お前にだけはキスなんかしてやらない

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「やっぱりカツ一枚追加して正解でした!」  自社ビルのガラス張り食堂で、棚本 敬(たなもと けい)はワイシャツの袖をまくり上げて大盛のカツ丼をほおばっていた。  九月の頭、大きな窓から差し込むが日差しが心地いい。  テーブルを挟んで向かい合って座っている女性が、蕎麦を食べながら感心した風に敬を見ている。 「棚本くんって意外とたくさん食べるんだ」 「腹が減っては戦はできぬ、が信条ですから」  おどけて応えると、女性が面白そうに笑った。  彼女は数日前、敬の所属する部署に転属してきたばかり。文房具メーカーに入社して二年目の敬の、八つ年上の先輩だ。敬は普段同じ部署の男性陣と昼食をとることが多いが、今日はウェブ研修が長引いたため一人遅めのランチとなった。昼飯を注文する列で、偶然、同じく仕事が押した彼女と前後したのをきっかけに、今日初めて昼食を共にしている。 「棚本くん、食べっぷりやら受けごたえやら、見た感じと違うよねえ。……あ、良い意味で!」  失礼な言い方だったかもと先輩が慌てたので、敬は急いで、大丈夫です! とフォローする。 「よく言われるんです、ヘルシーなサラダ食べてそうなのにとか冗談言わなさそうなのにとか。実際は家系ラーメンとか大好物」  敬のてらいのない笑みに彼女はほっとした様子で。 「あのこってりしたやつか。いやあ、ギャップ萌えってやつだねえ」  と楽しそうに笑った。  『見た目と中身が違う』とは、敬がよく言われるフレーズだ。  敬の親友が言うには、『黙ってれば日本画の美青年』という雰囲気が要因らしい。  すらっとしたスタイルに艶のある黒髪。涼やかな一重の瞳。磁器のような白い肌に紅い唇という取り合わせは確かに雅な印象を与える。  敬は高校時代、その見た目と中身のギャップを厭わしく過ごしていた。高校生になってすぐにできた初めての彼女に「思ってた感じと違う」と振られてしまったのがショックで。  だが今は、自分の見た目も中身も、ギャップも含めて素直に受け入れ、長所として捉えられている。  先輩が「ごめん、前の部署の子からメールだ」と社用スマホをいじりだしたので、敬はカツを食べつつ親友を思い浮かべた。  出会ったのは大学に入学したての時。小さな演劇サークルで。敬は小道具係、彼は役者として入部した。学部は違ったが、サークルは同じで、通学のバスの方面も同じだったのでなんとなく二人で連れ立って帰るようになり、いつしかよくつるむようになった。好きな映画が同じだったり食の好みが合ったり。彼の、演じることへ熱い思いを尊敬したり。彼はもてていたし彼女もいたようだったけど、いつも二人でいっしょにいた。彼のこと、自分のこと、好きなもの嫌いなもの、勉強のこと、これからの未来のこと、いろいろ話した。  そして、ギャップに悩んでいた敬を救ってくれたのが、彼だった。『そのギャップこそ、そのギャップも含めて、それが敬の魅力だと思う。自信もて』と。  卒業しても縁は続き、社会人になっても仲の良い、親友だ。 (そう、親友だ。こんなに四六時中あいつのことを考えてるけど、ただの仲のいい親友……)  敬の箸が止まった――と。ブルル。突然、尻に振動が伝わってきた。スラックスのポケットに入れているスマホが震えたのだ。そして同じタイミングで先輩が、「推しの更新の通知だ!」とテーブルの上に置いてあった私用のスマホを手に取った。 (推し? 更新の通知? このタイミングで?)  嬉々として指を滑らせる手元にくぎ付けになっていると、それに気付いた先輩がスマホ突き出すようにして画面を敬に向けてきた。 「私の推し! 最近人気の俳優。知ってる?」 「知ら、ないですね、見たことある気はしますけど……」  嘘だ。本当は知りすぎるくらい知っている。  スマホの画面上、焦がれるようなセクシーな眼差しでこちらを見つめている男前――。  それこそ、敬の親友、夏城 隆文(なつしろ たかふみ)その人だった。
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