<1・序曲>

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「あいつだって、怖いもの全然平気なくせにねー。ていうか“ああいう怪物はぜひとも調教してみたくなりますよね”とか言い出しかねないドSなくせに、何で金払って続き見る気になったのかしら。そもそも、あんな可愛い山羊モンスターで発狂するなんて、今時の若い子はメンタルお豆腐すぎるわよね」 「むっふ!」 「あー、ごめんごめんようちゃん。ちゃんと犬のことも好きだから安心して。特に貴方は特別だからね?」  自分が山羊萌えの人間であることは知っているくせに、ことあるごとに嫉妬して鼻をすりつけてくる愛犬が愛おしい。その高等部をこすこすと撫でつつ、梨乃亜は続きに目を通す。 『手紙のやり取りだと、タイムラグがあるのがいいのですよね。それとメールよりずっと長文を送りやすいというか。きっと貴女のことでしょうから、この手紙を読んでいちいち文句でもぶつぶつ呟いてるんでしょうけど』 「うっさいわね、ほっときなさいよ」 『これを書いている私の現在と、今これを読んでいる貴女の時間は同一ではないわけです。メールでも、送ってから読むまでのタイムラグは多少なりにあるものですが、手紙はさらにその時間差が大きい。これを書いている私は過去にいて、読む貴女は今にいて、さらにこれを読んでいる頃の私は書いている私よりさらに未来にいる。そう考えると、哲学的で非常に興味深いものです。場合によっては、貴女がこれを読んでいる時にはもう、この手紙を書いた私がこの世にいないなんてこともあるわけですよね。針の先ほどの可能性ですけど』 「そうね、だから遺書ではよくあるのよね。“これをあなたが読んでいる時、私はこの世にはもういないでしょう”なんて書き出しが」  あんたに限ってはあり得ないけど、と心の中で付け加える。  澪が完全にこの世から消える時も、いつかは訪れるのだろう。しかしそれが直近である可能性など極めて稀であることはよく知っている。彼は、そう簡単に世界から弾かれるタマではない。ましてや、由羅のことを極めて気に入っているようだし、話を聞く限りではその由羅も相当澪のことを慕っているようだ。両親とも距離を置きがち、そして悲惨な境遇にあった少女の前に現れ、彼女と運命を共にすることになった澪。自分がいなくなったら由羅がどうなるか?がわからない男ではあるまい。なればこそ、以前ほどの無茶は控えるはずだ。  無茶しようがしまいが、彼がこの世から消えることができないことに変わりはないのだとしても。
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