第六話

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第六話

 女子大生のグループや中睦まじげに腕を組んで歩くカップルで駅前大通りが賑わう、金曜日の夕暮れ。 まだ十一月の頭だと言うのにもかかわらず、通りはすでにクリスマス装飾の電球で、ちかちか飾り立てられていた。 雑踏を潜ると、目的のケーキ店の前で俺は足を止める。 息を整えるため、一度大きく深呼吸した。  改めてまじまじ眺めれば、薄桃色の壁と入り口ドアのイチゴタペストリーが相まって、ショートケーキを連想させる甘ったるい外観をしている。シーズンごとに模様替えしているのか、店内も赤や緑のクリスマスカラーで統一された装飾が目に痛かった。  この店に思春期の男子高校生が入るのはそれなりの覚悟がいる。駿が大通りを二週していた気持ちがようやく理解できた。…かといって、ここまで来て引き下がるわけにも行かない。俺は自分に鞭を打ち、扉まで近づいていった。 「マジかよ……」  が、次の瞬間、なけなしの決意は脆くも打ち砕かれる。 入り口ドアにぶら下がった『本日は、臨時休業とさせていただきます。まことに申し訳ございません』というテンプレート札に、撤退勧告を突き付けられてしまった。 「なんでよりによって、今日休みなんだよ……」  今日は、駿の誕生日だった。 俺は駿と違って料理の腕はからっきしだし、モノづくりのセンス自体備わっていない自負がある。せめて高級なチーズケーキを買ってやるつもりだったのに、すっかり当てが外れてしまった。 「あ、あの、巽先輩です、よね?」 「へ?……うわっ?」  うなだれていると、不意に背後から声をかけられた。思わず素っ頓狂な声を上げて振り返ると、声の主は二、三歩後ずさりした。 「す、すみません。急に声をかけてしまって……」 俺のリアクションに驚いたのか、相手は目を丸くしてこちらを見つめた。大きな瞳が数回ぱちぱち瞬きを繰り返す。 「なんだ、藍原さんか…。ゴメン、変な声出して。どうしてここに?」 「あ。わたしは、今、帰りです。……たまたま通りかかって……。先輩もここのケーキ好きなんですか…?美味しいですよね」 「いや、俺は甘いものは好きじゃないんだけど、駿がケーキ食いたがってたから、買いに来たんだ」 「……そ、そうですか。お店、閉まってて残念ですね」  ぎこちないやり取りを交わしたあと、俺は藍原さんを頭のてっぺんからつま先まで観察した。外見は以前にマンションを訪ねてきた時と変わらない。変化があるとすれば、別人のように控えめな態度だけだ。 藍原さんは、俺の視線を避けるように顔を伏せて言った。 「あの、巽先輩。駿君に、これを……。その、一応、クッキーなんですけど……」 「え?」 「きょう、誕生日ですよね?クラスの子達が駿君を取り囲んで、騒いでいて……。わたし、近づけなくて」  小声で囁いた藍原さんは、俺の前にひとつの包みを差し出した。ユニコーンが描かれたふわふわの袋をリボンでラッピングした、手のひらサイズの包みだった。 「自分で渡したほうがいいよ」  俺は、彼女に袋をつき返した。藍原さんに直接手渡しされたほうが駿は喜ぶはずだ。だが、藍原さんは小さく首を振り、顔をさらに俯けて続けた。 「でも、最近、駿君に避けられていて。迷惑なのかもしれないと思うと、声もかけられなくて……」 「……避けられてる?そんな風には見えなかったけどな。この前だって俺たちのマンションに遊びに来たじゃないか」  藍原さんが俺たちのマンションに訪ねてきたのは、つい一週間前のことだ。そのときの彼女は陽気で楽しそうで、駿とも親し気に会話していたはずだ。 「えっ?」  だが、彼女は俺の言葉を聞いてはっと顔を上げた。 「そんなに驚くことじゃないだろ?藍原さんだって、駿のクッキーを美味しそうに食べてたじゃないか」 「そ、そうですか……?あ、いえ。そう、でしたよね。わたし、クッキーが大好きで……ええと。それで、駿君にお返しの意味も込めて、って……」 藍原さんは口元を手で押さえると、なにやらぶつぶつ呟いている。 「そっか、クッキー食べてたんだ。どうしよう…、間違えちゃった…?」 「は?なにか言った?」 「い、いいえ。なんでも、ないです」  それにしても、駿の手作りクッキーをぺろりと平らげておきながら、誕生日にクッキーをお返しするなんて、藍原さんはよっぽど菓子作りに自信があるんだろうか。俺が藍原さんの立場なら、同じ土俵で勝負しようとは思わない。 「良く分からないけどさ。手作りの誕生日プレゼントなら、自分で渡したほうが絶対いいと思うよ。それじゃあ、また」  藍原さんに対して納得のいかない点は多い。夢の中の少女の件もあり、彼女には一方的な不信感すら抱いていた。サッサと立ち去ろうと、藍原さんの横を通り過ぎようとした時だった。 「……待って、晃先輩!」 「え?」 強い口調で呼び止められ驚いて踵を返すと、藍原さんが俺の腕を両手でぎゅっと掴まえていた。 「な、何?」 振り解くのを一瞬躊躇った俺に気が付いたのだろう。藍原さんは腕にしがみついて、こう言った。 「先輩の知りたいこと、教えてあげましょうか?」 「……」  俺は何かに取り憑かれたかのように、こくりと頷き返していた。 「本当に、よかったんですか?わたしに付き合ってもらっちゃって」 「……別に、少しなら」  俺は、藍原さんと電車に乗っていた。付き合って欲しい場所があるというので、言われるがままついて行ったのだ。 駿は、今日はクラスメイトの開く誕生日会に出席するはずだから、帰りは遅くなるだろう。駿が帰る前に戻るつもりでいた。  俺は正直、電車が好きではない。 小・中と、親父が決めた私立の進学校に通っていた俺は、病気がちだったこともあり、毎日送迎車で送り迎えされていた。 電車に乗る機会も殆どなく、人ごみも好きではなかった。きちんと薬を服用していても発作が起きる可能性はあるし、万が一電車内で倒れ、面倒な事態になるのは嫌だった。…にも関わらず、唆されてホイホイ電車に乗っているのだから我ながら酔狂だ。  この時間帯はちょうど帰宅ラッシュで、サラリーマンや学生達で車両が混雑している。俺は彼女を庇うように入口ドア付近に立たせると、手すりをつかんで正面に立った。  移動の間は、お互いずっと無言だった。俺は藍原さんが口を開くまで待つしか出来ない。ガタンゴトンと刻まれる騒音と、周囲でひそひそ囁き合う声。どこかで誰かがした咳払い。それらを落ち着かない気持ちで聞き流しながら、三駅ほど駅を通過した頃、車内に隙間が出来始めた。乗り換えの人達が、一気に降りたのだろう。すぐ脇の座席が一つ空いたので藍原さんに座るように促したが、彼女は首を振って拒否し、俺の手を引っ張った。 「なに?」 「わたしは大丈夫です。先輩の方こそ、なんだか顔色が悪いですよ。疲れてるなら、無理しないで座ってください」 「……平気だよ」  心遣いは嬉しく思うが、女性を立たせて自分が座るとは情けない。こんな時は、より一層自分の体が惨めに思える。 「そういえば、晃先輩と駿君って、あんまり似ていないですよね。駿君は関西弁なのに、晃先輩は標準語だし……」 「ああ」 電車が揺れるたびに、つり革につかまる彼女の足元がおぼつかなくなる。制服のスカートが揺れ、彼女の白い両足も不安定に揺れていた。 「まあ、似てないだろうな。俺達、兄弟といっても、異母兄弟だから」 「……あ」  俺はきわめて平静に語ろうと努めた。隠すようなことでもないし、今どきそれほど珍しい話でもない。 「うちの親父は、金と女には目がない最低な男だった。詳しい事情は端折るけど、俺は親父の浮気相手が生んだ子供なんだよ。だから、巽の正式な跡取り息子じゃない」 「そう、なんですか……。じゃあ、あれは本当なんですか?駿君が御曹司なんじゃないかって噂が、クラスで一時期流れてましたけど」 「まあ、事実だけど。そんな噂あったのか」  俺たち兄弟は、身内ネタを吹聴する愚行は犯さない。東京で過ごすのは高校の間だけと決まっているから、無駄な問題を起こさない約束も交わしている。 対外的に、俺と駿は両親の仕事の都合で東京に引っ越してきた話になっているはずだ。 噂の出所は分からないが、一部の生徒に俺たちの事情が広まってしまったらしい。 藍原さんは、俺を神妙な表情で見つめていたが、すぐに明るい声で続ける。 「それじゃあ、もしかして庶民のわたしとは、身分違いも甚だしいってやつなのかな?」 冗談めかして悪戯っぽく笑う彼女に、俺も小さく苦笑いを浮かべて答える。 「家柄とか身分とかそんなの関係ないだろ。地位や財産なんて何の役にも立ちやしない。不治の病を治すこともできないし、死んだらあの世に持っていける訳じゃない」 「晃先輩……」  金も権力も名誉もなく、生命力さえ乏しかろうと、精一杯生きて世間に貢献し、他人を笑顔にできる純粋な人間がどこかに存在してほしい。  心のどこかでは淡い希望を捨てきれなかった。実母に捨てられ、親父に良いように扱われても、俺はまだ絶望したくないのだ。……人間にも、自分にも。 彼女は黙って俺の言葉を聞いていたが、それきり口を閉ざし、じっと車窓の外を見つめていた。
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