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みじかいはなし
小さな男の子に会う夢を見た。
迷子らしいが明確な足取りで進もうとする子供に付き合って町をさまよう。夢の出口が分からない天使は辺りを見回すが、それらしい標はない。
男の子は人見知りしないのか、天使の手を握って引っ張り回す。
「どこに行きたいの?」
「おにーさんがしってるとこだよ」
「家じゃないの?」
「そんなわけないでしょ」
無性に腹が立つ生意気なガキだ。天使は大人げないことを真剣に考えながらも、その手を振り払おうとはしない。
知らない場所のはずなのにどこか見覚えのある景色は、なにかを思い出せそうだった。死んで空っぽになったはずの頭が何かをささやいている気がする。天使は戸惑いながらも何となく、この夢が自分と無関係じゃないと知った。
そもそも自分は何のために夢の中に入ったのか。目的が思い出せないのに、このまま進めば何かわかる気がして離れられない。
「おにーさん、はぐれないでね」
男の子はどこか憎めなくて、知らない誰かに似ている気がした。
「お前、母さんは?」
「おかあさんはよくまいごになるから、ぼくがさきにいってあげなくちゃ」
「それは……お前の方が迷子なんじゃないか?」
なんとなく聞くと予想外の答えに瞬く。ちがうよ!とプリプリ怒りながら歩く子供は、しかし妙にしっかりした足取りで、今更ながらどこに向かってるのか気になった。
家に帰るんじゃないならどこに向かっているんだろう。
随分長いこと歩いたが、太陽の位置が変わった様子はない。今気づいたが雲もずっと静止しているようだ。
よそ見していると、次の曲がり角のカーブミラーがやけに目に入った。目が離せなくなった天使は男の子に引き摺られるようにそこへ近づいていく。急に脳みそが凍りついたようだった。
曲がり角の手前で男の子の手が離れたことも気づかず、足が勝手に進み交差点に踏み入れる。
次の瞬間には短く風を切る音が天使の身をすり抜けた。小さな交差点をすごいスピードで走り去った車は、あっという間に姿を消した。
「……君が目指してた場所って、ここ?」
「ちがうよ。もっとずっとさきのほう。」
錆びたブリキのようなギクシャクとした動きで振り返る。たが、かろうじて身体は動かせた。男の子は能面のような顔で天使の足元を見つめていた。
「ここにきたかったのは、おにーさんの方でしょ」
呆然と立ち尽くす天使に歩み寄って、男の子が手を差し出す。
「いこう、おにーさん」
天使は空っぽだと思っていたのに、急に目まぐるしく回転を始めた脳に振り回されていた。おぼろげにあった霞のような記憶が徐々に輪郭を取り戻していく。
すっかり生前を思い出した天使は、夢から覚めたような心地で男の子を見つめた。
「…いっくん?」
「なに?」
「俺……、俺の名前って、なに?」
「もー、おにーさんじぶんのなまえもわすれちゃったの?」
「りゅうちゃんはほんと、おっちょこちょいなんだからー」
楽しげに笑う子どもが、脳内で形作られた像と重なった。
「いこうよ、りゅうちゃん」
夕日を背に佇む幼馴染が笑う。差し出された手に震える手を出すとやさしく握られて泣きそうになる。
二人して沈まない夕日を見ながらゆっくりと歩いていく。
「いっくん、さっきの所でしんだの、俺なんだね」
「うん」
「ここはいっくんの、夢の中なんだね」
路地を抜けると踏切があった。そのまま進もうとする幼い手をぎゅっと握って引き留める。
「どうしたの?」
「…何で、いっくんそんな小さいの」
もうあれから十年は経つ。いくら記憶の中の幼馴染がこの姿とはいえ、実際はもっと成長してるはずだ。訝し気な俺に「りゅうちゃんのせいでしょ!」と剥れる。
「りゅうちゃんが、ぼくにあいたかったんでしょ!」
理由は分からないが、俺のせいらしい。
「…ごめん」
ぷりぷり怒るので謝ると、ふっと大人びた眼差しがおれを映した。
「…りゅうちゃんは、おっきくなったね」
真剣な眼差しが見た目通りではない精神を表してどきりとする。
「むかえに、きてくれたんだね」
夕日を背に、影が長く伸びる。あれだけ沈まなかった日が、もう少しで沈もうとしている。
「…そうだね」
ようやく絞り出した声はかすれて聞き取りずらかったが、記憶のままの幼馴染は小さく笑って、握っていた手からすっと自分の手を引き抜いた。
「ありがとう」
後ろ足をふみ出して踏切を超えた瞬間、ガタンガタンと音がして猛スピードで鉄の塊が走り去る。列車がいなくなった後は幼馴染の姿は跡形もなく消えていた。
喉にぐっと力を入れて泣くのを耐えていると、ふわりと体が浮き上がったような心地がして徐々に周囲の景色が崩れていく。
夢が終わったのだ。
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