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第六話 混浴の泉
「シュンリ?」
木々の隙間から漏れる光の眩しさでユファは目を覚ました。
あちらこちらから小鳥が鳴き交わす声が聴こえる。
昨夜は交替で眠るはずだったのに、ユファは一度も駿里に起こされなかった。小さく伸びをして上半身を起こすと、ユファは周囲を見回して駿里を探した。
「シュンリ!」
――しかし、名前を呼んでも返事ははい。辺りは焚き火の残骸とヴィントの骨が転がっているだけで閑散としていた。
(まさか、居なくなっちゃったとか?)
慌てて駿里を探そうとするユファだが、ふと我に返った。
駿里とユファには、一緒にいる理由がない。アイスベルグ城を脱出する時は危機的状況だったので森まで行動を共にしただけ。もとはと言えば、駿里はアイスベルグの人間でユファは双翼の民。本来なら相容れるべき存在ではない。
人間と双翼の民の確執がいかに深刻なものなのか。ユファはハメルの里を失い、自分自身が牢に投獄されて思い知ったばかりだった。
心に微かな寂しさを抱えながら、ユファは間近の泉へと歩く。泥だらけの体を水で流してから森を出発しようと決心した。
破けてボロボロになった衣の腰紐を解き、耳の上よりやや高い位置で一本に結わえた髪の組紐も解いた。無防備な姿で気を緩めていた、次の瞬間だ。
「ぷっ、はあああああああああーー!朝の水浴びは最高やなあーーー!!」
……早朝の森の美しい泉の中から、得体の知れない魔物が奇声と共に飛び出してきたのは。
「きゃあああっ!?」
水面から騒がしく登場した駿里を見たユファは、悲鳴と同時に全身に大量の水しぶきを浴びて硬直した。
ユファが石像になっている間に、駿里は岸へ上がって来ようとしている。
……この状況で鉢合わせるのは(あらゆる意味で)絶体絶命。追い詰められて錯乱状態のユファは、ついに脳内爆発を引き起こした。
「こっち来ないでっ、このヘンターーーーーーーーーイっ!!」
畳んであった衣服で体を覆い隠すと、傍の棒切れを掴みとって迫って来る裸体の男の脳天を、力いっぱい殴りつけた。
えげつないクリティカルヒットを喰らった駿里は、低いうめき声を上げて再び泉へとダイブする。
「はぁ……しんっじられない……っ」
「……ぶっは!何晒すんじゃっ己はッ!?死んでまうやないかい!」
「あなたは殺しても死にません!あんな大怪我して元気に生きてるんだから!……っていうか、何してるのよ!?服はどうしたの!?」
ユファは頬を紅潮させながら、震える手で衣服を抱きしめる。
「あー。服なら洗って干しとった。血まみれのままやと気分上がらへんやろ?」
水面に半身を沈め、駿里は泉の対岸の岩場を指で指し示した。そこは木々の隙間から日光が差しており、平たい岩に黒い服が広げてあるのが確認できた。
「お前も水浴びしたいんやろ?はよ入りや!」
「えっ?」
駿里と距離を空けたユファだったが、この状態では埒があかない。
かといって、泉に入ったら水中で駿里が待ち構えている。
「わ、わたしはいい。茂みの奥で着替えてくるから……!」
幸いにも、ここは森の中だ。着替える場所なら困らないはず。
ユファは駿里の視線から逃れ、前を隠したまま少しずつ森の茂みへ後ずさりして行った。ユファの滑稽な動きをジロジロ観察した駿里は、意地悪そうに笑う。
「ふーん。茂みん中入るんはええけど、無防備になっとる背中目掛けて、獣が襲い掛かってきよったらどないするんかなー?」
「そっ、それは……」
「ほんなら、俺が先に上がって見張っといたるけど?」
「見張るって、〝わたしを〟じゃないわよね?」
「…お前、髪下ろしとるほうが可愛ええで!」
「~~~~っ、分かりやすく話逸らすのは止めてくれない!?」
「任せえや!しっかりお前を見守ったるからな!!」
――そして案の定。駿里の目的は生着替え覗きと判明した。
「もういいっ。分かった、分かりました!あっち向いてて!絶っ対にあっち向いてて!泉に入るから、死ぬまであっち向いててっ!」
「なんやー。つまらんわあ。入ってまえばどっち向いてようが同じやんかー」
着替えようとすれば覗かれ、泉に入っても(恐らく)覗かれる。
八方ふさがりのユファは、ヤケクソの決断を下した。余った布切れで体を覆いつつ、泉へ足を浸していく。
水は想像よりも生温く、お湯みたいな温度だった。駿里が長々浸かっていられたのは水温のおかげだろう。ゆっくり肩まで水中に沈めると、ユファは思い切り両腕を伸ばしてみた。たまっていた疲労と汚れがじんわり落ちていく感覚が気持ち良かった。
「絶っ対に、こっち見ないでよ?見たら、また棒で叩きますからね!」
「へいへーい」
けだるそうな返事をした駿里は、ユファに背を向けて大人しく泉に浸かった。
ユファは、生まれて初めて人間の男の背中を見た。昨日までハリネズミのように逆立っていた駿里の髪は、首筋から肩のラインに沿って纏わりついている。昨日と雰囲気が違って見えたのは髪の毛のせいだったようだ。
ユファ達双翼の民一族は肩甲骨の辺りに翼を出し入れする痣があるが、駿里の背中にはそれはなかった。その代わり、ところどころ深い傷が刻まれており、ユファの目には痛々しく映る。
(昨日みたいな怪我も、もしかして日常茶飯事だったのかな……)
――ふとそんな事を思った後、ユファは慌てて駿里の背から目を逸らした。
状況が状況だけに、不意に気恥ずかしさが襲ってきた。意識しないように努めても、一度高まった動揺はなかなか鎮まりそうにない。
「もう、そっち向いてええか?」
「……駄目!!死ぬまで見ないでって言ったでしょっ!?」
きらきらした笑み(邪心たっぷり)で振り向こうとする駿里に、ユファは間髪入れず石ころを投げつけてやった。
「……がはぁっ……」
「まったく!!」
油断もすきもありゃしない。ユファは怒りを通り越し、呆れが込み上げてきた。
背中合わせで泉に浸かってみたものの、二人を包む静寂が返って気まずさを増殖させてしまう。居たたまれないユファが言葉を探している内に、駿里の方が先に話しかけてきた。
「お前は、これから故郷に帰るんか?」
「う、うん。そのつもりだけど、あなたも?」
ユファは駿里の目的を知りたいと思ったが、訊ねる勇気が持てずにいるのが本心だ。これ以上、深く関わってはいけない。駿里は人間なのだから、と。
「俺は、あそこへは二度と帰られへんのや」
「……?」
駿里が呟く答えは、実に曖昧なものだった。「アイスベルグに帰るつもりはない」という意味にも取れるが、駿里の故郷がどこなのかは不明だ。
「なあ、ユファ。輪廻転生ちゅう話、信じるか?」
「え?」
ユファがぐるぐる思考を巡らせていると、駿里からまた質問が投げかけられた。今度は何の脈絡も無い意味深な謎かけだ。
転生とは、人間や生物が死後長い年月を経て、再びこの世に生を受けるという言い伝えのことだろうか。
「生まれ変わりのこと?……どうかしたの、急に」
「いや。やっぱ、なんでもない。こっちの話や」
質問の意図が読めないユファだったが、駿里からはそれ以上言葉が返って来ない。再度沈黙が訪れ、ユファは背中に冷気を感じた気がした。風が吹きぬけて、水面がざわざわ波立っている。水の振動が伝わって、ユファは一瞬びくっと身を強張らせた。
「……シュンリ?」
風が止むと木立ちは静まり、水面も穏やかさを取り戻している。ユファは後ろを確認してみたが、すでに駿里の姿はなくなっていた。
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