第三話 飛翔

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第三話 飛翔

第二話 飛翔  地下牢の壁を崩し新たな通路を切り開くなんて、ユファの発想にはなかったことだ。駿里に担がれた状態では抵抗も出来ず、走るに任せているしかない。 ――ユファが一切身動きの取れないまま、どれくらい地下通路ならぬ〝壁通路〟を抜けた事だろうか。壁を突っ切った先は、とある部屋へと通じていたようだ。 「ねえ、出口じゃないみたいだけど?」  駿里は室内で立ち止まって肩からユファを下ろすと、荒い呼吸を暫し整えていた。 どうやら辿り着いた部屋は、城内に住む貴族の一室のようだ。 豪奢な装飾品の数々に、天蓋付きの円形型ベッド。天井には水晶と真珠で煌びやかに輝くシャンデリアがぶら下がっていた。内装は黄金の壁紙で、視界の端に入るだけで目がチカチカする。 「ここ、骨董収集家貴族様の部屋やねん。お前の指輪、コイツが持ってるんちゃうか?珍しいモンに、目ぇなかったはずやからな」 駿里は、牢の穴から兵士が追って来ないように、駆け抜けて来た通路を〝例の光弾〟で破壊し、瓦礫で塞ぎながら言った。 「……指輪?」  ――確かに、ユファは空術(くうじゅつ)の媒介である銀の指輪を失くしていた。深手を負い兵士に捕まった状況では探す暇もなく、諦めるしかなかったのだ。 「なんで、あなたがわたしの指輪のこと知っているの?」 「兵士が話しとったん小耳に挟んでな。ファルケの魔物を捕らえた時に、なんや珍しい石がついた指輪拾ったー、言うとった。大事なもんなんやろ?取り返してから出よか!」  ユファは探る様な眼差しを駿里に向けたが、駿里は気にした素振りも見せず、さっさと部屋の中を物色し始めた。 駿里の謎も気にかかる所だが、今は一刻も早く、アイスベルグ城を脱出しなくてはならない。王宮警護兵達は、牢から脱走したユファを探し回っているはずだ。 「これみて!」  室内を二人で捜索していると、寝台の奥の壁に大理石で出来た強固な二枚扉を発見した。 扉は滑らかな表面とは裏腹に、ユファが全力で押しても引いてもビクともしない頑丈さだ。鍵穴らしきものも見当たらず、目立った突起物やくぼみもない。 「ほーお。大層な入口やないかい。ぎょうさんお宝を隠しとるんやろうなあ……!」  駿里は扉と格闘するユファの傍らに立ち、指をボキボキ鳴らしては不遜な笑みを浮かべていた。駿里のニヤついた表情を見たユファは、本日二度目の〝なんだかとっても嫌な予感〟を感じた。 「よっしゃあー!!」 「あなたの頭は、それしかないのっ?」  ツッコミを入れたものの、時すでに遅し。駿里の左の掌から放出された光弾が、大理石の扉目がけて勢い良く激突した。 ……が。牢の壁を粉砕したり、人間を吹き飛ばすほど強力な光弾とはいえ、今回ばかりは一撃粉砕とまではいかなかったようだ。 「くっそー……。なかなかやるやないかい……。これ……実は結構、疲れるんやぞ」  駿里はぶつぶつ愚痴りながら、もう一度左手を構えた。 額には玉のような汗が滲んでいる。光弾の原理は今の所不明だが、先ほどからあれだけ連発していれば、肉体に負担がきてもおかしくない。ユファは駿里を止めようと声をかけた。 「待って。無理に破壊しなくても、解除する仕掛けがどこかにあるかも知れないでしょ?」 「そないなモン、探しとるヒマあるかい!」  この手の宝物庫の扉を開けるには、たいてい仕掛けの解除がつきもののはず。ユファは「室内をもう一度調べよう」と提案するが、駿里は全く聞く耳を持たないようで……。 「おんどりゃあああああああああ!!」 「あなた、本当は調べるのが面倒なだけなんじゃないの!?」  駿里は奇怪な雄たけびを上げながら、二発目の光弾を放った。 絶対にこの人は不精なだけだ。間違いない。ユファはこの瞬間、はっきりと確信を持った。駿里の光弾は一発目と同じ箇所に命中し、表面に大きく亀裂が走った扉は、地響きの様な騒音を響かせながら、盛大に崩れ去っていった。 「ふーっ。手ごわいヤツやったなあ……」  完全に扉が崩れ落ちると、駿里は額の汗を腕で拭いながら、積もった石の破片に腰を下ろした。 「ちょっと、大丈夫?」  ユファが顔を覗き込もうとすると、駿里はパっと頭を持ち上げ、「どんなもんじゃい!」と笑ってみせた。疲労の色は滲んでいるが、駿里の笑顔にユファもほっと安堵の息を吐いた。 「ほな、急いで探そか」 「ええ、そうね――……」 「おい!そこで何をしている!?」  ――外で兵士が叫ぶ声と、部屋の扉をガンガンと叩く音が聴こえたのは、その直後のことだ。……あれだけ派手に破壊行動を行えば、気取られるのは無理もない。扉を蹴破って兵士が突入してくるのは、時間の問題だ。 「指輪って、どんなんや?」  二人が踏み込んだ宝物庫の中は、想像を絶する空間が広がっていた。 赤い絨毯が敷かれた床の上に、物珍しい形状の壺ばかりが所狭しと整列しており、壁面はどこかで一度は目にした事のある有名な絵画がびっしり飾られていた。 目を引くのは、骨董品ばかりではない。古今東西――世界中の武器庫から収集したと言わんばかりの、剣、槍、弓……あらゆる武器の数々が、銀細工の飾棚の中に納められていた。 「……おっ、これか!?」  床に転がっていた金の指輪を拾った駿里が、得意げな顔でユファの前へそれを突き出してみせた。純金製の指輪には、中央に眩く輝くダイヤモンドが埋め込まれている。 「そんなに無駄に煌びやかで、悪趣味な指輪じゃないわ」 「はぁ?お宝っちゅうもんは、これくらい目立ってなんぼやろ」  ――駿里にまともに付き合っていたら、一生見つかりそうにない。 ユファは気を持ち直すと、高級そうな装飾品がこぞって飾られているアンティークの戸棚を漁り始めた。 「出て来い、ファルケの魔物!」 「……っ」  しかし、ついに部屋の扉が兵士によってこじ開けられ、数人の兵士がどかどか室内へ駆け込んで来てしまった。 「ユファ、お前は指輪とっとと探せや。俺があいつら、片付けたる」 「えっ……!?」  顔面蒼白のユファを置き去りに、駿里は一人で宝物庫の外へ飛び出していった。 駿里の〝不思議な力〟があれば、生身の兵士程度は楽々処理できるかもしれないが、一人で大人数を相手にするのは、いくらなんでも無謀に思えた。 (早く見つけないと……)  媒介の指輪があれば、ユファは空術を使うことが出来る。ユファの父・オリオンが、ユファの十五歳の誕生日にプレゼントしてくれた大切な宝物だった。 「どうしてこんなに沢山あるのよ!?」  左右の飾り棚の上一面、また無数の引き出しの一つ一つにギッシリと、ありとあらゆる種類の装飾品が詰め込まれている。 数多ある宝石の中から、たった一つの指輪を発掘するのは、大海原の中から一かけらの砂粒を拾い上げるようなもの。心が折れそうになりながらも、ユファは手だけは懸命に動かし続けた。 「貴様は何奴だ!?ファルケの魔物の一族か?」 「やかましい!俺は、駿里やっちゅーの!魔物ちゃうわ、ボケぇ。」 瓦礫の向こうからは、駿里と兵士のやり取りが聞こえてくる。ユファは、室内の埃と塵で咽びつつ、必死に宝石の山を掘り起こしていた。 「おいッ、居たぞ、ここだ!」  時間ばかりが無情にも過ぎていき、部屋に増援の兵士が群れてくる。さすがに駿里が気がかりで、ユファは瓦礫の隙間からちらりと室内の様子を見やった。武器を持つ兵士相手に、駿里は相変わらずの丸腰だ。 「なに、あの動き?」 ユファは、多勢に無勢で戦う駿里の身のこなしを目撃し、ハッと息をのんだ。 四方八方から繰り出される攻撃を、駿里は隙の無い動きでひらりひらりとかわしていくのだ。  ――それも、ただ回避しているだけではない。右肩目がけて切っ先が掠めれば、左に軽く身を捩り、避けた先に突っ立っていた兵士の腕を捕まえると、そのまま自分の正面に居る兵士へと投げ飛ばして、同士打ちへと追い込んでいった。 「喰らっとけえ!」 後方から襲い掛かって来る兵士も同じだ。ひょいっと身を屈めて襲撃を避け、相手の背中に隙が生じた瞬間に、的確な平手突きをお見舞いして床へ沈める。 兵士は鎧を装備しているため簡単に致命傷は与えられないが、〝例の光る障壁術〟と組み合わせた平手突きの威力は、想像を絶するものだった。 ユファは、しばし呆然と駿里の姿を見つめてしまった。 (あんな戦い方、見たことない。素手であそこまで戦えるなんて……) 「ぐあッ……?何晒すんじゃあ、アホンダラァっ……!」 「シュンリ!」  ここまで駿里の戦いぶりを傍観していたユファだったが、駿里の苦しげな声を聴き、漸く我に帰った。一対一なら駿里は負けない筈だが、この状態では大技を繰り出すゆとりがなさそうだ。容赦なく振りかざされる兵士達の斬撃が、徐々に駿里の体に傷を刻んでいく。 ――ユファは自身のやるべきことに集中した。早く指輪を見つけなければ、自分の代わりに駿里が殺されてしまうかもしれないのだ。 がむしゃらに宝石を掘り起こしながら、ユファは涙が溢れそうになるのを堪えた。 もう、自分のせいで誰かが傷つくのはイヤだ。 誰にも、死んで欲しくない。 ユファの脳裏に、焼け落ちていく里の光景が浮かんでは消えた。 別れの瞬間に見たオリオンの微笑みや、負傷したルイスの姿も。 ……たくさんの思い出を、置いて来てしまった。 だからこそ、ここで諦めることはできない。  ユファは手のあちこちを傷つけながら、黄金の塊を掘り起こす。すると、ギラギラ存在を主張するアクセサリの山から、深く蒼い輝きがちらつくのを見た。 「あった!」 ――白銀の輪の中心に埋め込まれた、蒼穹の宝石。ユファがこの青を、見逃す筈もなかった。故郷の空と同じ、澄んだ空色だ。 「ここかっ、ファルケ!おとなしく牢へ戻れ!」 ユファが、やっと指輪を取り戻した時。 ついに宝物庫の扉の瓦礫を掻い潜り、警護兵の一人が中へ踏み入ってきた。 「くっ……」 唇を噛みしめて、ユファはじりじりと後ずさりする。壁際に追い詰められては逃げ場はどこにもない。 ――これまでか。 ユファが左手人指し指に嵌めた指輪にそっと触れ、両目蓋を閉じた時だった。 「待たんかい……。己の相手は、俺やろうが……」 「シュンリ!?」  ユファに接近する兵の背後に、駿里が立っていた。駿里は口の端から血を垂らしながらも、闘志だけは瞳に滾らせ、左手を突き出している。体には痛ましいほどの切り傷が刻まれていた。漆黒の衣は夥しい真紅の血液で汚れ、その戦闘の激しさを物語っている。 「――貴様、まだ息が合ったか」 兵士は、背後に立つ駿里の姿を見定めると、標的をユファから再び駿里へ移した。同時に他の兵達も、駿里を取り囲むように集まっていく。駿里はすでに立っているのがやっとだったのか、その場に膝をついてしまった。   この絶体絶命の状況で、ユファは自分の取るべき行動を悟った。頼りなく震える自分の体を叱りつけながら、祈るような気持ちで言葉を紡ぐ。 「お父さん、お母さん。この力、人間の前で使うことを許してね。――我らが礎、レーベンよ。いま一度、私に翼を与えて……!」  宣誓の言葉と共にユファの背に『双翼の民』の証が戻った。 両翼は、空から落下した時のように縮こまっておらず、ユファの意思を受け取って確かに応える。翼を広げたユファは、これならもう一度飛べると確信した。 「なっ?ば、化け物だ……」 「ファルケが翼を現したぞ!」  陸空対戦が終結した昨今では、双翼の民と人間がまみえる機会は皆無に等しい。 いくら伝承や噂で知識は有っても、王宮警護兵の中には実際に双翼の民を見た事の無い者が大半だろう。兵士達がどよめき始めた好機を、ユファは逃さなかった。 包囲網を宙に浮かび上がって突破すると、蹲る駿里の元へと飛翔し、その右腕を掴んで天井付近まで一気に舞い上がったのだ。 「シュンリ、シュンリ……しっかりして!」 「……ああ……、平気や」 「ファルケが飛び上がったぞ!銃だ、銃を持て!」  警備兵の一人が、装備していた拳銃の銃口をユファに向けた。が、手が震えて狙いが定まらないのか、まるで見当違いの方向へ発砲している。 身軽であれば、銃弾を避けつつ飛ぶ事はユファにもできるが、今は駿里を連れている状態だ。なんとか浮かび上がったは良いものの、駿里の体はユファの想像以上に重かった。城内を飛び抜けるどころか、途中で力尽きて駿里の手を離してしまうかもしれない。 「ユファ、行け……天井……の……」 「え?」  すると、ユファに右腕を引かれたままぐったりしていた駿里が首を持ち上げ、血に濡れた左腕を天井へと向けた。 残された力を搾り出すかのように、例の光弾を天井目掛けて放出したのだ。これまでの光弾と比較にならない程の小さな球ではあったが、城の天井の一部に僅かな亀裂を入れる威力はあった様子だ。 「……!」 ――駿里が作ってくれたチャンスを、逃してはいけない。 ユファは天井の亀裂一点に意識を集中させ、人差し指の指輪をかざした。 「お願い!お父さん……みんな……力を貸して……!」  空術とは本来、生物の生命力に働きかけ、傷を癒すための術だ。ユファは両親やルイスからそう教わってきた。しかし、今はなりふり構っていられない。ヒンメルの宝石は空術の媒介。強いエネルギーが宿っていることは間違いない。ユファは、縋れるものには何でも縋るつもりだった。ハメルの里のように、もう誰一人として犠牲者を出したくない。  ヒンメルの宝石は、ユファの意志に反応して青く煌めきを放ち始めた。 宝石から一直線に伸びた光は、天井の亀裂へ一直線に突き刺さる。一矢の光に貫かれた天井は、見る間にそのヒビを拡げていき、刹那、ガラガラと崩落し始めた。  ユファの眼下では、兵達がアラレのように降って来る天井とシャンデリアの破片に大わらわ状態だった。ユファは生気のない駿里の腕を引きながら、天井の穴の先に覗く、青空を目指した。 ヒンメルの宝石の力か、それとも火事場の馬鹿力だったのか。ユファの体は、まさに羽そのもののように軽くなっていた。 男性を引きながら一気に空へ上昇しているにも関わらず、見えない力に後押しされているかのように飛行能力が向上している。 ――ルイスが言っていた「双翼の民の翼は心の強さに直結する」というあの言葉を、ユファは身を持って実感していた。  一ヶ月ぶりに浴びる眩しい陽光に、目が眩んだ。羽ばたけば羽ばたくほど、ユファの頬を懐かしい風の感触が撫でていった。 駿里と共に、ユファは城下を飛び抜けていく。目的は、アイスベルグ首都・アイシアの街の西門。そこからアイスベルグを脱出する心算だ。 全速力で飛行する間、大通りを歩く人々が悲鳴を上げながら、ユファを指差すのが見えた。口々に「魔物が空を飛んでいる」と、騒ぎ立てる声が耳に届く。多少人目に付くのは致し方ない。いずれにせよ城を脱出すれば、噂は城下に広まるのだ。今は些細なことにいちいち構っている余裕はなかった。 駿里を安全な場所に匿い、空術を施さなければならない。このままでは、本当に命を落とす可能性があった。 ――ユファが左手人差し指をちらりと眺めると、ヒンメルの宝石の光が収束を始めていた。石の力が消えかかっている気配がある。天井を破って城を脱出する際に、力を使いきってしまったのかもしれない。 「ホンマに、綺麗な色やな……。その、羽……」 「しっかりして、シュンリ。わたしも頑張るから」 「俺は、ずっと、会いたかった……。ずっと、あの青い空を、飛べたらって……思うてた……から」    ユファの呼びかけに、駿里が何事か呟く声が微かに聞こえたが、それは直ぐ、舞い落ちる羽根と共に風に散っていった。
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