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第二話 脱獄
第二話 脱獄
唐突に始まった牢獄暮らしも早ひと月。捕縛された忌まわしいあの日から、一向に状況は変わる様子はなかった。
ユファ自身も、一度人間に捕まって投獄されれば、処刑か解剖に違いないと覚悟を決めていた。だが、予想に反して食事は三度運ばれていたし、牢に投獄されてからは手錠は解かれていた。
命を奪うつもりは(現段階では)ないのかもしれないが、牢の外は四六時中見張りが交代で監視しており、脱獄できる隙はない。
結局は外の世界でも軟禁(投獄)されているユファは、自分の運命を呪いつつ、牢の隅で力なくうずくまるだけの時間を過ごしていた。
――このまま牢の中で野垂れ死ぬか、何時か訪れる処刑を待つだけなんだろうか。
ユファの脳裏には、絶望に満ちた未来しか思い浮かばなかった。
が。
「何者だ?」
「?」
突然、地下牢の入り口の扉が開けられる音が聴こえた。監視役兵士が訝しげにそちらへと振り返り、声を掛ける。
「まだ交替の時間ではないだろう?」
鉄と鉄が摩擦で擦れるガシャンという騒音と、一歩一歩迫る靴音が地下牢全体に響き渡る。だが、侵入者側からの返答だけは一向に返ってこない。
「おい、聞いているのか?……止まれ!」
見張りの兵が声を荒げたのをきっかけに、ユファも事態の異様さに気づいて視線を上げた。侵入者は銀の甲冑を身につけ、頭部は甲冑と揃いのアーメットヘルムを被っており、背には朱色のマントを羽織っていた。外見から判断すれば、アイスベルグ王宮警護兵の一人だと言うのは分かる。――不審な新参兵に向かい、見張りの兵士も歩み寄っていく。獄中から傍観するユファは、成り行きを見守るしかできなかった。
「……堪忍な」
「グッ……」
が、ユファが鉄格子に近づこうとしたその瞬間、見張りの兵士が呻き声と共に、膝から崩れ落ちてしまったのだ。
「……えっ?」
目の前の展開に感情が付いていけないまま、ユファは唖然と声を漏らしていた。新参者の兵士(?)が見張り交代で牢に来たとしても、仲間の兵を気絶させる必要は無いはずだ。
「よーう!」
混乱中のユファを意に返さず、謎の兵士は左手をひょいと軽く上げる動作をすると、知人と交わすような馴れ馴れしい挨拶をした。
「はい……?」
牢獄環境に似つかわしくない間の抜けた挨拶に呆気に取られ、ユファはぽかんと口を開けるしかない。
「今、開けたるで」
「……なっ?あなた、今開けるって……?」
――不法侵入に続き、更にユファの混乱は加速した。新参兵は、倒れた見張り番から拝借したじゃらじゃらとした鍵の束を握りしめて、鉄格子に近づいてきた。
ユファは檻からとっさに離れ、牢の壁に張りついて身構える。人間の仕掛けた罠の可能性があるからだ。しかし、ユファの思惑に反し、兵士はあっさりと牢の扉を開けてしまった。
「どないした?これで、お前は自由やで」
「……」
(一体どういうこと……?)
ユファの脳みそをぐるぐる巡る疑問は、次の瞬間、一気に唇をこじ開けて飛び出した。
「あなた誰?なぜ私を助けるの?あなたもこの国の人間で、私を捕まえたアイスベルグ兵士の一人よね?わたしを牢から出す意味はなに?あなたたち人間の目的は一体なんなのよ!?」
ただでさえ、長い獄中生活で誰かと会話する機会も無かった。ひと月抱いていた不安を胸中に一人で抱え込むのは、もう限界だった。
「ああ?」
すると、ユファに問いを投げられた兵士は、アーメットヘルムごしにも分かるほど、重苦しいため息を吐き出した。
「お前なあー……それが、命の恩人に対する態度かいな?まあ、ええか。……俺は確かにこの国のモンやけど、兵士やない。ほんで、どういうつもりも何も無い。お前を逃すんはただの、俺の気まぐれや」
「はあ?」
――この人、単なる気分でわたしを逃がすって言った?
ユファが驚くのも無理はない。アイスベルグ兵の扮装をした謎の男は兵士ではなく、脱獄に協力する目的も無いというのだから。ユファは目を丸く見開き、開錠された鉄格子を見つめていた。
「外に出たいんちゃうか?」
牢の壁に張り付いたままのユファに、兵士は手招きするような仕草を見せる。
「……外に出る……」
人間に囚われたまま、獄中で一生を終えるつもりはユファにはない。が、今更逃亡した所で、帰る場所はあるのだろうか。ハメルの里は人間に焼き尽くされ、両親を亡くし、「一緒にヴォルベレーへ行こう」と誘ってくれたルイスの手を拒絶した自分を、受け入れてくれる場所などあるのだろうか。
「自由にはなりたい、けど……。何処へ行けばいいのかわからない……。もう、居場所を失ってしまったから……」
「それがどないした?居場所なんてもんは、手前でつくるもんやろ」
「え?」
「誰かが与えてくれたもんだけが、お前の居場所やない」
ユファは、はっとして兵士の顔を凝視した。……とは言え、ヘルムを被っているせいで、相手がどんな表情をしているか全く分からない。
「貴様、何者だ!そこで何をしている!」
「おっと。気ぃつかれたなあ」
ユファと男が会話を交わす間に、騒ぎを聞きつけた別の王宮警護兵が牢の入り口に現れた。
「お前、名前は?」
「な、何?……いまはそれどころじゃないでしょ、兵士がこっちに……」
ユファは、新たな警護兵の接近に身を硬くする。呑気に自己紹介している雰囲気ではない。が、そこで痺れを切らしたように舌打ちをした謎の男は、ユファの腕を強引に掴むと、牢の外へと引っ張り出した。
「きゃあっ?」
「俺は、駿里っちゅうモンや。お前は?」
「ちょっと、離して!」
ユファの返事も待たず、勝手に自己紹介を済ませた駿里という男は、ユファの手を引いたまま、警護兵に突進するかのような勢いで駆け出して行く。
「待って、待ってったら……!」
引きずられるように走りながら、ユファは必死に駿里の腕を振りほどこうともがいたが、ビクともしない。牢獄暮らしで体力も気力もすり切らしていたユファに抵抗する力は残っていなかった。
このままでは、得体の知れない「シュンリ」という男と仲良く無理心中だと、ユファは心中で嘆いていた。
「貴様!ファルケの魔物をどこへ連れて行くつもりだ!」
警護兵は、逃亡しようとする駿里へ向けて、腰に下げた鞘から剣を引き抜いて大きく振り下ろした。
「……!」
――殺される!ユファは覚悟し、ぎゅっと瞼を閉じた。しかし、ユファがいくら衝撃に備えても、その切っ先が身体を引き裂くことはなかった。
「けったいやなぁー、ええとこやのに。邪魔すなや」
駿里がふざけた一言と共に、警護兵を後方に吹き飛ばしていたからだ。……それも、素手で。
「なっ?」
少なくとも、ユファの目にはそう見えた。駿里が左手を広げ、警護兵へ突き出した。ただそれだけの動作だった。――にも関わらず、警護兵は見えない壁にぶつかって弾かれたように吹き飛ばされ、牢の檻に激しく体を打ち付けた後、ぐったりその場に蹲ってしまった。強固な鉄檻が湾曲して、原型を留めぬほど歪んでしまっている。
「……あなた、何者!?」
――この人、ただの人間じゃない。人間は軍事力や武力に頼り、力で他者を制圧する生き物だったが、双翼の民の使う空術のような特殊な技は持たない種族だ。ユファは見たことも聞いたこともない力を操る男に、言い知れぬ恐怖を感じた。
「さっき言うたやん。駿里やって!」
「馬鹿っ、そういうことじゃないわ。あなた人間じゃないでしょ、何なの、あの力?……わたしを逃がしてどうするつもりなの!?」
「しーっ!とにかく、詳しい話は後や。また兵士が来よったら、面倒やろ。まずはこっから出よか」
「出るって……まさか、あなたと一緒に?」
「俺ももう、ここにおる理由あらへんし。一緒に出ようや」
「意味が分からないわ!」
ユファの質問には、駿里は答える気がさらさらない様子だ。
「どうして……?あなたには関係ないじゃない。そもそもわたし、あなたのこと全然信用できないわ。本当に何者なの?」
「だーかーら、ナニモンもなにも、俺は駿里やって……」
まくし立てるユファの言葉には耳を貸さず、駿里は頭部を覆っていたアーメットヘルムを外した。
「お前が俺を、信用できへんのはよう分かる。せやけど、俺は少なくともお前よりは強いし、腕も立つ。ここを出んなら、護衛として役に立つと思うで?」
ヘルムの下に隠された駿里の素顔に、ユファは思わず息を呑んだ。
闇夜を映し取ったかのような漆黒の毛髪。短く切りそろえられた髪の毛先は、重力に逆らい針山のごとく立ち上がっていた。アイスベルグの人間の容姿は、柔らかい金髪と新緑の瞳が特徴だ。
駿里の姿はこれまで見た人間の誰とも違っていた。瞳の色は闇色。左目は長い前髪に覆われ殆ど見えないので分からないが、右目はやや釣り目で切れ長だった。鋭利な視線に射抜かれ、ユファは一瞬喉がつまってしまう。
「あー、重っ。辛抱しとったけど、もうアカン!この鎧、おっさん臭くて敵わんわ。しんどかったあ」
ヘルムに続いて、駿里は鎧も脱ぎ捨てていく。鎧の下は上下ともに、黒い衣だった。頭からつま先まで夜色に包まれる中、腰に巻いた二重の太いベルト部分とこげ茶のブーツ。背に纏う、群青色の長いマントが派手やかにみえる。マントの裾は先が破れ、ところどころ血痕で汚れていた。
「あなた、やっぱりこの国の人間じゃないのね?」
「いや。今はワケあって、この国に住んどるでー」
「……今は、ってなに?本当は違うの?それに、あなたの喋り方……アイスベルグでは聞いた事ないんだけど」
「ほーう。俺のルーツが知りたいとは、なかなか見所あるやないかい。まあ、そう焦らんと。これからゆっくり知り合うてけばええやろ?」
いくら真剣に問いかけても、駿里は明後日の方向に話を持っていくばかり。ユファはどこから突っ込んで良いか言葉を失った。
「答えてくれないならもういい。とにかく、牢から出られたんだし、私は城を脱出するわ。でも、まだあなたを信用は出来ないから一人でいく」
牢を開けてくれたのは有難いが、質問に一切答えない駿里をあっさり信じるのはユファにはできなかった。ユファは駿里を振り切り、牢の入り口を真っ先に出て行こうとする。
「アカンて、落ち着けや!そっから出たら、外は兵士がワンサカおるで!」
「他に、出口なんてないもの」
が、ユファが地下廊下を進んでいけば、駿里も付き人のように後ろを追いかけてきた。
「ついてこないでったら!」
「ええから、待てってゆうとるやろ!」
呼び止める駿里の声が耳に届くと同時、ユファの眼前には、ゆらりと銀色の刀身が現れた。
「……!」
瞬く間に切っ先が喉元に突きつけられ、ユファは思わずしりもちをつく。
「逃さんぞ、ファルケの魔物め!」
駿里が侵入した時点で、すでに不審な兵の情報は広まっているだろうし、これだけ大騒ぎをすれば、次から次へと兵士が駆けつけて来るのも当然のことだろう。
「ほうら、言わんこっちゃない。そこどけえ!」
兵士の剣がユファの喉を貫くよりも早く、〝例〟の奇妙な技が駿里の掌から繰り出されていた。
ユファを庇うように前に飛び出した駿里が、自身の左腕を兵士の顔面に突き出したかと思うと、先ほど同様に軽々ふき飛ばしてしまったのだ。
「どアホぅ。正面から行ったらアカン。こっから、出られる。」
「あの、助けてくれてありがとう……。それで、ここって……?」
駿里はにかりと微笑むと、ユファの手を取って立ち上がらせた。そして、牢の突き当たりの壁を得意げに顎で指し示した。
「壁よ。行き止まりでしょ?」
「はははー。よお見とき。」
「え!?」
――まさか。いや、そんなはずはない。しかし、駿里の行動を見ていれば、ユファの悪い予感は恐らく百パーセント当たりだろう。
「うおりゃああああああああ!」
次の瞬間、駿里の左手が煌々と輝きだし、掌から丸い光弾が編み出された。駿里はその球体を牢の壁目がけて飛ばし、衝突させた。岩壁はガラガラ騒音を響かせながら、大量の粉塵と共に崩れ落ちていった。
「ちょっと!こんなに騒いだら、兵士がみんな集まって来ちゃうじゃない。正面突破と変わらないでしょ!?」
「そうやなあ。だから、はよう逃げるでー」
「もうっ、あなた、実は何も考えていないんでしょ!?」
駿里はとくに悪びれる様子もなく、ユファの腕を引いたまま、打ち砕いた壁の先へと駆け出した。風を切るとは、正しく今の状態をを指すのかもしれない。
ユファは駿里のスピードについていくのに精一杯で、足がもつれてしまいそうだった。まだ捕まった際の体の傷は癒えておらず、貧血でめまいがする。
「お前、イケるか?」
「……う」
息苦しさで声も出ないユファを見かねた駿里は、急にぴたりと立ち止まると、ユファを腕に抱きかかえ、荷物のように右肩に背負いかつぎあげてしまった。
「ひゃああ!?な、何してるのよ?」
まるで丸められた絨毯か巻物の扱いだ。素性も知れない男の肩に載せられている状態に、ユファの頬は羞恥で一気に熱を帯びた。駿里の背を力任せに叩き抵抗するものの、その程度ではまるで効果がない。
「お前、名前は?まだ訊いてなかったやろ?」
「ええっ?」
「これから運命共同体なんやで?自己紹介くらいせんと!ほれ、名前、名前!」
ユファが暴れているのもそ知らぬふりの駿里は、楽しげに笑いながらそんな事を言う。
「わ、わかった!言うわ、言うから下ろして!私は、ユファ……!」
「よっしゃあ!しっかりつかまっとけよー。行くで、ユファー!」
「だから、下ろしなさいってばっ!」
――駿里も、駿里の力も、投獄からの唐突の解放の理由も謎のまま……状況だけが急激に動いて、ユファの理解を易々と越えていった。
しかし、この出逢いこそがユファにとっての運命を大きく変える、新たな物語の始まりだった。
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