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第四話
「晃、風呂沸かしたから準備せえ」
食事を終え、洗い物を片付けていた俺に、駿がリビングから呼びかけてきた。けれど、その目線はずっと手元のスマホに向いたままだ。
おそらく彼女からのLINEだろう。明らかに顔つきが違うので、一目見れば察しがついてしまう。いつもなら見ないフリをしてやるのだが、今夜はそういう気持ちにはならなかった。
――頭の中には、舞い散るイチョウの葉の渦に消えていった純白のレースが、まだ焼き付いている。
「なあ、駿。お前の彼女って、どんな人?」
すると、俺の言葉にあからさまに駿が反応を示した。スマホから視線をはずしたかと思うと目をまん丸に見開き、ぎろっと凝視してくる。
「なんや、お前。いきなり……」
「なんもないけど、どんな人なのかなって思っただけ」
「……」
俺の何気ない一言に駿の血相が変わり、ソファからゆらりと立ち上がった。負けじと睨み返すと、視線を不自然に逸らされる。我が弟ながら分かりやすい奴だ。
「ふーん。そんなにマジなんだったら、俺にちゃんと紹介しろって!」
「なんや、それ。なんでいちいちお前に紹介せなアカンのや」
「そんなに心配しなくても、俺はお前の彼女に手は出さないから安心しろよ」
「せやから、ちゃうわ!とにかくな…俺とあいつはそーいうんやなくてな」
「じゃあ、なんだよ?」
「だーっ!しつこいやっちゃな、彼女ちゃう!なぁんの変哲もない、ただのクラスメイトや!」
興味本位で聞いただけだったのに、ここまで反発されると逆に追及したくなってしまう。ニヤニヤしながら駿を眺めていると、俺の緩んだ顔が気に食わなかったのか、
「やかましい!そないに言うなら、つれてきたるわ!」
駿が、我慢の限界とばかりに大声をあげた。
「え?」
「お前の望みどおりに、連れて来るっちゅーねん。まあ、アイツもウチに遊びに行きたい言うてしつこかったしな」
催促したのは俺のほうだが、まさか本当に会う許可が下りるとは。今度はこちらが戸惑う番だった。
「いや、でも…いいのか?」
「紹介したるから、二度とあいつを俺の彼女扱いすなよ!」
「あ、ああ……」
駿の剣幕に押され、俺は思わず頷いてしまった。
その後、駿の意外な態度に疑問を持ちながらも、脱衣所へ向かった。熱湯を浴びられない俺のために、適度に温度調節してから声をかけてくれる駿の気遣いには、いつも密かに感謝している。
「ったく。誰があんなキッカイな女、好きになるかい」
「なんか、言ったか?」
リビングを振り返ったが、駿はすでにソファに寝そべっており、お気に入りのアニメ番組を見始めたところだった。
それにしても、駿にあそこまで不審な態度をとらせるクラスメイトとは、一体どんな人物なのだろう。自分が蒔いた種ではあったが、一抹の不安がよぎるのも事実だった。
「ねえ、いいでしょお?晃も一緒にあそぼーよ」
「今日は無理。あんたらも、もう帰りなよ。また今度気が向いたらね」
「えー!つまんなぁい」
放課後、クラスの女子に囲まれた俺は、包囲網を強引に振り切って教室を出た。これが、駿や周りのクラスメイトに「女たらし」のレッテルを貼られる要因のひとつだ。
高校に上がった歳から俺のヘアスタイルはパーマがかった茶髪で、左耳には駿から誕生日に貰ったシルバーピアスをしている。外見を派手に装っているのは“根暗な病弱男は集団生活でイジメの対象になりやすい”という理由のためだ。
ルックスだけでも最低ラインに到達すれば、どんな不愛想男子も女受けは良くなるようで、ヘイトの対象にならずに済んだ。が、“変な奴、風変わり”と評価されてしまうと、今度はグループ行動に支障が出てしまう。
そこで、知恵を振り絞った俺は「関西からやってきたお笑い好きの転校生設定」をアピールしようと思い付き、昼休みや休憩時間に一人ノリツッコミ漫才やゴリラのものまねを披露して、せっせと“キャラづくり”に励んだのだった。
結果的に女子に絡まれる弄られキャラポジションに落ち着いたが、おかげで腫れ物扱いされずに済み、疎外感を味わう心配はなくなった。
能天気なクラス連中には、俺の影の気苦労やストレスを全く理解できないだろう。
「はあ……」
教室から聞こえる黄色い笑い声に、重苦しいため息を吐いて廊下へ出たとき、
「巽先輩っ」
「……ん?」
切羽詰った声で名前を呼ばれ、俺は背中を振り返った。
別に睨んだつもりはないが、こちらが眉をひそめたのが分かったのか、声の主はしゅんと縮こまり三歩後ずさりした。
「な、なんでもない、です。また、明日……」
「……は?」
間の抜けた声で返事をすると、声をかけてきた張本人は既に廊下を引き返していた。左右のお下げが背中に揺れるのを眺める内、脳裏に沈んだ記憶が蘇ってくる。
彼女は確か、一つ下の学年の藍原 玲菜じゃないだろうか。
一学期に、同じ保険委員会に所属したメンバーだった気がする。とはいえ、委員会活動があるのは水曜日の六間目だけだったし、とくに重要なポストに付いていなかった俺は、適当に委員長の報告を聞き、担当教師の話をノートにメモして終わりだった。
藍原さんは、俺の隣の席に座って黙々とノートを取っていた、地味で大人しい印象の女生徒だ。まともな会話をした記憶もないし、同じ委員会のメンバーの中にも彼女と親しい生徒は居なかった気がする。
記憶を辿って思い出せるのはこの程度だが、あとは俺にとってどうでも良いことだった。
今日は、駿が例の「クラスメイトの彼女」を連れてくると約束した日だ。女子と寄り道なんてしていたら、おたま二刀流で殴られるかもしれない。
人“ゴミ”とは良く言ったもので、駅前通りを闊歩する人間の塊を潜るのは、体力と気力を根こそぎ消耗する。
駅前通りから二十分かけて歩き自宅マンションにたどり着くと、いつも通りエレベーターに乗って六階に上がる。
二十階建ての高層マンションで六階といえば低層階になるかもしれないが、それでも窓から眼下を見下ろせば相当な高さになる。なぜ、わざわざ中途半端な六階に住んだかと言えば、駿が高所恐怖症(本人は違うと言い張っているが、頑なに窓際に寄らない)の為だ。
かといって、「二階三階やと、逆に低すぎてオモロないやん?」と親父に注文を入れたので、結果この部屋に決まったのだった。
605号室の扉の前に来ると、インターホンを押す。普段は合鍵で開けてしまうのだが、今日はお客がいるはずなので、帰宅の合図として鳴らしておいた。インタフォーンに外の様子が映されるから、誰が訪ねてきたかは一発で分かる。
俺の目の前で、駿がドアが開けて出迎えるだろうと当然思っていた。
「ただいま」
しかし、鍵が解かれる音と共に待っていたのは、予想していなかった人物だった。
「お帰りなさい、晃先輩。さ、入って入って!」
「…は…!?」
そこに待ち構えていたのは、先ほど学校の廊下で別れた藍原玲菜、その人だったのだ。
「なっ、なんで藍原さんがいるんだよ?」
俺を見つめる黒目がちな丸い瞳が、より大きく見開きぱっと輝いたように見えた。
唐突な展開についていけず、俺は玄関の外に呆然と立ち尽くす。
「おい、藍原。なに勝手に開けとんねや!」
部屋の奥から、駿の慌てた声が聞こえてきた。どうやら、いま戸を開けてくれた藍原さんこそ、駿の言っていたクラスメイトの女子らしい。
「ほら、晃先輩!」
「はぁ、お邪魔します……」
お邪魔しているのは彼女のほうだが、このまま入り口で立ち尽くしているわけにも行かず、戸惑いながらそろそろと玄関に入った。
彼女は満足げに微笑み、背を向けて先にリビングに戻っていく。俺はどうにも違和感を拭えなかった。
「あれ、あんな子だったっけ……?」
先ほど学校で会った時と比べるとどことなく雰囲気が違う。口調が砕けてフレンドリーだし、まるで親しい友人扱いでもされているようだ。
赤茶色チェックのスカートが揺れるのを不思議な心地で見つめながら、俺も遅れてリビングへと向かった。
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