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気づいたら、近所の土手まで走ってきていた。
夕日が眩しい。
「何やってんだ、俺……」
ため息。告白どころか、順序すっ飛ばして、襲うなんて。
付き合う以前に、嫌われてしまった。怖がらせてしまった。
……折角、信用してくれていたのに。
「弟くん!」
これから先、一生聞けないはずの声が、背中に降り注いだ。
嘘だろ、と疑いながらも、振り返る。
「な、んで……」
小春さんが、立っていた。
「大丈夫? すごい青ざめてたから、追いかけてきた。霙は家で待ってるって」
肩で息をしながら、小春さんが俺に近づいてくる。
やめてくれよ……。
俺の思いは届かない。俺の恋は叶わない。
あの頃と変わらない彼女の優しさが、俺を深く抉る。
「ね、ちゃんと話そうよ。私バカだからさ、なんで弟くん怒らせたか、分かんなくて」
ごめんね、と付け加える小春さん。
……怒ってる、だって?
この人は、俺が怒って襲ったと思ってるのか?
信じられない言葉はまだ続く。
「……きっと、彼氏のフリが嫌だったんだよね。ごめんね、デリカシーなくて。自分のことでいっぱいいっぱいだった」
違う。
違う、違う、違う。
なんで、俺が悪いのに、この人は自分を責めてるんだ。謝ってるんだ。
押し倒しても、キスをしようとしても、なんで伝わらないんだ。
……なんで。
「……なんだよ」
「え? ごめん、聞こえない」
小柄な小春さんが、俯く俺の顔を覗き込む。
俺はその華奢な両肩をつかんだ。
「アンタが好きなんだよ! 小さい頃からずっと!!」
体の大きさに不釣り合いな、大きな瞳がまん丸に見開かれる。
こんな、勢いで告白する予定じゃなかった。
敗北前提の勝負なんてする柄じゃない。
またその場から逃げ出したい衝動に駆られるが、自分を抑えつけて小春さんの返事を待つ。
目が元の大きさに戻り、小春さんがゆっくりと言葉を選ぶ。
「私は……」
先日、振られていた男子同様、俺もごめんなさいと頭を下げられるに決まってる。
くそ、殺すなら早く殺してくれ。
夕日と同じくらい真っ赤になって、半ばやけくそ気味な俺に、小春さんは、
「私はまだ、恋とかよく分かんなくて……」
と、中学生男子のようなことを言い始めた。
信じ難い。受け入れ難い。
でも、それなら、死ぬほど鈍感なのも合点がいく。
知らないものは、反応できないのだ。
小春さんは、彼女の肩をつかんでいた俺の右手を取って、
「だから、弟くんが教えてよ」
私に、恋を。
夢を見ているのかと思った。
それくらい、俺にとってあまりにも都合が良すぎる。
「さっきは、食べられちゃいそうで、びっくりして泣いちゃったけど……」
ぎゅ、と握る手に力が込められた。
「弟くんのこと、私は好きだよ」
きっと、その「好き」は、俺の求めている「好き」じゃないだろう。
それでもいい。絶交されてもおかしくない過ちを犯したんだから。
「……許して、くれるんですか」
「……あんまり、強引じゃなければ」
俺は握られた手を握り返す。
「これは?」
「……大丈夫」
「……じゃあ、これは?」
指と指を絡めてみる。小さな手が、俺の手に合わせて、開かれる。
「……大丈夫」
「そっか……」
はぁ、と盛大に息を吐いた。
ホッとした勢いで力が抜け、思わずしゃがみ込む。
ローアングルから、彼女を睨みつけ、
「……絶対、俺のこと好きにさせるから」
「顔は好きだよ」
俺の小っ恥ずかしい決意表明は、いとも容易く微笑まれた。
難攻不落だ、これは。
今まで、小春さんが照れた様子はない。意識されていないからだ。ずっと、俺だけ、俺ばかりが恥ずかしがっている。
こんなの、不公平だ。
俺は立ち上がって、許された恋人繋ぎをしながら帰路につく。
「一つだけ、お願いしてもいいですか」
「なぁに、弟くん?」
「……俺のこと、名前で呼んでください」
「弟くん」じゃなくて。
「え……」
急に言葉に詰まる小春さん。
まさか……。
「俺の名前、忘れたんじゃ……」
「覚えてる! 流石に覚えてるよ!」
じゃあ言ってくださいよ、と目で催促する。
「ふ、吹雪……」
小春さんの頬が赤く染まった。
手を繋いでも照れないのに、なんでこれで照れるんだ。
疑問が湧きつつも、嬉しさが勝る。
初めて、彼女に意識された。
こうやって一歩ずつ、行けばいいのか。
はじめの一歩を踏み出さなければ何も始まらない。長い道のりだって、一歩を踏み出せばその連続で辿り着けるはずだ。
好きな人に名前を呼ばれるくすぐったさを噛み締めて、
「はい」
人生で一番の笑顔で、俺は彼女に返事をした。
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