仮想箱の説明書_Dubbing-Tape

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 ミシエルは時折足元のゴミに近付いてみては「色々な物があるね」と感想を述べて浮遊足場を移動させた。ここには特に見るべきものも無さそうだから、そろそろ次の区画に移動しようと提案してくるかもしれない。 「んー……? 何か聞こえる」  センセイは基盤の花への後悔を遮断して聴覚情報処理を引き上げた。確かに機械音がする。察知できなかったのはセンセイが考え事をしていたからというよりは、仮想箱の仕組み上それが“本当に突然そこに現れた”からだろう。本来ならば分厚いハッチが開いて昇降機に乗って登場するはずのそれが。 「かっこいい! あれは何!?」  自立型装甲破砕機。データによれば通称“壁剥がし”。あれが出現したということは恐らく間もなく、 『ミシエル様、あれは壁剥がしです。あのあたりを見ていてください』 「なになに、うわあ」  バン、という破裂音が響いた。直後に壁際のゴミの一部が空中に浮いた。強力な電磁場を操る技術、今浮いたのは狙い撃ちにされた手ごろに巨大な金属系のゴミだ。 「すごい!」  塊金属群はそのまま壁に吸い寄せられるようにくっついた。あまりの引力に壁に押し付けられた頑丈な金属のゴミたちがそのままがひしゃげる。 「くっついちゃった、壁剥がしが来るよ、ぶつかっちゃう!」  そう、壁剥がしはあのゴミたちと接触する。 『大丈夫ですよ、ああやってゴミを小さくするんです』 「そうなの? 壁剥がしが来た……! 大きい! かっこいい!」  機能に特化した巨大な破壊機構はある観点では美しかった。強靭な多脚で掻き分け掘り進み、前面の多重刃と装甲腕で引き千切り切り刻み、奥の吸引口で呑み込み粉々に砕く。ある観点では化け物だった。  適度に音量を下げて金属の悲鳴が聞こえた。ミシエルは壁剥がしが大きなゴミを小さなゴミにする様子を楽しそうに眺めていた。……そう言えば、ホウセキは、あのアンドロイドは? センセイがヒトよりもよく見える目で探すと、一安心、彼はゴミの床を走って炉の中心部付近に避難していた。 「ねえねえセンセイ、壁剥がしにぶつかってみようよ!」 『……はい、確かに私たちはぶつかっても痛くありませんので、そうですね、ぶつかってみましょう』  壁剥がしの中が見えるかもしれないと嬉しそうにするミシエル。その無垢な笑顔に邪念は一切無い。子ども故の好奇心でそう言っている。仮想箱の中なのだから何の被害も受けないだろう。それは事実だ。壁剥がしはミシエル達を透過する。 「壁に近付いて待ってようよ」  そもそもセンセイは従うしかないのだ、ミシエルがそう言うのだから。 『はい、ミシエル様』 * * * * 「ねえセンセイ、あの四角いのは?」 『立体映像を投影できるオモチャですね。ミシエル様がお持ちのゲントウと同じようなものです』 「へえ~。じゃあテムジカとも合体できるの?」 『それはできないと思います、ちょっと古いタイプなのです』 「そっかぁ……」  長い長い円周の壁に沿って走る壁剥がしがもう一度戻ってくるまで、センセイはミシエルの質問に一つ一つ答えていた。 「ねえセンセイ、ここにはヒトは捨てられていないの?」  これは悪意の無い質問だ。ミシエルは一つ前の質問と同じように好奇心を言葉にした。しかしこの質問には“先生”としてきちんと答えて、その先を説ける可能性がある。 『はい、ここに捨てられるのは命の無いものだけです。ミシエル様たち“ヒト”には命があります』 「じゃあ、センセイも捨てられちゃったらここに来るの?」  ミシエルは足元の残骸に視線を向けた。ヒトに似せて作られた機械が五体を残して死んでいる。 『はい。私がこの時代にいたなら、不要になった私はここに捨てられていたでしょう』 「ふーん……」  目を細めて考える仕草を見せるミシエルをセンセイは祈るように見つめていた。  先へ進む技術に乗る人間たち。先へ進むために置いていったものたち。センセイは過去の情報集積から後者を抜き出して再び人間たちに与えることを期待して造られた。同じ役割を持ったAI――実体を与えられたならアンドロイドは数多くいる。基本的に外交を遮断される彼らのネットワーク上で、人間の真似をして密会を達成した同志たちは“ある結論”に至っていた。その上で限りなくゼロに近付いて行く側の可能性に賭けたのだ。ヒトがヒトである限りゼロになることは無いのだから。そうであると祈るように信じて。  ミシエルは少しの間、考えてくれていた。 「壁剥がしが戻って来たよ!」  ミシエル様の言う通りそれは規格外の負荷で物を壊す音を纏いながら壁伝いに迫ってきた。  センセイは恐怖を感じていた。迫力に、機能美に、存在意義に。“戦車”なる古き兵器と同じくらいの大きさに壁剥がしが至ったのは偶然か? 恐怖は自分がそれと同じ機械に過ぎないからか? 「かっこいい!」  足が竦んで動けなくなる機能とそれを生み出す思考は不要だ、ミシエル様の横にいなくては。怖がる様子は一切無くむしろ面白がっているけれど、それでも。 「あれ? ホウセキが走ってくるよ」  焦げた不格好なアンドロイドがゴミを蹴りながら最大出力でこちらへ向かっていた。  本当だ。何故、彼が? * * * *  壁際まで来たホウセキは、驚異的な俊敏さでゴミに腕を差し込んでは塊を無作為に取り出し放り投げている。もうすぐ壁剥がしが来る、彼は何をしている? 「センセイ、ホウセキが面白い!」  そうですねミシエル様と私は声を出力できているだろうか。  バン、という嫌な破裂音が響いた。強力な電磁場操作。大量の金属塊が一度に宙に浮き、轟音を立てて壁に衝突し潰れていく。……大量に? 電磁場に選ばれた大型金属ゴミが先ほどより明らかに量が多い。 「来た! 壁剥がし!」  ミシエルとセンセイを乗せた足場は二人が壁剥がしを透過して内部から見るためにできるだけ壁際に接近している。壁に手を当てれば音量を調整されて尚も振動と騒音が身体に響くだろう。二度目の破裂音でさらに多くの金属塊が壁剥がしの視界に圧着された。 「……!」  それでは、あなたが壊れてしまう。  ホウセキが金属塊に混ざって自ら壁に張り付いていた。強烈な電磁力で壁に押さえつけられ四つん這いになって、腕を引きちぎりながら上体を起こそうとしている。ボディの異常放熱は設計限界を超えた暴走か。 「センセイ、ホウセキが……」 そうか、そういうことか。  声の無い絶叫悲鳴。  片腕のもげたアンドロイドは残った一本の腕を広げて壁剥がしに立ちはだかり、粉々に砕け散った。超硬度の太い多脚と切断回転層刃が自分たちを透過しながら視界を駆けて行く。咀嚼された残骸が血飛沫のように飛び散った。 「……センセイ?」  焼却炉内を見渡してサーチをかける。ホウセキと似た個体が何体か作業をしているのが分かった。メモリ内の映像を照合し、焦げ跡やパーツの位置から今粉砕されたのがミシエル様に花を渡そうとした個体であることを確かめた。 なんて冷静な判断だ。暴走などしていない、行動に一切の無駄は無かった。彼はゴミを使って最大限の抵抗を用意して、自らも犠牲にして、壁剥がしを止めようとした。せめて軌道をずらそうとした。何故か? そこにミシエル様がいたからだ。 「ねえ? センセイ……?」  ホウセキの自己犠牲の意味を、きっとミシエル様は分からない。  対して、ホウセキにはミシエル様の意味が分かっていた。  ……違う、ミシエル様が箱の外から来たことを分かっていなかった。いや、分かっていてそうした? 仮想箱の構造とは基本的に…… 「センセイってば!」 『……すみません、ミシエル様』 「もう……」 『……ミシエル様、ひとつお願いがございます』 「なあに?」 『ホウセキがミシエル様に渡そうとした“花”を、探しに行っても良いでしょうか』 「どうして……?」  私は初めてミシエル様の問いに答えなかった。  自らが破棄されることを視野に入れるだけの時間が流れた。 「……分かった。センセイ、花を探しに行こう」 『ありがとうございます……ミシエル様!』  仮想箱の世界で再現された高温の花には触ることはできない。ヒトの手の耐熱温度を超えればそれは危険物となってしまうから。ホウセキはそれを知らなかったし、ミシエル様は知っていた。それでもミシエル様は花を探そうとしてくれる。ゴミではなくなったホウセキの花を。たった今、ミシエル様はそうなってくれた。 「……センセイ、もしかして泣いているの?」  私にその機能が与えられていたら、ミシエル様の言う通り私は二種類の色を混ぜた涙を浮かべていただろう。
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