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 スイとは、高校三年の時に出会った。  わたしは受験生。  学校で最終下校時刻の八時まで勉強して、その後は予備校で十時まで勉強して、帰ったら一時まで勉強して、翌朝五時に起きて誰もいない教室でホームルームが始まるまで勉強する。  都内の駅。店と店の間でポッカリと口を開けている出入口。  地下へと続く階段に足を掛ける直前、少し離れたところでチカチカと瞬いているパン屋の看板を見付けた。  別に、若者向けのお洒落なベーカリーというわけではなかった。都内であればどこでも見かける、ありふれたチェーン店。  雨だからか夜だからか、店内に客は一人しかいなかった。残業終わりらしい中年のサラリーマンが、ソーセージのパンかコーンマヨネーズのパンか、トングを持ったまま悩んでいる。  傘を畳んで、店内に入る。  客だけでなく、パンもほとんど残っていない。  トングとトレイを手に取って、残っている商品を片っ端からトレイに載せていった。特に意味があったわけではない。いや、もしかすると、その時は何か考えがあったのかもしれない。しかし、全部一人で食べようと思っていなかったことは確かだった。  ただ、たしかその時は、心が重たかった。  その重みと釣り合いの取れるだけのものが欲しかったのかもしれない。 「合計13点で、お会計3348円でございます」  山盛りのトレイをレジに置くと、動揺も見せずに店員が値段を告げる。 「5000円お預かりいたします」  自動精算式のレジから、お釣りの出てくる音がする。差し出した掌にお釣りを載せようとして、しかし、店員はそこでピタリと手を止めた。 「あの」  遠慮がちだが、躊躇いも、歯切れの悪さもない声。手元から顔を上げると、店員は視線で、今しがた紙袋に詰めたばかりのパンの山を指し示した。 「それ、よければ一緒に食べませんか」  言葉の意味がわからず、しばし黙ったまま正面の顔を見つめる。  男の子かと思っていたが、よく見ると飾り気のない女の子だった。  多分、二つくらい年下。  無表情の中に浮かんだ二つの瞳が、じっとこちらを見返している。  息をするように、首が動いた。  私が頷いたのを見て、彼女は安堵したように、かすかに頬を緩めた。  ストンと、何かが胸に落ちるのを覚えた。  それが、スイとの出会いだった。
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