「おぞましい」、「巽の面汚し」。 この程度の暴言で済むならマシな方で、気に食わない事があると口に出すのも憚られる単語で罵倒され、倉庫やクローゼットに押し込まれて折檻される日もあった。 継母だけではなく、親戚中から白い目で見られていることを俺は肌で感じていた。 子供は悪意に敏感だからこそ、残酷な現実に深く傷ついてしまう。 あからさまな無視、影口、嫌悪、あるいは憐みの視線が注がれる中、俺の味方になってくれたのは駿だけだった。親族の集まる席では決まって傍にいてくれたアイツの優しさに、俺がどれだけ救われたかしれない。  一方の駿も、俺と二人きりになると「親父の言いなりになりたくない。そんなおもろない人生は送りたくない」と、愚痴を零していたものだった。 「大手企業の跡取り息子」として生まれた宿命を恨み、敷かれたレールの上を愚直に歩き続ける未来を拒んでいたのだ。 駿はマイペースで、つかみどころのない自由な性格。正しいと信じた意見を曲げず、人の言いなりになるのは決して良しとしなかった。頑固で自主独立の駿にとって、押し付けられた将来に価値を見出せないのだろう。 それがたとえ、裕福な生活を約束された成功者の道であってもだ。 「せめて高校生活くらい、羽伸ばしたいやろ。大阪に居ったんじゃ、どこ行っても親父の目ぇあるし、ろくに遊ぶ暇もないわ」 「で、東京に行ってどうするんだよ」 「どうもこうも、俺、東京初めてやねん。親父に閉じ込められる前に、一度見物しとかんとな。ほら、修学旅行みたいなもんや!」 「……そんなお気軽な三泊四日と訳が違うぞ。俺たちだけで生活しなきゃならないんだからな」 俺はぶすくれながら答えたが、駿はそんな俺の様子を気にした素振りはなかった。    生まれも育ちも大阪の駿とは対照的に、俺は生まれてから八つの歳まで、東京で実母(はは)と二人暮らしをしていた。 大阪で暮らす日々が始まっても、俺が懐かしく思い返していたのは、東京の下町の薄汚れたアパートの光景ばかりだった。 風呂なし六畳一間のこじんまりした木造アパート。ささくれ立った木の柱には、白いチョークで下手くそな落書きがしてあった。玄関と部屋とを仕切った襖は、虫に食われた穴や黄土色の染みだらけで、つねに隙間風が吹いていた。 狭くて、埃っぽくて、どこもかしこも補修が間に合わないくらいオンボロで。お世辞にも居心地のいい空間でなかったあの部屋も、俺にとっては八年間、実母と過ごした大切な居場所だった。 「晃は、東京行きたくないんか?」 「いや。そんなことない。駿が行くなら、俺もついていくよ」  親父は、俺に「好きにしろ」と言った。だったら、お望みどおりにしてやればいい。 先ほどのやりとりを思い出すだけで怒りが湧き、わが身を忘れて叫んでしまいそうになる。俺は膝の上で拳を握りしめ、衝動をこらえていた。 「晃、どないした?苦しいんか?」 俺の様子に気がついた駿が、心配そうに覗き込んでくる。 「いや、大丈夫。ごめんな」 俺は作り笑いを浮かべながら答えた。弟に、余計な気遣いはさせられなかった。 「東京へ行く」「行かない」で、親父ともめた日から、一週間が経過した日の夜だった。俺と駿は、親父のプライベートルームに呼び出されていた。 俺は、親父の私室が好きではない。壁にずらりと整列された価値の分からない無数の絵画に、海外の某高級ブランドで統一された家具や寝具のオンパレード。極めつけは、奇抜な毛皮の絨毯に幾何学模様デザインのカーテンと、てかてか鬱陶しいシーツの取り合わせときてる。 内装に統一感がないばかりか、見渡す限り極彩色に溢れ返って目がチカチカする。部屋中に充満する煙草の匂いで息を吸うだけで頭が痛くなりいい迷惑だ。 しかも最悪な事に、親父の壊滅的センスを身内が一切咎めないので、悪趣味と現金至上主義が年々悪化の一途を辿っている。 「晃の病院は手配した。東京には俺の昔馴染みがおるからな。向こう移ったら、そこ通え。マンションはコッチで決めた。それと、家政婦は週三訪問やからな。その日以外の飯やら掃除やらは自分らでなんとかせえよ」  親父は、全て片がつきましたとばかりに結論だけを報告してきた。息子の意見は一切無視だ。これには流石の駿も突っ込む気力が萎えたのか、ただただポカンとしていた。 「高校生活くらい、自由にさせたろ思うただけや。コッチに戻したら、ぎょうさんこき使うたるから覚悟せえよ」 親父に対する不信感は募る一方だったが、少なくとも駿がいない大阪に残されるよりは、東京へ行く方が百倍マシだろう。 「ええか、駿、晃。自由に使える限られた時間、せいぜい大切に使えや」 返事もせずに親父の顔を睨みつけていると、隣で直立不動だった駿が我に返ったのか「ええんやな!よっしゃあ!」と、声を上げてはしゃぎ始めた。両手で俺の肩をガシッとつかむと、前後に激しく揺さぶってくる。 「おい、駿やめろ、そんなに揺すると気分が悪くなるから!」 「晃、東京やで、東京!一緒に行こうな!」 「わ、わかったから……。揺するなって……!」 大喜びの駿と対照的に、俺は心に巣食う疑念を拭い切れずにいた。 ――巽 龍一郎(たつみ りゅういちろう)という人間のすべてが、理解できなかった。
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