SandBox

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 その施設は「年季の入ったお安いものである」とだけ聞いていた。客足が遠のき寂れた映画館を想像していたものの、足を踏み入れて見れば光を吸い込むような黒い素材の壁と床に青白い光が輪郭線を作っている。古さよりも未来の片鱗を思わせる内装だ。まあそこはやっぱり“お客様”である私の基準でモノを見てしまうからなのだけど。  ある時期を境に古びた建物などというものは見られなくなり、それらに対する儚さのような感情も忘れ去られるのかもしれない。 「みたいなことを聞ける人もいなさそうねー」  声はあまり響かないようだ。館内の通路は自分の知る映画館が投影画面へ誘うそれと同じようなスケールだが、自分の他に人影は無い。人影が無いことは唯一その施設が寂れていることを感じ取れる部分だ。……と断定するには早い。 「そもそも人が……ううん、後にしよう」  素材の分からない無機質な壁に触れ、空気を吸い込み、耳を澄ませてもみて、自分の五感を念のため一通り試す。ひとまず異常無し。この動作には少し慣れている気がして得意げになってはみたものの。 《こちらへどうぞ》  私が不自然に立ち止まっていたせいで、システムが私を案内することに決めたようだ。ヒトのアクセントと区別の付かない合成音声が前進を促し足下で光の記号が滑らかに動いて導線を描く。ここは大人しく指示に従って、例の装置があるはずの空間へ足を進めよう。 「仮想箱」  他に誰もいないようだから特に人目を気にせず、自分の知る言葉で声に出してみる。私の時間軸で自分と別のところに住む人たちが使う言葉でも試してみようとしたが、語感が作る僅かな引っかかりが気になった。根源の偶然が仕向けた類だ。“おもちゃ箱”とでも重なったのだろうか。一人で抱えられるような大きさと、しかし思いの詰まった「ハコ」というもの。これから対面するハコも同じような感覚であれば良いのに、聞いた限りではそうもいかないようだ。 「ひとまず見てみますか」  思いを馳せていてもことは進まない。対面し、箱の中に“入って”初めて分かることの方が多いはず。 * * * *  ところが「あら?」という感想になってしまった。てっきり目の前に映像として空間に浮かび上がる箱のようなものが待ち構えていて、いかにもな近未来がさあここからと手を伸ばしてくるのかと思っていた。目の前にあるのは四角い輪郭がぼんやり見える小さな部屋で、中央には少々存在感がある程度の椅子がひとつ。椅子の近くまで行って驚いたのは、そこに備えられていたヘッドセットのようなアイテムだ。見たことがあるというか想像がつく範囲の小道具。  入ってきたドアは輪郭を縁取るライトが消えて壁と同化した。他の三面と区別がつかない壁がスクリーンに変わって映像が流れ始める。目の前に置かれた道具を言語の壁無く使えるようにする案内映像だ。 「いやはやなんとも……」  頭に電極を刺したり奇妙な装置を頭からすっぽり被ることにはちょっと抵抗があったので、これはこれで良いのだけれど、どうしてもここから大きな感動や驚きが体験できるとは思えない。  見た目よりずっと軽いゴーグル部分が視界を覆う。自分の手でそれを装着したのだからどこか安心感がある。威圧感のある椅子はきっと聞いたことのない名前の合成繊維でできているはずだけれど、全く主張の無い良い座り心地だ。実はヘッドセットを何度もじっくり見たり、逆さにしてみたり、椅子に座る前にあれこれ探った。そんな私を不審に思ったのか《何かお困りでしょうか》と聞いてくる合成音声に「お構いなく?」と答えたけれど《何かありましたらお気軽に声をお掛けください》と言われて、それっきりだった。  この辺りは不要なプロセスなのかもしれない。案内をする声の主に頭脳が搭載されているかどうかを気にするのはともかく、今回のターゲットは小手調べなお安い仮想箱館(?)の設備そのものではないはずだ。  とすれば、先を急ごう。 OPEN THE BOX.  視界は完全に映像に覆われた。いわゆる没入型の映像装置が見せる“まあそれなりに見慣れた視界”の右下に、最後にその文字列が映ったように思う。
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