ぎゅっと自転車に縛りつけて

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「……母さん!」  ドスンと物が落ちる音がした。おれが、抱えていたちゃぶ台を手放したから。だけど、もうこんなものはどうでも良かった。 「バスの時間って何時だっけ!? あと何分!?」 「へ?」 「あいつの乗る夜行バスだよ!」  ダイニングから顔だけ廊下に出した母さんに向かって、叫んだ。  テストの点はいっつもおれより高いくせに、どこか抜けているところがあるのがあいつだ。今日は夕方まで雨が降っていただけれど、パーティーが終わる頃には上がっていたから、傘を持って帰るなんて頭、残っていなかったに違いない。 「半に駅前出発って言ってたわね」 「今何時!?」 「そうね大体ねー」 「そういうボケはいいから!」 「あらら……マジな感じ?」 「マジな感じ!」 「ふぅん……あと五秒で七分よ。残り時間二十分はあるわね」 「ちょっと行ってくる!」  母さんと話している間にもう靴は履き終えていたし、ヘルメットだってばっちりだ。最後に、おれが普段使っている傘よりも、ひとまわり細い持ち手を握る。 「忘れ物?」 「忘れ物!」  玄関の扉を勢いよく押し開けて、すぐそばに停めてある自転車に飛びついた。思いっきり右足を蹴りぬいてスタンドを起こしてサドルに飛び乗り……左手に握った傘の、微妙な納まりの悪さに気付く。  ハンドルとまとめて握るには、些か苦労しそうな大きさだ。どう抱えてもしっくりこない。どうしたものかと悩んでいると、ぽんと背中に声がかかる。 「落ち着きなさいな」  振り向けば、細いロープを手に持った母さんがにこにこと笑いながら立っていた。半ばひったくるようにおれの手からあいつの傘を奪い取り、ささっと自転車のフレームに縛り付けていく。  月明かりに照らされたコバルトブルーに、淡い桜がよく映えていた。 「落ちないように、ぎゅっとね」 「……ありがと」 「ちゃんとライトは点けるんだよ。それと、せっかくだから最後に一言言ってきなさい」 「……余計なお世話だっての!」  そんなの、最初からそのつもりだ。  頭に手をやって、ヘッドライトのスイッチを入れた。右足で前輪のライトも点けてから、ぎゅっと両手でハンドルを握る。 「行ってきます!」 「行ってらっしゃい。寄り道すんじゃないよ!」 「ぜってーしねー!」  まだちょっと湿っている地面を蹴って、夜の住宅街に走り出した。  乗り慣れた自転車。走り慣れた道。はじめて運ぶ荷物。月明かりの下、おれは力いっぱいペダルを踏みこんだ。  さあ、届けに行こう。パーティーで伝えそびれた、この気持ちを。  チャンスは何度もあったのに渡しそびれていた、でっかいわすれものを。
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