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「雨が来るな」
わたあめのように濃い白が立ち上がった空。
そこに暗く影を落とす分厚い雲を見て、彼は言った。
***
「っ、ねぇ! どこまで登るの!?」
まだまだ目の前に連なる石段に、疲弊した足が悲鳴を上げている。
先を登っている無愛想な幼馴染に叫んで問うた。
「……てっぺんまでだよ」
幼馴染ゆえの容赦のなさか。
彼は少し振り返り淡々とそれだけを告げた。
(大体どうして私がこいつについて行かなきゃならないのよ!?)
最近いい事が無い芽衣子は、心の内で悪態をつく。
雨が来ると呟いた幼馴染・晴樹は、丁度一緒に帰っていた芽衣子に「ちょっと付き合え」と告げてここまで連れて来た。
まさか近くの高台にある神社の、何十段も続く石段を登るとは思わなかった芽衣子は、そのときは仕方ないなと思ってついて来たのだ。
「これ、絶対……ちょっとじゃ……ないでしょ……!?」
一段登る度に、踏みつける石に不満を押し付けるように呟いた。
大体にして芽衣子はいつも部屋でパソコンと向き合っている文系なのだ。
体育会系でもなければ体を動かすこともあまりしないのに、この石段は辛すぎる。
(ああもう! 本当に最近はついてない!)
小説家を目指している芽衣子。
webの小説大賞から、公募のものまで色々書いてきた。
夢は学生作家だ。
でも、だからこそ焦りもあるのかも知れない。
特に最近は公募のものは一次選考で落ちたし、逆にwebの方は最終選考まで残ったのに何の賞も得られなかった。
書籍化にまでは繋がらなかったが、何らかの賞を取ったことは二度ほどある。
だから全く望みが無いわけでは無いはずだ。
そう思うからこそ、最近の不甲斐なさに落ち込んでいた。
しかもモチベーションも中々上がらず、次の公募に出すための作品の筆が進まない。
パソコンの前に座り、ダラダラと時間だけが過ぎる日々。
焦ってはダメだと分かっているのに、コントロールがきかない。
そんな中でのこの疲労。
何かに、誰かに当たりたくもなるというものだ。
しかもさらに悪い事に、晴樹の言葉通りに雨が降ってきた。
「うそでしょ……」
傘は持っているけれど、こんな石段の途中でとかついてない。
折り畳み傘を出して何とか差す。
上を見ると、自分より先に傘を差し終えていた春樹がまた石段を上り始めていた。
芽衣子もため息をつきつつ、上り始める。
石段はかなり上ってきていたし、終わりが見えてきていたので上った方が楽だと思ったからだ。
登り切った頃には雨も強くなっていて、神社の軒下を借りて雨宿りをする。
傘を差していたとはいえ多少は濡れてしまっていた。
制服が肌に張り付く感じが不快で、イライラしながら芽衣子は春樹に聞く。
「で? ここまで来て何がしたかったのよ?」
「いや、したいっていうか……見たいものがあってな」
「なによその見たいものって」
「それはまだあるか分からない」
「はぁ?」
要点を言わない春樹にさらにイライラする。
淡々としている様子もイライラ増長の原因だ。
そんな芽衣子に春樹はため息をつく。
「お前、最近イライラしすぎ」
「なっ!」
「気持ちはまあ、分からなくもないけどな」
「……」
不愛想なのに、ここで寄り添うような言い方はずるいと思う。
これが自分の努力を何も知らない相手だったら『知らないくせに適当なこと言うな!』って怒っていたかもしれない。
だが、春樹は芽衣子の作品の一番の読者だった。
完成したら一番に読んでくれて、一言だけど感想もくれる。
誤字脱字があれば指摘してくれて、矛盾点があれば一緒に調べてくれる。
そんな相手からの寄り添う言葉に、涙が滲んだ。
「え? ちょっ、悪い。泣かせちまったか?」
不愛想で淡々と話す春樹が慌て始める。
そうだった、昔からこいつは自分が泣くと弱いんだった。
そんなことを思い出しながら「泣いてない」と主張する。
「雨が顔に当たっただけだよ」
「……そうか?」
信じたかどうかは分からなかったが、春樹はそれ以上追及してこなかった。
しばらくして落ち着いても、雨はまだ降っている。
「……これ、止むのかな?」
少し不安になって呟くと、春樹が「止むよ」と答える。
「夕立だからな」
「そっか」
そんな会話をして、また二人黙り込んでしまう。
だが、それから徐々に雨足が弱まり傘を必要としないほどの小雨になる。
「!」
すると突然春樹が軒下から飛び出て行った。
「え? 春樹?」
芽衣子は何事かと春樹を追いかける。
春樹は街を見渡せる場所に来ていた。
街の高台にある神社。
晴れた日なら見晴らしもよく、すがすがしい気分になれたかもしれない。
だが今はまだ小雨がぱらつく雲が頭上に広がっていた。
こんな天気の日に何を見たいと言うのか……。
「ちょっと春樹、いったい何を――」
「あった」
「え?」
何を見たいのか。
何をしようとしているのか。
それを問おうとした言葉を遮り、春樹は右手を前に伸ばして何かを指差した。
「ほら、あれ見ろよ」
春樹の言葉に顔を上げ指し示す方を見る。
「――っ!」
息を……呑んだ。
影を落とす雲の切れ間から、光が漏れている。
光の柱が放射状に地上へ降り注ぎ、美しい光線を形作っていた。
まるで、天の使いがそこを通って降り立ったかのような光景。
しかもはじめは一つだったそれが、二つ、三つと増えていき……最後には五つの光線が出来る。
まるで宗教画にでもありそうな光景に、芽衣子は“感動”の二文字しか頭に浮かべることが出来なかった。
「……すげぇな……」
隣で春樹が呟く。
「一つ見れればいい方だと思ったけど、こんなに見れるとは……」
「……これが春樹の見たかったもの?」
素晴らしい光景に目を逸らすことも出来ず、言葉だけを投げ掛けた。
「ああ……。お前に見せたかったものだよ」
「え?」
予想外の言葉に驚いた芽衣子は春樹を見る。
そんな芽衣子を春樹は優しく見下ろした。
「あれ、“天使のはしご”って言われてるんだ」
「“天使のはしご”……」
繰り返し、とてもピッタリな名称だと思う。
「“天使のはしご”はさ、見ると幸せになれるって言われてるんだ」
「そうなんだ。……確かに幸せになれそう……」
そうしてまた光差す街に視線を戻した。
この光景を刻み付けるように見入る。
「……だから、さ。芽衣子にも幸せなこと、起こるよ」
「え?」
不愛想で口数が少ないはずの幼馴染。
頑張って言葉を紡ごうとしている彼に、また視線が戻った。
「最近、落ち込んでただろ? だから、ゲン担ぎって言うか……気晴らしにっていうか……。とにかく、絶対良いことあるから」
懸命に伝えようとしてくれる春樹に、芽衣子は暖かい気持ちになる。
イライラしていたのも、落ち込んでいたのが原因だってバレている。
(本当にもう、どうしてこの幼馴染は……)
「春樹は、どうしてそこまであたしに寄り添ってくれるの?」
ただの幼馴染にしては優しすぎる彼に、純粋な疑問として聞いてみた。
その、返答は――。
「……お前な、あんだけ恋愛小説書いてるんだから……察しろよ」
「……」
春樹の顔は、耳まで赤かった。
芽衣子は少しぎこちなく街の方に顔を戻す。
“天使のはしご”はすでに無く、影を作る雲はまた別の方へと流れて行った。
後に残るのは晴れ渡った空。
少し茜色になってきている。
そんな空を見上げる芽衣子の顔も、耳まで赤くなっていた。
END
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