0人が本棚に入れています
本棚に追加
男の肉を貪りながら、僕は昔のことを思い出していた。フィレナと出会った日のことだ。
その日、僕は特にお腹が空いていた。両親に近づいて欲しくないと思うほどに。うっかり噛み付いてしまいそうだったから。
墓場から帰って来た二人は手ぶらだった。僕はうるさい腹の音を聞き流しながら、母の言葉を聞いた。
「ごめんなさい、今日は手に入らなかったの。また明日探しに行くから」
うん、わかった。大丈夫、気にしないで。お腹はあんまり空いてないから。
頭の中の言葉はどれも口に出ることはなかった。
気がつくと、口の中に悲しいくらい美味しい味が広がっていて、僕の近くに父と母が転がっていた。
至る所を食い千切られた二人の姿と程よい満腹感を繋げたくなくて、でも紛れも無い事実で、僕は途方に暮れたように座り込んでいた。
ひどく長い時間そうしていた気がした。永遠にも近かった。でも、きっとさほど時間は経っていなかったのだろう。
ひどく唐突にフィレナはそこに現れた。
「あなた、人喰い?」
その問いかけに僕は緩慢に頷いた。暗闇の中に突如現れた少女を僕はぽかんと見つめていた。一体いつから、どこから、そんな簡単な問いかけも口からは出ない。
不思議には思っているのに、何をする気にもなれなかった。だって僕は大切な二人を食べてしまったのだから。
「きみは、だれ?」
しばらくしても彼女は興味深そうにこちらを見るばかりで何もしてこなかった。
血の上に座る僕を面白そうに見ている。だからようやく僕は恐る恐る尋ねてみた。
「私? 私は、そうね。あなたは人喰いだから、あなたみたいな名前を付けるなら、私は不死ね」
何がそんなに楽しいのかくすくすと跳ねるように笑いながら彼女は言った。
「そう、不死。私は死なない。生まれた時からそう決まってるの。どんな怪我も治るし、病には元々かからない。歳は昔はとっていたけど、今はもう成長しない。私がこの辺りで止まればいいと願ったから。ずっとこのまま生きているの」
まるで歌でも歌っているかのようだった。こんな場所に相応しくない陽気さで恐怖さえ感じることを彼女は軽やかに歌う。
「あなたを退治しに来たの。この村で噂になってるのよ。あの家にいる子は人喰いじゃないかって。もしそうなら退治してくれっていう依頼なの」
ああ、そうか。そうなのか。ここで終わることが出来るのか。
「殺して」
頼むことは一つだった。もっと早く死ぬべきだった。両親の愛に頼ってこんなところまで来てしまった。
「お願い、僕を殺して」
きっとこの人は僕を殺しに来たのだろうと思ったから頼んだのに、きょとんと不思議そうに見つめられる。
「生きていたくないの?」
「うん、殺して」
「どうして? 死ぬのは怖いでしょう。痛くても苦しくても、死ぬよりはマシでしょう」
本気で分からないという風に、彼女は心底苦しそうに顔を歪めた。
「大切な人を殺してしまうくらいなら死んだ方がいい」
「分からないわ。私は自分が死なないことを感謝しているの。だって死ぬのは怖いもの。死にたくないもの。どんなに辛くても死ぬよりはずっとマシ」
彼女が何をそんなに怖がっているのか、僕には分からなかった。
ただ楽になりたかった。罪も何もかも忘れて自由になりたかった。この暗闇を暗闇と感じない世界に行きたかった。
「ねえ、あなた。大切な人が死ななければ、あなたが死ぬ理由もないのよね」
「それは……」
そうだけど、と言った自分の声は掠れていた。確かにそうなれば嬉しいけど、そんなことはあり得ない。
二人は僕のせいで死んでしまった。死んだ人はもう元には戻らない。
それなのに彼女はつい、と両親に向けて人差し指を伸ばした。
「その人達、まだ生きてるわよ。大丈夫。私が治してあげる」
「ほんと?」
「ええ、ほんと。その代わり、私と一緒に来て。私と生きて。そうすればあなたは誰も殺さなくていい。私の肉だけ食べて、あなたは私の隣で生きるの」
どうしてそんな事を言い出したのかわからない。
僕を退治しに来たんじゃないのか、とかそんなことして何の利益になるんだ、とか言いたいことは色々あった。だけど、
「私はフィレナよ。よろしくね」
そう言って僕に手を伸ばしたフィレナがあんまりに綺麗だったから、僕は何も言わずにその手を取ったのだ。
最初のコメントを投稿しよう!