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いや、実際をいえばそれは、とある商売を営んでいる‘屋台’でした。
木の板を張り合わせた壁は、悪い魔女によってじっくり焼かれたように爛れており、鉄の梶棒は強い猛毒が染み込んだかのように錆びついていました。
腐る、という言葉をまさに色濃くあらわしたその姿を、太古の昔から生き永らえるコケ植物が、末広がるように覆っています。
「まさか……」
ここが、あの‘店’だと、若者は察しました。
すぐに立ち上がって、店のそばに行ってみると、びっしりとコケ植物に覆われるなかで、唯一、ちょうど長方形に切り込みが入っているところを見つけました。目をこらしてみると、黒ずんだ真鍮の取っ手が、真ん中に二つぶら下がっているのがわかります。
若者は、つばを飲んで、そのうちの一つをおそるおそる握り、ゆっくりと引いてみました。
ギギィ、ィィ……。
焼け爛れた声帯から、傷だらけの酷い声を絞り出したかのような不気味な音とともに、扉は開きました。
その瞬間、原生林を漂っていた生暖かい湿気よりも、さらに熱い紫色の煙が、中から漏れ出してきました。その異様な匂いに思わず鼻をつまんだところ、
「依頼は」
物凄く低い声が、煙の奥から聞こえてきました。
「入るならさっさと入れ。その場所に留まりたければ勝手にしろ」
若者は、恐ろしくなって身を震わせましたが、たちまち勇気を取り戻し、こう尋ねました。
「あんたが、キヲク消去人?」
「だとすれば何だ」
「あんたに頼みたいことがあるんだ。今すぐやってほしい」
もくもくと立ちこめる煙に耐えきれなくなって、若者はむせながら、自分にやってくる煙を力いっぱい払いました。こうなるならマスクをひっぺがさなければよかった、と後悔しながら、
「人の記憶を消すことができるって本当か? それを聞いて来たんだけど」
「オマエも、世の噂話に転がされた口か」
煙の奥から、しゃがれた笑い声が聞こえてきました。小刻みに声を切って続くそれは確かに「笑い声」でしたが、顔はちっとも笑っていないとすぐにわかるほど干からびていました。
「人間の噂とは、いつ何時も、恐ろしいくらいの感染力を誇る。如何にも私は、人の記憶を消すことを商売とする、しがなく老いた男だ」
薄くなった煙の隙間から、大きな人影が現れました。
若者は一瞬、骸骨が動いている、と、凍りつきました。
人体の骨に薄い皮だけを貼り合わせたような、醜くやせ細った身体に、ぐにゃりと地面に頭を垂れる腐った大木にそっくりな、ひどく曲がった背格好。手足は伸びきった枯れ枝のように細長く、生きていくのに必要な養分をすべて吸い取られたかのようにだらりとぶら下がっていました。
「して、立ちっぱなしで話すか。座って話すか。どちらか選べよ」
「……この煙どうにかしてくれない?」
「それは無理な話だ。私の唯一の、嗜みであるから」
極めて干からびた樹皮に覆われた顔面が、煙の向こうで動きました。乾燥してひび割れた地表を思わせる口元には、真鍮で作られたパイプが、しっかりと咥えられていました。磨きに磨かれ鏡のように美しい火皿から、もくもくと紫色の濃い煙が生まれています。屋台も、屋台の店主も腐敗が進んでいるなか、これだけは手入れを欠かさないのでしょう。
「嗜みを奪うというのなら、それで良い。礼の一つとして、オマエが此処に来たことは無かった事にしてやろう」
「……我慢します」
「なら、入れ」
若者はうんざりした顔つきで、中心に置かれた木の椅子に座りました。作りはたいそう悪く、座面がでこぼこしていて、若者の尻はぐっと悲鳴を押し殺しました。
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