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2
シロとの生活が始まった。
あれから買い出しや部屋の説明。
家の中で触っていいもの、悪いもの。隣の家の人には顔を見られないように気をつけること。当分の間は二人で必ず外へ出ること。
ぼうっとして、自分に対して無頓着で雑なシロにあれやこれやとしているうちに日曜日が過ぎた。
驚いたのは、シロがスマホと財布しか自分のものがないこと。コンビニのビニール袋には、うがい薬とスキンと紙コップ、ジェルという如何にもな物ばかりで板野はしかめ面になった。それを見てシロは笑っていた。
ー昼飯、食べたか?
平日は職場からシロに用意した昼ご飯をちゃんと食べたか連絡を取るのが、板野の日課になった。
ー食べてる。おいしい。
板野はシロの仕事以外は時計としか使っていないというスマホに連絡先を教えた。
シロが勝手に外出せず、ちゃんと家で大人しくしているのか不安になり、位置情報を登録しようかとも考えがよぎる。
冷静になれと板野は自分に言い聞かせた。
「…何やってんだ、俺」
ここ数日、仕事以外はシロのことで頭がいっぱいだ。新しくペットを飼うことになると、あれやこれやと世話をするのはもちろん、教える事もある。物を揃えたり、自分が不在の時は慣れるまで不安にもなる。まさしくそれかも知れない。
「どうした?板野?」
食堂でランチを食べていた板野の真向かいに、大学からの同期で仲の良い医薬品開発課の松岡が現れた。
松岡は板野と同じ本日のランチメニューのハンバーグ定食を頼んでいた。
「…いや、何も」
「そうか?なんか浮かれてる感じがするぞ」
「俺が浮かれてる?」
「恋人でもできたか?」
「からかうなよ。松岡は俺と春奈の現状知ってるんだろ?」
春奈は板野の恋人である。大学の同期であり、就活を機に知り合った。
経済学部の板野とは違う薬学部であるものの、松岡も同じきっかけで、仲良くなった。
三人とも同企業を受けたが、春奈は不採用。春奈はその後他社の医薬品メーカー会社に受かり、総務として働いている。
板野とは付き合って、二年目。順調に付き合っていたはずだった。
「四月にプロポーズして、もう三ヶ月。プロポーズを保留にされて、心ここに在らずな板野を飲みに連れ出したのは、誰だ?」
「感謝してる。今はすぐ了承もらえなかったショックよりも、もうどうしたらいいかわからなくなって普段通りに生活するしかなくなってる」
「彼女から連絡は?」
「ない。俺から連絡するタイミングがわからなくなった。何度もどうしたらいいのか聞こうと思ったんだけど」
結婚願望は早いうちにとあると、互いに知っていた。仕事に慣れてきて、今家庭を持てば、ゆっくり腰を据えて仕事にもプライベートにも、付き合っていけると思った。彼女もそうだと思っていたから、板野はプロポーズした。
プロポーズは、ドライブデートの後、車内で「結婚しないか?」と言った。場所が悪かったのか、指輪がなかったことがダメなのか。
「今は考えさせて欲しいの」と春奈に言われて何も言えなくなった。
「…忘れてたこと、思い出させるなよ」
冷めた味噌汁を飲んでも、あんまり美味くない。
「悪い。でも気になってな。浮かれてるように見えたのは彼女とまたうまくいったのかと思ったんだよ」
松岡の味噌汁はまだ湯気たっていた。
このままでいいはずかない。そんな風に思いながらズルズルと三ヶ月経っていた。
ーお兄さん、仕事頑張ってね。
そんな中、シロの通知画面が目に入る。何気ない気遣いが純粋に嬉しい。
「誰だよ?」
板野がよっぽど嬉しそうなのが顔に出ていたらしい。スマホ覗き込もうとする松岡には見られないように、画面をオフにする。
「なんでもない」
まさか、自分より年下の青年を一ヶ月飼っているなんて言えない。
普通、どこの誰だかも知れない青年なんて家に招かないし、一ヶ月住まわせない。
人助けにして人が良すぎる。
自分以外が見れば、どう見ても犬ではない。青年だ。やっぱり、松岡に事のあらましを言えるはずがない。
「ならいいけど。ズルズルしてても良くないと思うぞ」
「…わかってる」
春奈がシロのように素直で従順ならよかったのに…。それは女性に対して失礼だとは分かっているが、板野は思ってしまった。思うようにいかないと相手に求め過ぎてしまうのかも知れない。
板野が帰宅すると、シロは必ず玄関先で座って待っている。
「おかえり、お兄さん」
板野は夢ではないとこの時、実感する。
やっぱり家に待ってくれる人がいるのはいいな。
「どうしたの?」
「いや、なんでも。何もなかったか?」
板野がシロの頭に手をポンっと置くと、シロはじっと板野を見てから、うなづく。
「本読んだ。お兄さんちの本、ほとんど読んだかな。面白かった」
シロはテレビより本や雑誌を好んで読んでいる。テレビは板野と一緒にいる時だけしか見ない。
「ならよかった。夜ご飯、食べたか?今日は残業で遅くなるから、先食べてていいって言ったろ?」
「ううん。お兄さんが作るご飯がいいから待ってた」
「そんな大したもんじゃないぞ」
「一人で食べるよりずっといい」
「…わかった。座って待ってろ」
板野が頭を撫でると、シロは目を細め、見えない尻尾を振った。
板野は着替えせずにそのまま台所に向かった。
残り物野菜と豚肉のチャーハンとたまごとわかめの中華スープをシロはぺろりと完食した。今年で二十六なる板野は二十歳前後であろうシロを見て、若いなと思った。
「風呂は入れた。入ったらきちんと身体拭けよ」
「わかった」
シロは食べた食器を板野に渡すと浴室に向かった。
「さて、明日の仕込みをするか…」
飼い主として食事を用意することは、大切な仕事だ。人並み程度の料理であるし、調理時間は、仕事のストレスも忘れられて、板野は好きだった。
洗い物を済ませて、黙々と調理作業をした後、シロが風呂が上がった。
ドライヤーを手にシロがリビングにやってくる。
板野はいつもシロの背に回って、ドライヤーで髪を乾かす。
「なあ、シロ」
「なに?」
「ずっと気になってたんだが、この白髪は地毛か?」
「昔は黒かったんだ。でも小さい時、お母さんの気を引きたくて、ブリーチしたら真っ白になって。それからずっと何故か白髪なんだよね」
「そんなことってあるのか?」
「あるみたい。小さい頃、いろいろあったから。もしかしらそのストレスから来るものかもって、保健室の先生に言われたこともある」
「…悪かった」
「オレにストレスの自覚ないから、気にしないで」
シロの表情があまりわかりにくいのも、ストレスが起因しているじゃないかと板野は言いそうになったが、やめた。
おせっかいな性分で心配はいくらでもするが、深入りしないラインは、わかっているつもりだ。
「お兄さん、気になってる?」
「心配ではある。でも、シロはシロだろ。これからのことを考えろ」
自分の役目は、シロがちゃんと仕事を見つけて、学校生活に戻れるまでをサポートする。板野はそう決めた。
「…うん」
シロは振り向いて、板野の首に手を回して抱きついた。板野はシロの重みで、床に押し倒された。
「こら、まだ髪乾いてないぞ」
「…ありがとう。お兄さん」
シロの顔は見えないが、心なしか声が震えている気がした。
落ち着かせるように板野はシロの背をさすった。
「ねえ、本当にいいの?」
床に横になった板野にシロが声をかけた。
シロはベッドからじっと板野を見下ろしている。
「言ったろ。ちゃんとした布団で寝なくちゃ、腹冷やして風邪をひく」
「それもだけど。一緒に寝た方が早くない?」
「なんでそうなるんだよ」
「だって起きたらお兄さん。オレを抱き枕にして、ベッド入ってるから」
板野は何も言えない。事実、板野は寝る際には床に寝ているのだが、朝、気がつくとシロを抱きしめてベッドにいる。
男二人、狭いにも関わらずだ。安心して落ち着くのだろう。無意識は恐ろしい。
「俺にそんな趣味はない」
いくらペットのように可愛がっていても、シロは人間で、男だ。自分にそんな趣向はないとわかっている板野は、そこはしっかり認識しておかねばとシロから背を向けた。
「ふーん…」
「おやすみ」
納得しきれてないようなシロの声を無視し、板野が目を瞑った瞬間、バイブ音が響いた。
板野のスマホには「妹」の文字があった。
着信を受けた板野は、横になったまま話したいと思い、スピーカーにした。
「もしもし」
「お兄ちゃん、夜遅くにごめん」
「智子、どうした?」
「最近、お兄ちゃんから連絡ないから」
「心配で連絡してたら、うざいからやめてって言ったのは誰だよ」
「それは…だって、お兄ちゃん、勉強してるか、体調は大丈夫かって親みたいなことばっかりいつも言うから」
「親みたいなもんだろ」
「小学生の時の話でしょう。ま、中学生になっても、お弁当も参観も三者面談までお兄ちゃんだったけど」
「そこはおじさんやおばさんには譲れないからって言ったろ。今は智子は年頃だからって、一応遠慮して…」
「わかってるならいいよ。昔は忙しいおじさんやおばさんに変わって家事してさ。今は自分のこと大切にしてほしいの!一人暮らしなんてお兄ちゃんにしたらラクチンなんだろうけど、寂しくない?」
「寂しくないよ」
「彼女さんとうまくいってる?」
「なんだよ。小姑か?」
「そんなんじゃなくて!お兄ちゃんの心配してるの!」
「それは…まあな」
「あ!なんかあったなー」
「智子には関係ないだろ。で、智子は何のようでかけてきたんだ?まさかお兄ちゃんが恋しくて電話したわけじゃないだろ?」
「あ、当たり前じゃない!ほら、もうすぐお盆でしょう。お父さんとお母さんのお墓参り行こうよ」
「そういや、そうだったな。うん、休みがわかったら、連絡するよ」
「私もお兄ちゃんに合わせるから。じゃ、またね」
「冷房の温度低くしすぎるなよ。腹も出して寝るな。あと、夏休みの宿題、ちゃんとしろよ」
「はいはい!わかってるって!あ、お兄ちゃん、熱中症に気をつけてね!おやすみ!」
「おやすみ…って俺が言う前に切りやがったな」
一人スマホに向かって愚痴る板野を見ていたシロがくすくす笑っている。
「何がおかしいんだよ」
板野がシロの方を向くと、スピーカー越しで全て聴いていたシロが嬉しそうな顔をした。
「思った通りのうざいお兄ちゃんだと思って」
「悪かったな」
「悪くないよ。妹さん羨ましいなって。それぐらい守ってくれるお兄ちゃんがいるって」
「…聞こえてたと思うけど、両親は俺が大学一年の時に事故死したんだ。俺は大学一年、まだ妹は小五だった。引き取ってくれたのが、子供がいない親戚のおじさんおばさんですごくいい人だったから助かったけど、二人とも共働きだったから、できることは全部俺がしたくてな」
「だからそんな世話焼きでお人好しなんだね」
「それ、褒めてるか?」
「褒めてるよ。お兄さんのそういうところ、オレ、好きだよ」
褒められている気はしないが、好きと言われて嫌な気はしない。シロが嘘をついているとも思えなかった。
「そりゃーどーも!そう言えば、シロは兄弟いないのか?」
「…いるように見える?」
「一人っ子か」
「当たり。オレもお兄さんと一緒。親はいないようなものだから、今までこんな生活してたし」
「そうか…」
「でも、なんとかしなくちゃね。お兄さんに拾ってもらって今はそう思ってるよ」
「それは甲斐があったな。さ、そろそろ寝よう」
「うん、おやすみ。お兄さん」
「おやすみ、シロ」
板野はシロとの距離がまたぐっと近づいた気がした。公言できるような関係ではないけれど、この出会いには意味がある。きっとシロも同じように感じているからここにいるのだと板野は思った。
七月の最終週末。
板野がシロとの生活に慣れてきた頃。
「お兄さん…」
シロが板野の膝上から見上げる。
「どうした?」
板野は眼鏡をかけて、パソコンを見ていた。
仕事柄、新薬に対する知識を把握しておく必要がある。それは休日も問わない。
シロは板野の膝に頭を乗せて、近くの図書館で借りた本を読んでいた。
本から顔を出して、シロはじっと板野を見ている。板野は視線を感じているものの、パソコンから目を離さなかった。
「どうした?」
黙ったまま見つめ続けるシロに、板野はパソコンからようやく目を離した。
「仕事してる。わからないか?」
「わかるよ。でも少し話をしたくて」
「珍しいな」
シロは自分からたくさん話すタイプではない。
板野の話すことに相槌を打ったり、板野からシロの様子を伺って話して返答する。
休みもこうして、お互いにしたいことをしていることが多い。
「どうした?」
板野が眼鏡を外した。
「お兄さんに、お世話になってばっかりで、何かお返ししたいなって」
「その気持ちがあるなら、仕事探しをしたらどうだ?」
「してるよ」
「進捗まだ聞いてないぞ」
「それはまた話す」
「さすがにバイト先の世話までしないからな」
「わかってるって。自分で次のこと決める。ちゃんとしたところで働く。でも、1か月、お金も払わず、何もしないでお兄さんの家にいるって、なんだか落ち着かない」
「1か月だけだろう。夏休みに知り合いの家にお世話になってると思えばいい」
シロは黙ったまま起き上がると、板野に抱きついた。
「おい、なんだ急に?!」
驚いた板野の頬にシロはキスをした。板野はぎょっとしてシロを見る。
「…なんのつもりだよ」
シロは平然とした顔をしている。
「お兄さんにできることって、こう言うことかなって」
「思考回路どうにかしてるだろ」
「キスはしないけど。朝いつも抱き枕にしてるし、普段だってスキンシップするから、同じじゃない?」
「それはシロを可愛がってるだけだ。前の仕事との客と同じようにしないでくれ」
「お兄さんは女の人にしかしたくないの?」
「ああ、そうだ」
「じゃオレみたく可愛がるのは、オレだけ?」
「当たり前だろ。他の男を見てもそんな気は起こらない」
「ふーん」
「なんで嬉しそうなんだよ」
「おかしいな。顔には出てないはずなのにな」
板野から見れば、尻尾を振っているようにしか見えない。黙ったままの板野にシロはギュッと抱きつく。
「お兄さんにお返ししたいのにな…」
「なら冷蔵庫にある炭酸水とってきてくれ」
「そんなお返しでいいの?」
「おもちゃ投げて、取ってきてくれるだけで飼い主は嬉しいんだよ」
「…わかった」
そう言って急いで取ってきたシロの頭を撫でると嬉しそうに目を細めた。
板野はそれで充分満足だったのだが、まさかシロが想像以上のことを仕掛けてくるとは思っていなかった。
「おい、な、何してるんだ?!」
事件は翌朝、起きた。
板野はいつものようにベッドで目を覚ました。
ふわふわとした頭の感触と抱きついたシロの体重の重さでいつもなら目を覚ますのだが、今朝はやけに身体が軽い。しかも、下半身がスースーする。
板野が下を向くとシロが板野の大事な部分を口で加えていた。
「シロ?!」
「…んっぐ」
くちゅくちゅといやらしい音がするのと同時にじわじわと熱感が迫るのを感じて、板野は息を飲む。
体を起き上がらせて、シロをやめさせようとしたが、シロは一向に止める気配がない。
躊躇もない行為は、シロの経験値を思わせた。
板野はなぜか悲しい気持ちになった。
「頼むからやめてくれ…」
「…きもちわるい?」
身体は気持ち悪くないが、板野の心は喜んでいない。
「シロにそんなことをされたくない」
まっすぐにシロを見て板野が言うと、シロは動きを止めた。
「悲しい顔をするな」
「お兄さんを喜ばしたかった。朝になったらかたいのは、オレだってわかるし」
「それは生理現象だからって男ならわかるだろ。こんなの時間が経てば…」
「最近、彼女さんの気配もないし…」
「痛いところをつくな」
「気持ち良くすることしか、オレにはできないと思って」
「そんな突拍子もないことを…」
「お兄さん、オレ、何もできないの?」
シロにじっと上目遣いをされて、板野の中がゾクッとした。シロの魅惑的な雰囲気が恨めしい。
「わっ…!」
板野は衝動的にシロを抱きしめた後、ふわふわの前髪からおでこを見つけ出して、キスをした。
シロは目をパチクリさせている。
「シロは俺が興奮して、気持ち良くなったら満足なのか?俺はこんなことをする為にシロを飼ってるんじゃないぞ」
「わかってるよ。お兄さん、オレに呆れた?」
「呆れてるのは自分自身だ」
「え?」
「興奮してるのは事実だから」
「それは…オレだって」
もぞもぞと腰を動かすシロを見て、板野は熱いため息をつく。
「客にもそうやって煽ったのか?」
板野は胸の中がグッと熱くなるのがわかった。
愛犬が他人に尻尾を振ったあげく、リードまで取られたような気分だ。
「そんなことない。お客さんは勝手に興奮して、勝手に気持ち良くなって終わり。オレはただ機械的に行為をしてるだけだから…こんな風に仕掛けたのはお兄さんがはじめて」
「…バカだな」
板野がシロを抱きしめると、シロも抱きしめかえしてきた。
「お兄さん、オレの事嫌いになった?」
「ならないよ。ただ、頭がついていかないだけだ」
シロがじっと板野を見つめる。その瞳はいつも板野に何かを訴えていた。今日はそこに熱を孕んでいる。
「こんなの、後悔する」
「それはオレが男だから?」
「いや、シロだからこんなことになってる。それだけは確かだ」
「…お兄さんとなら、オレ後悔してもいいよ?」
「あのなー」
項垂れる板野を見ても、シロは揺らがない。
「…ダメ?」
シロが首を傾げて、熱のこもった目で板野を見つめている。こんなに心臓が爆発しそうに高鳴るのは、生まれてはじめてだ。
今まで板野にこんな風に甘えてくる女性はいなかった。キスしてから相手が喜ぶまま、流れるように行為をした。こんな風に躊躇することもなかった。
「シロは俺が、嫌じゃないのか?」
「嫌じゃないよ?だって…」
「だって?」
「お兄さんにできること、したいから」
シロの言葉を聞いて、板野の理性が弾けた。
まっすぐ、純粋で、甘え上手なシロを可愛がりたい。
春奈には、別れを告げよう。
心の中で誓いながら、板野は感情のままに、シロにゆっくりと口付けた。
ぐるんと視界が変わる。シロをこうして見下げることになるとは、数週間前の板野は思っても見なかった。
「んっ…」
シロはやっぱり魅惑的だった。
板野は、シロを相手に行為をできるか少し不安だったが、舌を絡ませても、ひたすら欲望しか高まらなかった。
「ふっ…んっ…」
シロの鼻から抜ける声が板野をさらに煽る。
いやらしい音が鼓膜を刺激して、互いに求め合う。
「んっ…んんっ」
見つめ合う瞳が熱をもっているのがわかる。
板野はシロのパンツをずらして、熱の塊をそろりと撫でる。
「そんな躊躇しなくていいよ?」
「いや、はじめてだから、こんなの…」
「気持ち悪い?」
「それはない。怖いぐらいに」
「じゃ、お兄さんの触るね」
シロは手慣れた様子で片手を板野のパンツに滑り込ませる。
「…なんか、悔しいな」
「なんで?」
「手慣れてるから」
「ムキになるところじゃないでしょ?」
「余裕があるのも…」
「…余裕なんて、ないよ」
「えっ?」
板野の唇を奪ったシロは、自ら腰を板野の手に擦り付けた。
板野はずんっと快感が脳裏を突き抜けるのを感じて、左手でシロの熱の塊を強く揺さぶった。
シロは快感を追うままに声を荒げた。
「あっ…ああっ…!」
板野はシロの辛さから解放させるために、手練を使う。
「…あっ…も…ダメっ」
はあ…と熱い息を吐くのと同時にシロが吐精した。
「つぎは…お兄さん…」
シロは息を整えると、右手で板野の熱の塊を何度も強く振り絞った。
「くっ…」
苦悶の表情を浮かべた板野が吐精した。シロはじわじわと余韻に浸る。
板野もそれを見て、同じように余韻に浸った。
「…はあ」
ため息を吐いた板野はシロの隣で仰向けになった。
「ふふっ…後悔してる」
隣で微笑むシロは、板野が今まで見たことがない妖艶さだった。こんな風にいつも客を相手にしてたのか…。
「このタイミングで楽しそうにするな」
「お兄さん、なんで不機嫌になるの?」
「…不機嫌じゃない」
「不機嫌だよ」
シロがまた笑っている。板野はその顔を見て安心した。
「後悔もあるけど、不思議とすっきりしてる」
「よっぽど欲求不満だったんだね」
「だとしても、相手がシロだなんて…」
「後悔したり、安堵したり、忙しいね」
「…シロは嬉しそうだな」
「だって、お兄さんはオレのせいで悩んでるから」
「なんだよ。それ」
冷房の音が轟々と鳴っているのを聞きながら、板野は目を閉じた。
シロが胸元に擦り寄ってきたのが、わかった。
いったいこの関係は何なんだろう?
そしてこの不思議と安らぐこの気持ちはなんだ?
前からあった小さなこの気持ちがむくむくと膨らんで弾けて、満たされていく。
「…とにかく、シャワーを浴びるか」
板野はこの日初めて、シロと連れ立って浴室に入った。板野は自然とシロの髪と背中を洗った。
シロはされるがままだった。
こんな風に事後を過ごすのは初めてだ。彼女といた時には一歩引いて行動を我慢していた。
板野は自分のしてあげたい気持ちが満たされていくのを感じた。
八月に入って、板野は春奈に連絡を取った。
近くのファミレスで待ち合わせをし、三か月ぶりに対面した。
「智也くんからなにもないから、嫌われたのかと思った」
「それは、こっちのセリフだ。もう会ってくれないのかと」
「ごめん。私が返事を渋ってたから」
板野は春奈が頼んだアイスコーヒーを飲んだ。
「智也くん。家庭のことはぜんぶ私にしてほしいでしょ?」
春奈の前では、自分がすべてしたいところをグッと抑えていた。本当はすべて自分がしてあげたい。でも春奈がしたいと思う気持ちも嬉しい。そんな気持ちがせめぎ合っていた。
「ごめん。私、智也くんと結婚するって考えたとき。それは無理だなって思った」
板野も同じだった。嫌われたくなくて、自分を我慢していた。そもそも板野の中でシロとの行為を遊びと割り切って、春奈と関係を続けることはできない。
「だから、私智也くんとは結婚できな…」
「ごめん。春奈」
「え?」
板野に話を遮られて春奈が驚いた。
「俺も春奈に連絡しなかった時間、気づいたんだ。俺が知らず知らず我慢してたことに…」
「プロポーズしたのに、それってひどい」
春奈が苦笑する。
「ごめん」
板野は頭を下げる。
「頭上げて。結果、私も断ってるから、これ以上言えない」
もし、このまま春奈と結婚の話を進めて行ったとしてもいつかこんな日は来ていただろう。
「彼女と別れたの?」
玄関先で板野を見るなり、シロは言った。
「ああ…」
「どうして?」
シロがしゅんとして尻尾と耳を下げているように見えた。
「彼女にフラれた。でも俺も彼女といるときは、本当の俺じゃないって気づいた。もちろん好きだったけど、結婚しても、無理して続けてたと思う」
「…オレのせいじゃない?」
「なんでシロのせいなんだよ?」
沈んでいるシロを慰めるように、板野は頭に手を置いた。
「…オレとあんなことしたから、お兄さん。真面目だから、別れようって思ったんじゃないかって」
板野のTシャツの裾をシロは掴む。
「気づいたきっかけは確かにそれだ。でも、決めたのは俺自身だ。シロが責める事じゃない」
板野は頭にあった手をシロの腰に回して、自分の身体に寄せた。
「ほんと?」
じっと見上げるシロの目には疑いもあった。
「…飼い主の言う事が信じられないか?」
板野は目を逸らさず、じっと見つめ返して言った。
「…わかった」
「なら、夕飯を買いに行くぞ」
「…いつもみたいに帽子被る。ちょっと待ってて」
隣人の目につかないよう万が一のために、シロはサマーニットの帽子をかぶっていつも板野と二人で外出する。
「…シロがいてくれてよかった」
小さな声で板野はつぶやいた。
「そっかー別れたのかー」
お盆休みに入ってすぐ妹と休みを合わせた板野は、レンタルカーを借りて、お墓参りに行った。
「あんまり驚いてないな」
妹を送る車の中で板野は彼女と別れたことを伝えた。
「前の電話でなんかあったのかなって気はしたし。二年近く付き合ってるの見て、お似合いだしもちろん仲はいいけどさ。二人で住むとなるとお兄ちゃん我慢するだろうなって思ってた」
「わかってたのか?」
「私はお兄ちゃんの妹だよ?お兄ちゃんが尽くしたい男子だってのはわかってたから。春奈さんにはそれを半分ぐらいしか出してないなーとは思ってた」
「…気づいたらなら、早く言ってくれよ」
「私が言ったって、お兄ちゃんがはいそうですかって言うとは思わなかったし」
「それはまあ…そうだな」
「お兄ちゃんはなんで別れようって思ったの?我慢してるなって気づいただけじゃないでしょう」
「犬を拾ったからかな?」
「犬?」
「智子には言ったことないけど、俺、ずっと犬が欲しかったんだ。でも飼ったら大変だし、俺の性格だとそのことしかずっと考えられなくなる。そう思ったから、ずっと飼えなかった。でも、そんな犬を突然拾ったんだ」
「欲しかった犬か…。ま、私がもし彼女さんで犬に負けたって聞いたら、許せない。でも妹としては、お兄ちゃんのその気持ちは大事にしてほしいかな。犬飼いたい気持ち我慢してたのは私のせいもあるんだろうし」
「ありがとう」
「今度愛犬に合わせてよ」
「…それは」
愛犬がまさか白髪の青年だとは、言えない。
「ぜったいだからね!!」
妹のぜったいは、本当にぜったいなのだ。
「考えとくよ…」
妹に圧倒されて板野は断る術がなかった。
「あ、お兄ちゃん、本当に家寄ってかないの?」
「それはまた日を改めるよ」
「もしかして、家にその犬を待たせてるとか?」
黙っている兄を見て、図星だ!と妹が指を刺した。
「いいから、さっさと帰れ!」
「はーい!じゃ、またね!お兄ちゃん」
「あ、智子」
「なに?」
「おじさんおばさんに迷惑かけるなよ」
「わかってるよ。お兄ちゃんうざい」
バタンとドアを閉められ、妹の背中を黙って見送るしかなかった。
「おかえりなさい」
その日の夕方。帰宅すると、シロが待ってましたと言わんばかりに玄関先で抱きついてきた。
「ど、どうした?」
「仕事先、決まったよ」
シロのアヒル口が緩んで、しっぽが揺れている。
褒めて、褒めて、と言わんばかりだ。
「面接いくつか受けるって言ってたな。そのうちの一つから連絡きたのか?」
シロがうんうんと首を縦に振る。
「よくやったな。話を詳しく聞くから、部屋に上がらせてくれ」
シロの頭をポンポンとすると、シロは板野から離れた。そして前を歩いて部屋に向かった。
「ガソリンスタンドか…」
「24時間営業でね。夜遅くまでやってるから時給もよくて。頭の色もクリアできたよ」
「よかったな。夕飯はシロの好物を作ろうか」
シロは目をキラキラとさせて、板野を見つめる。
「なにがいい?」
「うーんと…その前に」
シロが板野にいきなり抱きついた。
「なんだ?さっきからよく抱きついてくるな」
シロは板野の顔を見た後、頬にキスをした。
「…どうした?」
驚いた板野にシロは平然としたまま言った。
「ごほうび、欲しいな」
「…ごほうび?」
「お兄さんに褒めて欲しくて、頑張ったから。ね、同じようにほっぺたにしてよ」
シロは自分の頬を板野の顔に近づける。
「シロ」
待てと言うように名前を呼ぶと、シロは唇を尖らせた。
「俺は、シロが可愛いと思うよ」
シロの目がきょとんとする。
「可愛いって言われても嬉しくないかもしれないけど…俺は大好きな犬を溺愛してんだろうなって思う。人様に言ったら、完全におかしな状況だけどな」
板野はこの腕を振り切れない時点でシロを可愛がりたいのだと思った。
「俺は、家族に尽くしきれなくて。一人暮らしをしてからは、彼女と早く結婚することで寂しさを紛らわしたかったのかもしれない」
「やっぱり後悔した?」
「それはない。ただ人を傷つけたくなくて、頑張ってきたつもりなのに、うまくいかないな」
シロが板野をぎゅっと抱きしめた。
「すまない。シロにこんなこと話すなんて…」
シロは首を横に何度も振った。
「お兄さんは悪くないよ」
きつく抱きしめるシロの体重がそのまま板野にかかって、板野が床に押し倒された。
「いって…」
「大丈夫?」
「ああ…」
「なんでシロが泣きそうな顔してんだ」
シロは涙を我慢するように唇をへの字にしていた。
慰めるように板野はシロの頬を撫でた後、指で掴んだ。
「痛いよ、お兄さん」
「…ついな」
ふっと笑った板野にシロは自分の唇を板野の唇に重ねた。
「んっ…」
突然のことに目を開いた板野にシロは深く口付ける。
「…んっん…」
抗えず板野はそれに応える。お互いに熱が灯ったのがわかった。互いに貪るようにキスをしたあと、息を吸う。
「…負けた」
板野が白旗を上げた。
「ご褒美なんだから、お兄さん、後悔しちゃダメだよ」
そう言ってシロは板野の唇に再びキスをした。
板野は性別がどうとかじゃなくて、相手次第なのだと痛感した。本能がシロが欲しいと言っている。
「んっ…んん…」
劣勢だった板野が身体を起き上がらせて、対位を逆転させる。
「頭痛くないか?」
「…ふわふわの頭だから、痛くないよ」
「そうか…」
板野はシロのTシャツの下に手を入れる。
さわさわと胸に手を這わせるとシロが身体を動かす。
「こしょばかったか?」
「違うよ」
板野はその言葉を聞いて、胸の尖にそっと指先をやる。つまむようにすると、シロのあまり変わらない顔つきが一気に歪む。
「あっ…ああ」
その表情を見て、板野はシロの胸元に顔を埋め、舌で尖を舐めた。
「や、やだ…」
「触られたことないのか?」
シロは首を縦に振る。
「シロの経験値ってどうなってんだ?」
「だからお兄さんみたいに相手を気持ちよくしようなんてことより自分優先の人ばかりだった」
「そうだったな」
シロが気持ちいいと感じるところを板野はなぶった。
その度にシロは気持ちいい声で鳴いた。
板野はすっと、先ほどから主張をしていた熱の塊に触れる。
「んんっ…」
「前より随分と興奮してないか?」
「そ、それはお兄さんもでしょ?」
「そうだな」
板野はベルトを外して、パンツをずらす。シロのパンツも下着ごと、板野がずらした。
板野が体重をかけると二人の熱の塊を擦り付けた。
たらたらと液が垂れているのが、さらに二人を煽る。
「…ああっ!」
「くっ…」
早く解放されたくて、板野は腰の動きを早めた。
「…ああ、もう、ダメ」
シロが顎を上げて、板野のシャツを掴んで絶頂を迎えた。ほぼ同時に板野もシロの腹の上に吐精した。
はあはあと息を互いに整えた。
「…すまない。汚して」
申し訳なさそうに眉を八の字にした板野を見て、シロは板野の頬にキスした。
「明らかに狭いよな」
「これもご褒美」
どう考えても狭い浴槽に向かい合って、男二人はきつい。
「まあ、いいけど。ちゃんと身体温まるまで浸かるんだぞ」
「はーい」
「いつも烏の行水のくせに」
「今日はお兄さんと一緒だから大丈夫だよ」
「…毎日さすがに入らないぞ」
「わかってる」
「頭と背中は洗うぞ」
「わかってるよ」
「シロはずいぶん楽しそうだな」
「こんな風に誰かとお風呂入るのはじめてだからかな」
「小さい頃とかなかったのか?」
「ないよ」
「…そうか」
濡れてふわふわじゃない白い髪を板野ははじめて撫でた。
板野は、その日がまさか翌朝やってくるとは思っていなかった。
板野はいつも目が覚めると、シロのふわふわの白い頭を確認しようと手を動かす。
「ん?」
だか、どこを触っても見つからない。
身体を起き上がらせて、目を擦って部屋を見渡したが、シロの姿にはどこにもなかった。
昨夜は初めて、一緒に寝ようとベッドに入った。
なぜか照れる板野をシロは笑っていた。
あれは夢じゃなかったはずだ。
「うそだろ?」
板野は家中を探した。どこにも隠れてはいなかった。
電話をかけたが、繋がらない。
外に出て、シロと歩いた場所や店を探したが、見つからなかった。
バイト先のガソリンスタンドはどこなのかわからないが、知っている範囲の場所はすべて回った。やはり見つからなかった。
「昨日はそんなそぶり見せてなかっただろ?!」
板野自ら声に出すと、さらに現実味が増した。
「くそっ…」
熱い地面を蹴って、日が高くなっていたことにようやく気づいた。
天地に落とされたようなこの気持ちは、いったい、なんだ?
板野は外から帰宅して、扉を開ければシロがいるのではと期待したが、やはりいなかった。
飼い犬には首輪がなかった。
いついなくなったっておかしくなかったのだ。
「だからってさよならもなしにいなくなるのか?」
シロのいない部屋の壁掛けカレンダーを見ると、シロがやって来てから、今日でちょうど一ヶ月だった。
「えーと、薬剤師やってます!24歳です。よろしくお願いします」
「私は看護師やってます!23歳です。よろしくです」
九月に入った。
彼女と別れたことを知った松岡が2対2のプチ合コンを開いてくれた。
前の浮かれた気分はどうした?心元ないって顔してるぞ…と松岡に言われた。
板野はシロがいなくなって以前の自分がどうしていたかわからなかった。彼女と別れたことと重なって、なおのこと喪失感が大きい。
「すべて自業自得だ。目を背けていたこと向き合って、他人を傷つけた代償だ」
板野がそう話すと松岡は「板野ってほんと真面目だよな」と呆れながら言った。
「えーと、私、犬が好きなんですよね!写真見ます?」
看護師の女の子がスマホ片手に板野に言う。
「あ、ああ。うん」
可愛いダックスフンドとチワワがいた。
「かわいい…」
「でしょー!オスのダックスでめろんって言って。チワワもオスでいちごって言います。もー二匹ともオスだって言うのにいちゃいちゃしてて!」
「そうなんだ」
「ま、私と一番イチャイチャしてますけどね!二匹とも顔をベロベロ舐めるんです。で、撫でると目が細くなってかわいい」
「それはわかる。可愛い。ふわふわしててずっと触りたくなるって言うか」
「ですよね!匂いも好きでかいじゃうんです」
「自分にはないな。あの匂いは」
「あれ?板野って犬飼ってたっけ?」
松岡が不思議そうに言う。
「違うんですか?てっきり板野さんって飼ったことあるのかと」
看護師の女の子も不思議そうな顔をした。
「何かペット飼ってらっしゃるんですか?」
薬剤師の女の子が問いかけてきた。
「すこし前だけど、飼ってたかな」
「マジかよ」
松岡が驚いた顔をした。板野は飼っていたというべきか悩んだが、嘘をついてるわけではない。まさか青年だとは言えないが。
「拾ったんだ。手を怪我してた白くてふわふわの犬を。でも首輪してなかったから、一ヶ月経ったぐらいでいつのまにか家から逃げて。自業自得なんだけど」
「ペットロスってやつか?だから元気なかったのか」
松岡が一人納得していた。
「それは、寂しいですね」
「…うん」
「写真あるんですか?」
看護師の女の子が見たそうに聞いてきた。
「いや、写真は撮ってないな…」
撮る概念なんてなかった。板野にとって、シロは友達でも恋人でもない。シロは何もかも特別だった。だが、シロにとっては、都合のいい可愛がってくれるお兄さんだったんだろう。
楽だからとこんな関係に浸っていてはいけない。仕事が見つかり、学校に行けるようになった。唐突な別れだとしても、自分の役目は済んだ。
板野は自分に言い聞かせた。
「迷子とかで、見つけられたらいいんでしょうけど、なかなか迷子犬って見つけづらいですよね」
「…うん」
女の子が一緒に悲しんでくれている。本当は喜ぶべきだと思いながら、板野の胸の中はシロがいない喪失感でいっぱいになっていた。
「じゃ、また〜」
板野と松岡は女の子二人を駅前まで送った。
「で、この後どうする?」
松岡が二軒目に誘う。女の子たちどうだった?と聞きたがっているのは目に見えた。
「そうだな…」
正直、今はまだそう言う気分にならないと伝えるか…。
板野が次の居酒屋を考えていた時だった。
人並みの中で白い頭を見たような気がした。
「おい、板野?!」
板野は顔色を変えて、人並みをかき分けて追いかけた。
「シロ?!」
しかし、人混み中で姿を見失った。
「おい、どうしたんだよ!急に顔色変えて」
追いかけてきた松岡が心配な顔で話しかけてきた。
「いや…シロが…」
「シロ?もしかしてさっき言ってた犬の名前か?」
「ああ…」
「よっぽど可愛がってたんだな。まあ、板野はマメだからな。彼女と別れたよりもショックなんじゃない?」
松岡が板野の肩を叩く。
「…そうかも」
「マジかよ!」
「自分でも驚いてる。シロをまだ必要としてて、諦められないことに」
「ペットって、怖いな」
松岡の言葉が板野の胸に沁みた。
外へ出ると、シロを探している自分がいる。本当なら探していますというチラシを配りたい気分だ。
まさか、できるわけがない…。
自嘲した板野は次の居酒屋がある方へ踵を返した。
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