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60・貴重なデートに水差すな!
それから一週間、俺は営業部での仕事を猛烈にこなす羽目になった。
「ほれ、お前の送別会やってやるから、いなくなる前に馬車馬のように働けー」
と課長が焼肉を目の前にちらつかせ、容赦無く仕事を押し付けてきたからだ。まあ変に気を遣われるより、その方が有難いかもしれない。
来週からは海外事業部の一員として合流し、八代さんの下で準備を進めていく。実際に現地に向かうのは来月に決まった。
やると決めた以上は八代さんの期待にしっかり応えたい。英語でほとんど通じるとは言われたが、ちょっと齧っただけの中国語を通勤の行き帰りに復習している。資料の読み込み、現地の状況や強化ポイントの把握、八代さんや他のメンバーと打ち合わせする機会も増えた。
カヲルさんと一緒に晩飯を食べる時間が減ってしまったが、その分週末の誕生日イベントは楽しんでもらえる一日にしよう、そう思ってはラッピングしたプレゼントに目を馳せた。
『明日、十一時に迎えに行きますね』
金曜日の夕方、カヲルさんにメッセージを送った。土曜日はランチをしてからカヲルさんが観たいと言っていた映画を観て、それからホテルにチェックインしてディナーの予定。完璧だ。
先週朝メシの後にそれを伝えた時のカヲルさんの喜び方といったら本当に可愛かった。
大袈裟に祝われたら恥ずかしいと言いながらも、食器を洗う俺の背中に『ありがとう』と抱きついてくるもんだから、出社前だというのに暴発しそうになって困ったという話はいつか望月にでもしてやろう。
カヲルさんのためなら残業も何のその、完璧に仕上げて帰宅した──翌朝。起きがけにスマホが鳴った。八代さんからだ。
(なんだろう、昨日の提案書に不備でもあったかな……参ったな)
急でなければ週明けにしてほしい、そんな気持ちでやむなく通話ボタンを押す。
『はい、洞木です』
『八代だ。休みのところすまん』
『大丈夫です。何かありましたか?』
『いや、さっき社長から連絡があってな。土曜日で悪いんだが緊急でメンバーを集めてミーティングを開きたいというんだ。社長もこれから海外出張で日本を不在にするから、今日しか空けられないそうなんだよ。洞木来れるか?』
『今日、ですか』
『午前中から始めて夕方までには終わらせる。社長はその後フライトがあるからな。望月に、他のメンバーにも連絡を取るよう頼んでいるところだ』
『分かりました。本社でいいですよね? すぐに行って望月のフォローをします』
『頼む、俺は資料のまとめをやる。社長が来たらすぐ始められるようにセッティングと、ああそうだ、あとweb会議の回線も繋げといてくれ』
『誰か、遠隔で参加されるんですか?』
『アメリカとドイツにいるアドバイザーに意見を貰いたいと社長が仰っている。二人とも時間を取ってくれるそうだ』
『分かりました、手配します』
『急で悪いな』
『いえ、八代さんこそお疲れ様です』
『中間管理職なんてこんなもんだ』
じゃ、頼むな。そう言って忙しなく通話が切れた。
夕方までには終わる、かぁ。まったく、そういうのは早めに言ってくれ……と社長を恨みつつ、カヲルさんに連絡を入れる。
『……はい、洞木君?』
『カヲルさん、すみません朝っぱらから』
『いえ、そろそろ支度をしようと思ってましたから』
『それなんですが……すみません! 今日の約束、夕方からにしてもらえないでしょうか?』
『え? あ、はい。私は大丈夫ですが……何かあったんですか?』
『実は急遽社長から招集がかかってしまって』
『例の件ですね?』
『そうなんです、社長のスケジュールの関係で今日しか時間が取れないと……』
『それは一大事ですよ、早く会社へ行ってください』
『……すみま、』
『すみませんは無しですよ、社長にいいところを見せてきて下さいね』
『はい、ありがとうございます。終わったら連絡します』
カヲルさんの後押しが何より嬉しかった。身支度を整え、頬をはたいて気合いを入れる。そうだ。男洞木清孝、良いところを見せてこないと。
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