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62・江坂教授からのクエスト
「改めて、はじめまして。洞木君」
モニターに柔和な笑顔が映し出される。
「江坂教授、そちらはもう朝ですよね?」
「夜中の三時に叩き起こされたからね。眠くて敵わないよ」
「本当にご協力ありがとうございました」
「いやいや、洞木君の質問が的確だったから私も勉強になりました。こちらこそありがとう」
教授だというのに謙虚な姿勢はさすがだが、あの時カヲルさんにも向けていたその笑顔は、眠くて敵わないと言いながらも大人の余裕が感じられて、カチンとくる。落ち着け、俺。
「会社の設備だから心苦しいな。でもせっかくのチャンスなので単刀直入に聞かせてもらいたいんだが」
江坂教授は笑顔を絶やさず言葉を続けた。
「洞木君、君はどんな手を使って羽生田を落としたんだい」
オレとカヲルさんが親しいことを知っているような口振りに、江坂教授の笑顔が怖いものに見えてきた。何を考えているのか分からない笑顔だ。
「どんな手、とは。何故それを僕に?」
「実はドイツに来ないかと羽生田に勧めたんだが、自分は日本に残ると聞かなくてね。彼にこの会社を推薦したのは私なんだが、ここまで固執するとは思わなかったよ。羽生田が手掛けた仕事の中に、殊更力を入れているものがあったので資料を見てみたら君の名前があった。もしかすると羽生田がこの会社に拘る理由は、君なんじゃないか、とね」
「いや、僕は何もしていません。確かに羽生田さんには仕事上でとてもお世話になっていますが、」
「仕事上で、かい?」
江坂教授が話の核心をついてきた、俺は思わず身構えた。
「仕事上、です。他に何か」
一瞬視線が交差し、互いの腹の探り合いが行われる。
先に視線を外したのは、江坂教授だった。ふ、と軽く微笑むと、「いやいや」と否定するように顔の前で手を振った。
「すまない、言い方が悪かったね。羽生田は……君も知っているかもしれないが、人付き合いの苦手なやつでね。独り立ちさせるのにだいぶ苦労したんだ。そんな彼が私の話を蹴ってまでこの仕事を続けたいのならそれに越したことはないんだが、心配でもある。まあ親心みたいなものかな」
──もし君が、羽生田の力になってくれているのなら、こんなに心強いことはないよ。これからも、よろしく頼みます。
江坂教授の本心は読めなかった。親心だと教授は言ったが、果たして本当にそうだろうか。だが今の俺にはそれ以上を探る術はなかった。
「いえ。僕の方こそ、江坂教授や羽生田さんにお力添え頂いたおかげで、新しい仕事にまい進できそうです。今後ともよろしくお願いします」
引き止めて悪かったね。
いえ、それでは失礼します。
表面上にこやかに会話を終えて回線を切ろうとしたその時、最後の最後で衝撃的な一言が降ってきた。
「羽生田は私にとって教え子以上に大事な存在なんだ、と言ったら、君はどう思うかな」
「……え、」
「ははは、冗談だよ、じゃ」
教授の笑い声を残して、映像はシャットダウンされた。
真っ暗になったディスプレイの奥をどんなに睨んでも、もう何も反応しない。
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