本編

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 俺はいわゆる片親だ。しかしそれなりに学生時代は母子家庭でも裕福な家庭だったと思う。  母親は、女性の下着ブランドの社長をしていて。  自社を立ち上げそのブランドを大きくする為に、努力を惜しまない人だった。  中々、家には帰ってこない母親だったから、俺は1人でいる時間が多かった。幼い頃に、母親と過ごした記憶は殆どない。  だからなのか、1人でいる事が今もたまに辛いと感じることもある。一人でいることに、慣れているけどそれでも時折、孤独が怖く感じる。  けれど人と関わらない性格のおかげで、今の職につけているのかもしれない。  俺は高校生の部活は、小説文化部という部に入った。  主に図書館にある本を読み、オススメの本を短い感想付で紹介するという活動内容だった。マイナーな作品から人気作品まで、自分とは違う個人の解釈が知れて面白かったと記憶している。  部活のメンバーも優しい先輩が多くて、楽しい部活の雰囲気だった。  そして大学生の頃は、同人サークルの様な所に入った。  漫画を描く学生や、俺のように小説を書く人。その活動だけでなく個人でインターネットのサイトに、短編などを投稿していたことも。  サークル活動の一つに、卒業までに一冊本を書き上げて大学の図書館に置く、という決まり事があった。  案外、そのサークルのコーナーは図書館でも人気だったらしく、感想箱にはいつも感想が入っていた。  俺も大学3年の頃、図書館に一冊本を置いてもらった事がある。  小説は漫画に比べ読まれにくいが、俺の書いた本にもぽつぽつと、感想が送られてきたことがある。  そんなことを思い出しながら、俺は肩まで湯船につかった。  この最近はシャワーで済ませてしまう事が多かったのだが、佐田さんのアドバイスで久しぶりに湯船に浸かってみる。  最近は佐田さんと、電話のやり取りをしている。大した悩みも無いが、話していると心がスッキリするため執筆もどんどん進んで行く。  ガラリと浴槽の蓋を締めて上がる。  湯気が自分の周りを包み込み、俺は脱衣所に上がってタオルで身体を拭く。 「………風呂のシーンを入れてみてもいいかもな」  俺は今、原稿で行き詰まっているシーンの案を口に出してみた。何気ない日常のシーンを入れてみるのも、たまにはアリあもしれないと思ったのだ。  何が読者に求められているか分からない。  その中で、目に見えて反応してくれる佐田さんには感謝しかない。  感想をくれるのは嬉しい。  ただ俺は今、誰のために話を書いているのだろうか。ふとよぎった考えを、俺はそっと打ち消した。 ◆◇◆◇◆ 「サイン会……?」  開けた窓から、爽やかな風が入って来る午前。 後藤さんから、次のイベントに関する話を聞いていた。今頃、サイン会なんて人が来るのだろうか……。  それが顔に出ていたのか、後藤さんから笑われてしまった。 「気持ちもわかるけど、サイン会はファンの皆さんが望んでいるイベントの1つなんだよ。それに、電子書籍が一般化されるこの時代に、紙の書籍にサインをしてもらうため本を買ってくれるファンの方がいると考えると、少しやる気にならないかい……?」 「後藤さん、思ってること全部口に出ちゃってますよ……」 「おっと、いけない。まぁ、兎に角! 先生の顔を一目見たくて来てくれるファンの方もいますし。先生、お顔も綺麗ってネットでは言われてるので、そこのところは心配なさそうだよ!」 「後藤さん……余計なお世話です」  俺よりもやる気のある後藤さんに、少し引きつられながら計画を再び聞き始めた。
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