雪が溶けて消えてしまう前に

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「この問いは公式に数字を当てはめて、展開させていけば解けるから」  先生はできるところまで提示して、肝心な数式の答えは教えてくれない。 「解いてくれればいいのに」  と拗ねた口調で言うと、先生は、 「答えは自分で見つけるものだろ。解けるよ、香山なら」  と笑う。  私は、もっと難しい問題を用意すればよかった、と自分の詰めの甘さを呪いたくなった。用事が済んでしまえば、ここにいる理由もなくなってしまうのに。 「あ、そういえば」  私はノートを持ちかえながら言った。自分の右手首を指し示す。 「ミサンガっていうんですよ、これ」 「ああ、ミサンガだった。懐かしいな、それ。サッカー選手が腕にするやつだろ」  その情報の古さに、私は笑ってしまう。 「もとはそうみたいですけど」  赤とピンクは、恋愛成就の願いが込められている、なんてことを言うつもりはなかった。そんなジンクスに頼らなければ、いつのまにか、もう自分を保つこともできなくなっている。私だけの特別には決してなってくれない先生を、同じ糸で縛って閉じ込められたらいいのに、と思う私は歪んでいるんだろう。手を伸ばせば触れられる距離にいるのに、いつまでも届かない。何光年も離れた星みたいに。  ミサンガが右手首で揺れるとき、同時に私の心も揺れている。不安定にゆらゆらとたゆたって、その心の向かう先はいつも絶対に結ばれない大人で、先生の手首にある見えない糸のかけらでも握ることができたらいいのにと思う。  窓の外は曇天で、かすかに見えていた薄い青色は拭いさられていて、灰色で冷たそうと思った矢先に、暗い雲の隙間から、ひらりひらりと白片がこぼれ始めた。 「あ、雪」  と、思わずつぶやいていた。 「ああ、初雪だな」  先生も同じ窓を眺めて言う。 「どうりで寒いわけだ」  スーツの表面は光沢があって、外にいたせいか氷みたいな冷たさが宿っているようで、私の熱を分け与えたらちょうどよくなるんじゃないかと思うけど、そんなことはこの先もできないだろう。きっと永遠に。先生と生徒という立場には絶対に越えられない境界があって、その厳格なラインを前に立ちつくすことしかできない。  私が欲しいと思っている、この世界で唯一の《特別》は、指先にすら届かないまま彼方で消えてしまう。舞い続ける雪と同じように。ひとつとして同じ形はなくて、ただ音もなく、見えない場所にしんしんと降り積もって、私は身動きがとれなくなってしまう。
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