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第五話 おにぎりさん
「ねえ、まだ聞き足りないことが山ほどあるんだけど。とにかく、これだけはハッキリ答えて。……わたしを助けた理由はなに?」
「やから、それは言うたやろ?ただの気まぐれやって!」
闇宿りの森の奥、清らかな水を湛えた泉のほとり。ここはユファが暮らしていたハメルの森より薄暗く深い森だが、人間の住む王都に身を潜めるよりは精神的負担が少ない。
双翼の民は、狩りや採取で自然の恵みを得る一族だが、まさか野生の獣を食すとはユファも予想だにしていなかった。
焚き火の炎がゆらゆら揺れ、串刺しならぬ‟枝刺し”にしたヴィントの肉を一本一本駿里が並べていった。ヴィントの死体を解剖した料理担当(?)は駿里だが、その過程はユファの口からはおぞましくて言えない。
「わたしを助けたのが気まぐれとしても、なぜ城にいる必要があったの?あなた兵士じゃないんでしょ?」
「――野暮用があった。そのついでに、お前を助けたんや」
「用事って……城に潜入する必要があるほど?」
王都の城に潜り込む用事が一般人にあるとは思えない。そもそも、門番や警護兵の目を潜って侵入するだけで命がけだ。見つかればユファのように投獄か、処断されるだろう。
「野暮用の理由を聞くのは野暮やって、昔から言うやろ?」
「でも、どうしても納得いかないんだもの!」
駿里の説明は肝心な部分を端折りすぎていてちっとも要領を得ない。駿里はユファの不満もどこ吹く風で、地面に刺したヴィントの串刺しを一本つかみ取った。
「お前だけが俺のこと訊くんは不平等やろ。俺からも質問させてもらおか。お前が答えたら、俺も答える。これでどないや?」
「まあ、そう言われればそうね…」
駿里の(意外とまともな)意見に、ユファはぐうの音も出なくなった。確かに質問攻めしているのは自分ばかり。相手の言うことも一理あると思い、ユファは提案に乗ることにした。
「それで、なに?聞きたいことって?」
「スリーサイズは?」
「……………」
ユファは地面の木の枝を一本握るとゆらりと立ち上がり、いつでも振り下ろせる体勢で構えた。――狙いは駿里の頭部オンリーだ。
「あーーーー!ストップ、ストップ!そないな物騒なモンで、人殴ったらアカンって!落ち着いて、ユファちゃ~ん!」
――この男も皮を剥いて、丸焼きにしてしまいたい。ユファはぎりぎり奥歯を噛みしめて憤りを堪える。
「ほらほらー。質問したいんやったら、答ええ!」
「…くぅっ…」
まさか、駿里のヒミツと自分のスリーサイズが交換条件なんて、ユファは思いもよらなかった。
「そんな事訊かれても、測ったことないの!」
基本的に露出を好まない双翼の民の女性が着る衣装は、ゆとりのあるワンピースばかりだ。ウエスト部分を飾り紐で縛ってサイズ調節している。そもそも、身長や体のサイズを測る習慣自体が一般的ではない。これも人間と双翼の民の違いの一つだった。
「またまたぁー、とぼけちゃってぇ。そないな訳ないやろ、ええ歳の女子が」
「いい歳って……さっきも言ってた気がするけど、あなた、わたしの年齢まで知ってたりするの?」
「……」
疑いの目でユファが駿里を睨むと、駿里はとつぜん無言になりむしゃむしゃ肉にかぶりつき始めた。単に空腹の限界なのか話を逸らすつもりなのかは定かではないが、ユファとしては気が気ではない。
「……あなたのおかげで助かったのは感謝してるけど、出会ったばかりの女の子を問答無用で連れ出すのはただの‟変質者”なんだからね!」
「はははーっ。まあ、似たようなモンやから気にせんと。お前も食えや!」
「似たようなモンって何っ!?あと、その肉は断じて要りません!」
駿里はけらけら笑いながら、ユファの前に串刺し肉を差し出した。ユファが受け取り拒否すると、駿里は躊躇なく自分の口にそれを放り入れた。結局、自分が食べたいだけじゃない。ユファはガックシと肩を落とした。
「はあ……」
肉にがっつく駿里の姿を見つめがら、今日は奇妙な一日だとユファは思った。素性も知れない人間の男とヴィントの肉を仲良く囲い、サバイバルに適応している自分が夢のようだ。
人間と共にいる姿をヴォルベレーの里の祖母や亡くなった両親が見たら、何と言うだろう。……もしかしたら、一族の仲間に幻滅されてしまうかもしれない。
「お前もちっとは食え。ホンマは腹減っとんのやろ?」
物思いに耽るユファに気がついた駿里は、腰のベルトの一本にぶら下げた小さなポシェットから、奇妙な包みを取り出した。掌で握り締めると、ユファに向かって「やる」と言いながら差し出す。
「なに、これ?」
銀色に輝く硬い紙で包装された丸い包みだった。駿里が表面の紙を剥がしていくと、中からは黒くて得体の知れない手のひらサイズの塊が出てきた。
「じゃじゃーん!オーニーギーリさーんや!……この国には無い食いモンやったな。一個だけ持っとったん、忘れとったわ」
「おにぎりさん?」
変わった名前の物体をまじまじ観察しながら、ユファは首を傾げた。食べ物に「さん」づけなんて聞いたこともないし、黒い食物を見たのも初めてだった。ユファが訝しげにしていると、駿里は眉を下げて苦笑した。
「……本当に、食べ物なの?」
「俺が食おう思って、自分で持っといたやつや。せやから、毒も入っとらんし変なモンでもないで」
実のところ、獄中ではユファは殆ど食べ物を口にしていなかった。環境が劣悪なのに加えて、人間の食事がお世辞にも美味しいと言えない硬いパンと具なしスープだったので、食欲が削がれる一方だったのだ。
「安心せえ、これは美味いで。ちゅうても、誰がこしらえたとこでオニギリさんの味なんぞ大差ないんやけどな!」
「これ、あなたが作ったの?」
ユファが不思議そうにオニギリさんを眺める様子に、駿里は照れくさそうに頭をかいた。そのときだった。
きゅうるるるるぅぅぅぅ………。
どこかで聴いた高らかな騒音が、森中に響き渡った。――ユファはたちまち顔が熱くなり、両手で頬を押さえて悶絶する。
「うぅっ」
「ほらな?お前の腹の虫は、もうアカンっていうとるで?」
「……っ、いただきます……」
あの獣肉にかぶりつくよりはマシだ。ユファは観念し、駿里から黒い物体を受け取った。恐る恐るオニギリさんを口へと運んでみる。傍らでは駿里が固唾を呑んで見守っていた。
「……ん」
一口控えめにかじってみると、ユファの口内でふわっと塩の味が広がった。黒いばかりと思っていた外側とは対照的に、断面は真っ白だった。なんだか初めての柔らかい触感がする。ユファが目を凝らして見てみると、小さな楕円の粒が数え切れない程集合して「おにぎりさん」が出来ていると分かった。
咀嚼していると塩気に混じって甘い味がする。意外にも美味しくて、ユファは素直に驚いていた。
「……おいしいわ」
「さよか。そら、良かった。」
駿里はさも満足そうに笑っている。ユファはその笑顔を見て、ふと気が緩んでいる自分に気がついた。心がほっと温かくなるような――こんな食べ物を作れる人間もいるんだなと思いながら、夢中でおにぎりを頬張ったのだった。
気が付けば、すっかり夜が更けた。あちらこちらの茂みから、虫の音が聞こえ始める。
火を囲い、夜は交代で見張りをすることに決め、二人は休息を摂ることにした。移動するにせよ、日が昇ってからでなければ森を抜けるのは厳しい。
先に横たわったユファがようやく浅い眠りへ落ちようとしていた時。傍の丸太に腰を掛けて火の番をしている駿里が、小さく呟いている声が耳に届いた。
「すまん。ユファ……」
(…なに…?)
ユファは返事をしようとするが、唇から零れるのは吐息だけ。瞼は重く、意識はすでに半分夢の世界へ沈んでしまっている。
「すまん……」
――何が、「すまん」なの?
駿里が繰り返す謝罪だけが、眠りへ誘う子守唄のようにユファの頭に延々と響き続けた。
夢の中で、ユファはひたすらハメルの里の記憶を辿っていた。
あの紅蓮の炎の渦中を、全力で走り続けていた。
里の中には、父も母も仲間達も、誰一人いなかった。
無人の故郷を見渡して、ユファは必死に悲鳴を上げている。
「早く帰っておいで」と呼びかける懐かしい故郷の声を、ユファは夢うつつの中で聞いていたのだった。
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