第五話

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第五話

「もうええやろ。晃にも紹介したったし。藍原、はよ帰れ」 「ええ?まだ晃先輩が帰ってきてから、三十分しか経ってないじゃない」 「もう、こっちは十分やっちゅーの」  それからというもの、駿と俺と駿の女友達の藍原さん……という奇妙な取り合わせで、お茶を飲みながら団欒する羽目になった。 てっきり照れ隠しかと思いきや、駿はピリピリムードを全身から漂わせている。…ますます、駿と藍原さんの関係が良く分からない。 「ったく、やかましいやっちゃな」 ついには駿は、お茶のおかわりを用意しにキッチンへ逃亡してしまい、リビングには藍原さんと俺が取り残されてしまった。 「……」  ダイニングテーブルを挟んで弟の女友達と二人きりは流石に気まずい。 好きなものや興味があることを何も知らないので、間を持たせるような話題がない。気まずい沈黙が流れた。俺は罰が悪そうに眼を逸らしたが、藍原さんはじっとこちらに視線を送っているのに気が付いた。 「なんでしょうか?」  沈黙と視線の攻撃に耐え兼ねて、年下のはずの彼女に敬語で話しかけてしまった。 「あ、ううん。……やっとちゃんとお話が出来て、嬉しいなあって思ってただけです」 「俺と?なんで?」 藍原さんとは、一学期同じ委員会に属していた以外共通点はなかった。話をしたいといわれても目的が分からない。俺は不審に思って彼女を睨んだ。 「俺が駿の兄貴だから?」 「駿君は、関係ないです。これはわたしが勝手に思っていた事なので……。とにかく、ホントに家に呼んでもらえるなんて思ってなかったから嬉しいです」 「それで、駿とは……」  駿と藍原さんは付き合っていないらしいがどうも腑に落ちない。駿に訊いてもはぐらかされるし、彼女から直接真相を聞こうと思ったのだが、 「藍原!いらんこと、晃に吹きこむなよ」 核心に迫ろうとすると、キッチンから駿の怒鳴り声が響いた。まったく、地獄耳というかなんというか。絶好のチャンスを逃してしまった。お茶のおかわりと茶菓子を盆に載せた駿が、相変わらずの仏頂面のままリビングに戻って来た。昔からそうだったが、客人の前でも不機嫌を堂々露わにする性格はいっそ清々しいもんだ。 「これ、駿君の手作りだよね?」 「……そうやけど?文句あんなら、食うなや」 駿はぶすっとしたまま俺の隣の椅子に座ると、さっそく淹れたての茶をすすった。 「藍原さん、よく駿が作ったって分かったな?」 「ふふっ、なんとなく」  駿の料理の腕はかなりのものだ。沢庵やポテチのかけらが入ったチャーハンも、見た目は微妙ながら味は悪くない。このマンションも、駿の要望で最新のシステムキッチン設備が整えられていて、皿に並べられたクッキーは市販に匹敵する完成度を誇っている。 藍原さんは「勘が当たっちゃいましたね」と笑っていたが、一目みて言い当てるとは意外だった。 「こいつ、変な女やろ?」 「駿は、クラスで料理の話とかしてるのか?」 俺は、小声で隣の駿に問いかける。 「そんなんわざわざ言うか。別に自慢したいから作ってる訳やない」 「……そうだよな」  その後は当たり障りのない話に終始し、藍原さんの事は良く分からないままだった。ただ、駿と藍原さんが‟ただのクラスメイト”なのは間違いないようだ。 「今日はありがとう。とっても楽しかった!」 「もう満足やろ。ええ年の女が、男の家に来たいとかねだるもんやないで」 「いいじゃない。クラスメイトだもの」 「こっちは迷惑なんじゃ!」  玄関先では、駿と藍原さんが痴話げんか?を始めていた。傍から見ているとお似合いに見えるのだが。冷やかすと本気でシバかれそうなのでやめておこう。 「晃先輩も、また会いましょうね!」 「人の話を聞けっちゅうの」  去り際の藍原さんに笑顔で手を振られ、俺は返答に窮した。 藍原さんは俺の答えを待たず、くるりと背を向けて出て行った。送っていかないのか?と駿に問いかけたら、嫌そうな顔で睨みつけられた。 「はぁ…。女っちゅーのはよう分からん。結局何しに来たんや」 駿は彼女が帰っていった後、大げさにため息をついてソファに身を投げ出した。 「あいつ、ホンマに晃に会いに来ただけみたいやな」 「え?」 「せやから、始めっからお前目当てやったんやろ。知らんけど。女ったらしやからなあ、晃は」 「そんな訳ないだろ。学年も違うし、ほとんど会話したこともないんだぞ」 そういえば、彼女は「やっと話せて嬉しい」と言っていた気がする。結局、真意は分からないけれど。 「なあ、藍原さんって、二人いるわけじゃないよな?もしくは、そっくりさんがいるとか?」 「は?なんじゃ、そら?」  何気なく口から出た言葉は、自分で言っていてもおかしなものだと分かっていた。けれど、疑惑を抱くほど違和感が強い。  たとえば、今日の彼女の発言がいい例だ。 帰宅前、俺は学校で藍原さんに呼び止められたが、彼女はオドオドするだけで会話にならなかった。俺の知っている藍原さんは、大人しくて引っ込み思案で優等生タイプの女生徒だ。俺のように一見ちゃらい男子生徒とは真逆の人物といえる。  なのに、家で改めて話してみれば、俺や駿に愛想を振りまく社交的なタイプに見えた。同一人物とは信じがたい。 「それも、晃の気ぃ引く作戦ちゃうんか?」 「駿は考えが捻くれすぎだろ!ただ、俺が知ってる藍原さんとは全然違う雰囲気だったから気になっただけだ」 「んー、まあ、そうかもな。あいつ、時々あんな感じやねん。態度が日によって違ったり、今日みたく妙に明るかったりな」 「態度が違う?それって、気分によってじゃないのか?」 人間なんだから、機嫌に左右されるのは誰しも多少あるだろう。特に女子の機嫌は一瞬で切り替わるから非常に厄介だ。が、駿は小さく首を振った。 「俺もよう知らん。基本、根暗な感じの奴やねんけど」 駿は、ソファにもたれかかっていた上半身を起こすと、珍しく真面目な顔になった。 「あいつ、学校にろくに来んのや。クラスに仲のええダチも居らんしな」 「……そうなのか」 「ああ。そもそも俺と話すようになったんは、俺があいつを助けてからやし」 ぼりぼり頭を掻きながら、駿は続ける。 「藍原、クラスでいっつも浮いとってな。一人で居残り掃除当番させられとってん」  うちの高校の掃除当番はグループ制で、一つの班は四・五人に分けられている。クラス前の廊下と教室内を清掃し、最後に班長が「清掃ノート」の項目に〇を記入して、担任教師に提出するのが一連の流れだ。 掃除箇所は少ないが、教室の掃き掃除に雑巾がけ、黒板拭き、報告など、意外に重労働で面倒臭い。 「俺な、そーいうの見てられへん性分やねん。おせっかいやと思うてんけど、何度か手伝うてやったこともあったんや。そのうちに話するようになって。一度手ぇ出した手前、無視できへんやろ。ほんで今に至るっちゅうワケ」 「ま、お人よしだからな、駿は」 「せやけど……。それも潮時かと思うてんのや。ダチ作るんもクラスに馴染むんも、自分からやらなアカンやろ?俺が助けると、あいつ努力せんようになるし、それに……」 「それに?」  俺は先を促したつもりだが、言葉を詰まらせた駿は何故か俺の顔を見つめた後「なんもない」と言って黙り込み、それ以上語ることはなかった。  俺の胸は釈然としなかったが、弟のクラスメイトを俺が気にかける必要はないはずだ。無理やり聞きだすのはやめようと自分を納得させ、その日は幕を閉じた。  鼻腔を、青い草原の香りがくすぐった。 瞼を開けば、視界一面に広がる蒼穹の懐へ包みこまれる。展開を半ば予感して眠りについたとはいえ、そっと嘆息してしまう自分がいた。 上半身を起こし、周囲を見回してみる。 そよ風が草花を揺らし、奥の茂みを揺らしたと思うと、そこからやはり『彼女』が現れた。 いつ見ても一から十まで先が読めるストーリー展開だ。次は彼女が俺の元へ駆け寄ってくるはずだから、俺は草むらに腰を下ろして待っていればいい。 ……と、思って傍観していれば、今夜は少し夢の内容が違っていた。 「うっ……」  駆け出そうとした彼女が、自分の胸元を押さえてしゃがみ込んでしまったのだ。只ならぬ状況に、俺は反射的に身を起こした。…驚いたことに、今回は夢の世界でも体の自由が利くらしく、俺は自分の意思で彼女の元へ走り寄った。 「おい!大丈夫か?」  荒い呼吸を繰り返す彼女の背中を、手のひらでそっと摩ってやる。 気休め程度かもしれないが、目の前で苦しむ少女を放ってはおけない。 「アキラ……。ごめんね……」 なぜか、彼女は俺に向かって謝罪を漏らした。息は上がる一方で、額には脂汗が大量に滲んでいる。その横顔を見守っていると、俺の鼓動が不意に早鐘を打ち始めた。無論、発作ではない。嫌なシンパシーを感じ取ったのだ。今の彼女の状態は、俺とまったく同じだった。発作を起こしたときの俺の症状そのものじゃないか。 「君も、病気なのか?……教えてくれ。どうして、いつも俺の夢に出てくるんだ?」 「わたし……」 「しっかりしろ!」  彼女は、ついにその場に倒れこんでしまった。俺は慌てて彼女の体を抱きかかえ、強く呼びかける。夢の中だとわかっているのに、背中に冷たい汗をじっとりとかいていた。 「わたし、アキラとの、約束守れなくて……」 「え?」 「ごめん、ね……」 「よくわからないけど、そんなの今は謝らなくていいから!」 彼女が譫言で繰り返すのは謝罪だけだが、俺には懺悔される覚えはない。 「……君は、いったい誰なんだ……?」 その問いかけを最後に、俺は唐突に夢の世界から引き剥がされてしまった。 「う……っ」    ぐるりと視界が反転した次の瞬間、俺は寝台の上に横たわっていた。 見慣れた自室の天井に出迎えられ、たちまち現実感に思考が塗りつぶされる。 「そりゃ、夢だもんな…」 独り言を呟くと、ずっしり重い体をベッドから持ち上げた。発作は起きなかったが、背中にだいぶ寝汗をかいている。  ベッドから下りると、ふと、金曜日の出来事が思い浮かばれた。瞼の裏にくっきり焼き付いた残像は、病院の帰りに銀杏並木で見た、白いワンピースの少女の姿だ。 「どうして、今まで気がつかなかったんだ……」 黒目がちな大きな瞳に、のびやかで凛とした通る声。微笑んだ時、くっきりえくぼが浮かぶ頬。身にまとうワンピースと一体化しそうな白い肌に、細い枝のような両足。 駿のクラスメイトで、俺と同じ保険委員だった一年生の藍原玲菜さん。彼女に‟あの少女”は良く似ていた。違うところといえば髪の毛の長さくらいか。 黒髪を二つに束ねた藍原さんとは対照的に、夢の中の少女は明るいブラウンのボブショートだった。しかし、それ以外の特徴は似通っている。  もちろん、夢と現実を混合させるなんてばかげていると思う。 たまたま俺の記憶の中の藍原さんが、夢に出てきただけの話だ。夢なんて所詮、人間の記憶を整理する脳みその現象に過ぎないんだから。  窓際に近づいて、カーテンを開ける。 朝日は今朝も変わらず、鉄筋コンクリートの塊を染め上げているだけだ。 サビついた街並みと汚染された大気に捩じれた灰の天が、俺の心を重苦しくさせる。 世界はなぜ、こうなってしまったのだろう。 夢の中の青空に、この頃の俺は感化されている。感覚が狂い始めているのかもしれない。あの世界でいつも俺を待ち構えている、藍原さん似の少女は一体誰なんだろう。 ……出口のない思考の迷路は、単調な日常には必要ないものだ。自分の頬を両手で挟み込んで軽く叩いから、俺は自室のドアを開けた。
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