<1・序曲>

2/5
前へ
/124ページ
次へ
 手紙でもメールでも、ついつい読みながらひとりごとをぼやいてしまうのが自分の癖である。まあ、今この家には梨乃亜一人しかいないし、ようちゃんに話しかけているということにでもしておこう。  どうせ、この賢い犬は全部聞いているのだから。 「あいつ、ちょいちょい変なものにハマるわよね。妙に流行とかに敏感だし……ちょっと前には、好きだったオンラインゲームがサ終したってすっごく落ち込んでたし」 「ふんすっ」 「この国のサブカルチャーの沼はずぶずぶに深いから気をつけなさいって、ちゃんと忠告したはずだったんだけど。いやほんと、推しの沼は深すぎてやばいわ。財布の紐がゆるっゆるうになるんだもの」  思わず振り返った先には、梨乃亜の自室がある。パソ事務机の上に乗ったパソコン、その上の壁には梨乃亜が大好きな舞台俳優のポスターがどどーんと鎮座していた。二次元も危ないが、2.5次元の沼も深くてやばい。二十代後半の、そこそこ美人な女が(これでも見た目はちょっとしたものだという自負があるのだ、何度か街で芸能事務所にスカウトされたこともあるのだから)大量にポスターとグッズを大人買いしていたのを見て店員は何を思ったのか。  転売はやめてくださいね、と小さな声で言われた気がするが無視である。転売なんてとんでもない、保管用、保存用、観賞用。さらに観賞用は寝室とリビングと玄関と和室に五枚必要だ。となれば、一つあたりのグッズやポスターを買う量が増えるのも必然ではないか。 ――桜坂戦争も面白そうだなあと思ってるのよね。無料配信の一話しか見てないけど。  ワラワラ動画で見たものを思い出す。第一話はほとんどプロローグも同然の内容だったが、確かに面白そうではあった。男女がひょんなことから手紙でやり取りすることになり(知り合いの知り合いから、偶然連絡先を聴いたとかそんなのだっただろうか)、次第に相手に魅かれ、逢いたい気持ちが募っていく。しかしそれと同時進行で不可思議な現象が起きるようになり、第一話のラストは少女の前に魔法生物が現れて襲い掛かってくるところで終わっていたはずだ。  化け物に怯えて逃げ惑い、失禁までする描写が実にリアルだったと評判だったらしいのだが、どうしても梨乃亜には理解できなかった記憶がある。なんせ、魔法生物の見た目が可愛すぎるのだ。なんだ、あの山羊の頭にタコの足が生えただけの黒い生き物は。山羊の頭がついているだけでダメダメのダメだ、可愛いとしか思えない。ああ、自分にもう少しお金があったら、広い一戸建てを飼って、どこぞのアルプスの少女よろしく自分だけの“ユキちゃん”を飼うのに!
/124ページ

最初のコメントを投稿しよう!

24人が本棚に入れています
本棚に追加