捨てた男 ①

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 屋台の中は、陰気臭いというのも軽々しいほど、重苦しい陰気に満ちていました。  キヲク消去人が生み出す紫色の煙は、普段の日常生活ではまずお目にかかれない、あやしい輝きを全面に纏っていましたが、それは到底神秘的で美しいとはいえないひどく歪んだ模様をしていて、むしろ神秘という言葉を食い殺すようなおどろおどろしい不気味さを際立たせているのです。  ――おれ、ここで死ぬのかな……。  若者はその気味悪さにゾッとしてしまい、暫時は身の危険すら感じました。  薄暗い紫に染まった屋台の中は、永い年月の間に棲みついた、種々雑多な植物によって支配されていました。床板のそこかしこから芽吹く雑草。立て付けの悪い屋根からぶら下がる蔓草。大きな火事でもあったのか、ところどころ焼け爛れた木の壁にこびりつくコケ植物。その壁に沿ってぐるりと円を描く、細長いツタと木の枝を無数に組み合わせた手作りの陳列棚。  その陳列棚には、色々な(、、、)もの(、、)が並べられていて、若者はその一つ一つを目で追いました。鋼鉄のロボット模型、宝石箱、動物のミニチュアや木彫り、家族写真、誰かのサインが入った色紙、くすんだ卒業アルバム、動きがぎこちなくなった兵士の人形、色とりどりの花が咲いた手作りのブーケ……一目見ただけで、何かしらの感情がじんわりと生まれてくる物たちが、まるで故人を弔うお供え物のように置いてあったのです。  そして、その陳列棚に囲まれた中心には、大きな切り株がひとつ。  依頼する人と依頼される人が真正面に向かい合うためのテーブルとして、そこにありました。 「まず、名前を聞こう」  真正面の向こう側から、つぎはぎの薄皮を貼り付けた骸骨が、ジロ、と見てきました。  まるで心臓の奥まで見透してくるような黒い眼玉に、若者は叫び声を上げてしまいそうでした。  それをなんとか、本当になんとかこらえた末に、 「――波部(はべ)(とう)()」  と、名乗りました。 「波部冬真。オマエの消したい記憶は、何だ?」  キヲク消去人は、口から紫色の煙を吐きながら、言いました。  煙は波部の周りをまんべんなく漂い、若い肌を覆う白のワイシャツと黒いスーツパンツの生地をすり抜けて、人一人の身体の中へ染み込んでゆくようでした。 「仕事のミスの記憶を消したい」  波部は、こう言いました。 「自分の記憶じゃなく、周りの記憶を消して欲しい。会社の上司、同期とか、年下の新入社員……おれがミスしたことを知っている人たちからその記憶を消して欲しい」 「自らではなく、他人の記憶を消してくれ、だと?」 「もううんざりなんだよ」  波部は、骸骨の黒い眼玉におびえながら、意を決して吐き捨てたのです。 「散々転職して、やっと自分に合った職場を見つけたんだ。今までよりずっと上手くいってたってのに、こんなとこで失敗したらまた職場を追い出される。周りの人間からジロジロ見られて、もう事務所に顔を出すのもしんどいんだ。このままじゃクビを免れても、仕事の出来ねぇただの役立たずってレッテル貼られたまま仕事する羽目になる。そんなのいやだ。これ以上、人生棒に振りたくない。ただの役立たずになりたくない。だからあんたのとこに来たんだ。全員から記憶を消して、おれのミスが無かったことになれば、安心して仕事ができる。安心して生活できる。ちゃんと(、、、、)生きていける(、、、、、、)。だから頼む……この依頼を引き受けてくれ」 「引き受けるさ」  汗をふきだして、両目を痛々しいほど見開いて訴えてくるこの若者に、キヲク消去人は淡々と返しました。 「人の記憶を消すことが、私の仕事。消してくれと頼まれれば消す。それが商売なのでな」 「ほんとか! 助かるよ、じゃあ今すぐ頼む……」 「その代わり」  キヲク消去人は、切り株の広い断面を、コツ、コツ、と、指で叩きました。
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