565人が本棚に入れています
本棚に追加
63・貴方と並んで見る景色
『終わりました。これからマンションへ向かいます』
カヲルさんにメッセージを送った後、家に戻りスーツのまま車を出した。私服に着替える時間も惜しい。ホテルでディナーだ、不自然ではないだろう。
江坂教授のあれは想定外だったがとにかく仕事は終わった。頭を切り替えて週末イベントを楽しもう。車を走らせながら、ともすれば気鬱になりそうな自分の心を奮い立たせる。
最後のあの言葉、あれは本気だったのか。江坂教授はカヲルさんのことを本当に、まさか……ああ、駄目だ。油断すればどす黒い感情が湧いてくる。頭を振って、あのいけすかない教授の顔を頭から追い出した。
『遅くなってすみません。今着きました』
マンションの前に車を停めてからもう一度メッセージを送り、身だしなみを整えて部屋に向かう。インターホンを押すとすぐにドアは開いた。玄関で待っていてくれたんだろう。
「お疲れ様でした」
柔和な笑顔が出迎えてくれた。清潔な色気のある匂いは、俺のどす黒い感情などいとも簡単に浄化してくれる。そうだ。俺はただカヲルさんのことだけを見て、カヲルさんの言葉だけを信じればいい。この人が、今の俺のすべてを形づくっている。
「すみません、お待たせしました」
さあ、楽しいデートの時間だ。
「洞木君、こんないいホテルを予約してくれたんですね」
「ご飯が美味しくてロケーションも良いところ、と思って探してたらここになりました。どうですかね、気に入ってもらえました?」
「気に入るも何も、……凄い」
ホテルにチェックインし、海に面した高層階のラグジュアリールームのドアを開けると、まず目に飛び込んできたのは、窓一面に広がる夕焼けと水平線のグラデーションだった。夜になれば煌めく夜景に変わるだろう。景色の美しさは俺の力ではないけど、誕生日祝いの彩りとなるならそれに越したことはない。
「綺麗ですね」
カヲルさんは荷物を置くと、少し興奮気味に窓辺に駆け寄った。無邪気なカヲルさんの姿を見られるだけで、俺は幸せで胸がいっぱいになる。
カヲルさんが振り返り俺を手招く。
二人並んで外の景色を眺めた。海沿いのホテル群に反射する夕陽の色、そこから先に広がる海の色、海に混ざっていく昼の色、やがて来る夜の色。
「一人でいることに理由を付けて、それが一番良いことなんだと思って生きてきました。洞木君と出会わなければ、こんな景色を見ることもなかった」
ありがとう。そう言って微笑むカヲルさんの横顔に西日が差し込んで、とても綺麗だと思った。
最初のコメントを投稿しよう!