第2話 「人類、半分死んでんじゃねえかああ!」

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第2話 「人類、半分死んでんじゃねえかああ!」

 扉の先には二十畳ほどの空間が広がっていた。向こうの方には木製の丸テーブルに四つの椅子が備わっているのを一括りに、それらが等間隔に並んでいる。向こうの方と表現したが、向こうの方とこちらの方には明確な境界線がある。こちらの方には大量の酒瓶が所狭しと寝かされていることから、明確な境界線というのがサービス提供者とサービス利用者、すなわち従業員と客を分け隔てる境界であることは明らかだった。  …………酒場、だろうか。今は閉店中なのか、客の姿は見えないし、店内は薄暗い。 「無事でよかった。俺は獣人のガラド。長い付き合いになる、と良いんだが……とにかくよろしく頼むよ」  僕と彼女をこの店へ招いた彼は、開口一番にこう告げた。右手を差し出し、握手を求める紳士気質の彼に対して、僕は確実に失礼にあたる秒数で、彼の頭から足先までを値踏みするようにしげしげと見た。見てしまった。でも、およそぶっ飛んだ人間でなければ、みな無意識のうちに僕と同じ行動をとるだろう。だって、全身がびっしりと体毛に覆われていたのだ。……いや、決して、決して人の身体的特徴に対して差別的な視線を送ったのではない。  びっしりと、というのも本当にびっしりの中でもかくやというようなびっしり加減で、顔や腕、両足に至るまで体中に狼のような動物的体毛が備わっていた。これこそ失礼であるが、飛びついてもふもふしたいという衝動に襲われた。  ……獣人、と言ったのか、この人は。そうか、それでは、やはり。ここは異世界なのか。  そう結論付けた途端、法定速度を遥かに超えたトラックが突撃してくる映像が脳裏に浮かんだ。…………そうだ、記憶が曖昧だったが、僕はトラックに轢かれて死んだのだった。死んでしまった、という事実は言うまでもなくショッキングなもので、何とも言えない重たいものに圧迫される感覚はあったが、しかしまあ、前世では嫌な思い出ばかりだったから、案外胸にストンと落ちる感覚もあった。僕の十五年の人生を、既に前世の二文字で処理してしまうくらいには。 「吉野晴太(よしのせいた)と申します。よろしくお願いします、ガラドさん」 「お、おう? おうよ!」 「お、驚かないの……?」 「え?」  震える声で問いかけたのは、赤髪の彼女。ひどく警戒した様子で僕を見ている。 「だ、だって、あなたも転生者、なんでしょう? ガラドの姿を見た人は、みんな驚いて逃げ出すもの。それか、恐い目をして、チートがどうとか、ハーレムがどうとか言って……」  ああ、そういう……。 「確かに僕も、そういう憧憬がなかったわけじゃないんだけど、というか、おしなべてそんな妄想ばかりに耽っていた人生だったけれど、でも」  あんな景色を見てしまった以上は。生物ではなく、モノと成り果てた人間を見てしまった以上、やれチートや、やれハーレムだなどと呑気に言っていられない。僕はつい先刻まで、壺や酒樽に激突してまわるというドタバタコメディを繰り広げていたわけだが、そんな辛うじて生まれた乾いた笑いすらも涸らしてしまう、一つの感覚が今も残っている。  ぬんめら、と。足が掬われそうになり、つんと姿勢が後傾した。明らかに壺や酒樽とは違うし、人間の血液とも違う異質な何かがあったのだ。赤髪の彼女に曳かれていたから、立ち止まってソレの正体を突き止めようとはしなかったけれど、振り返ると、やはりというか、そこには死体があった。かなりまとまったサイズ感だったから、子供というよりは赤ん坊という方が的を得ていた。判らない。一瞬だったから判らないけれど、今でも、その稚児の頭部が二つに割れていたように思えて仕方ないのだ。とすれば、ぬんめらとしたソレは、稚児の内部から外部へと飛散したモノであるという推論を否定することは、出来ない。急速に溜飲がせりあがってきて、反射的に口をくわっと開いた。 「ひっ!」  これは激しく上昇する胃酸に嗚咽して生理的に漏れ出てしまった僕の声ではなく、そんな僕を見た赤髪の彼女の悲鳴である。やばい、本格的に吐き気がする。 「ご、ごめんなさっ! き、急に、怖い顔、するから……、い、いやっ怖い顔じゃなくて――」 「――オエエエエエエェェ‼」 「ひいいいぃぃぃ‼」  豪快に吐いた。僕も、彼女も。 「だ、大丈夫かよ」  ガラドさんが僕の背中をさすりながら言う。綺麗に整った毛が背中を撫でて、シャツ越しでも気持ちいい。 「…………大丈夫です。すみません、汚してしまって。しかし、あの光景は、一体」 「ああ、そのことについて、語らなければならないね……」  伏し目がちに言う。それから彼は、「落ち着いて聞いてほしい、そして間違っても、疑心暗鬼になってここから出ていってはいけない」という大仰な口上を述べてから、僕に告げた。この世界の、大仰な真実を。 「転生者、と名乗る人族の方が十日前から出現していてね。それもとめどなく、大量に、世界中に、さ。その数があまりに多いってんで、今じゃ世界中の国々が一蓮托生となって転生者狩り、という騒ぎになった。いや、これはもうそんな次元の話じゃない。世界的大粛清、だよ」 「……………………馬鹿な」 「すぐに信じられるとは思っていない。ただし、ここから飛び出してはいけないよ。さもないと、キミが次に出会うのは獣人ではなく本物のケダモノということになる」  ここが異世界だと判明したときから違和感は持っていた。路上に死体が転がっているなんて有事下であるとしか考えようがないが、どういうわけか、倒れている人はみな人間、すなわち人族だったのだ。  前世でコツコツと培ってきた異世界常識をどこまでこの世界に当てはめてよいのかは不明だが、僕の知っている異世界は、ガラドさん然り、多様性だ何だと議論されるまでもなく、様々な種族が共存しているものだ。ゴブリンや、オーク、ドラゴンといったモンスター系は除外するにしても、獣人、エルフ、ドワーフ、数えだしたらキリがない。様々な種族が共存しているのだから、戦時中においては、むしろ様々な種族が共滅している方が道理にかなっているはずなのだ。しかし、あの現場にはそれがなかった。  なにも、彼らはみな同じ風貌だったわけではない。年齢も性別も人種さえもバラバラで、多様性の宝庫のような存在だが、しかし、彼らは一括りに人間だった。人間で、人族で、異世界転生者で、異端者だった。故に、大量虐殺。 「…………現在の犠牲者は、何人ですか」  真っ先に尋ねるべきは、これじゃないかもしれない。しかし規模感が不明すぎる。元来、異世界転生とは一人で孤独に行うものではないのか。幼馴染くらいなら巻き沿いで転生することは往々にしてあるのかもしれない。しかしどれだけ増えても、クラス転生くらいの規模に抑えるべきだろう。言うまでもなく、キャラの書き分けができないからである。  僕の問いに、ガラドさんはその曇らせていた目をより一層、乱層雲のように曇りに曇らせた。そんな彼を斟酌(しんしゃく)してか、赤髪の彼女がおもむろに口を開いた。ものすごく体をわなわなさせながら。 「四十五憶人です」 「…………はい?」 「よ、よよよん」 「…………」 「よんじゅ、ごうく、にん……」 「…………」 「で、ですっ!」 「…………」 「あ、あのう、晴太さん?」 「…………なんというか、僕とあなたはまだ自己紹介も済ませていない間柄だからこんな風に思われても迷惑かもしれないけれど、あの路地裏から連れ出してくれたあなたのことを、僕は命の恩人のように感じている。そんな人に不撓不屈の精神で真正面から嘘をつかれてしまうと心がすさんでしまうのだけれど、しかし僕は仮にも異世界転生者だから、難聴系主人公として覚醒してしまっている可能性があるから、もう一度だけ、聞き直す許可が欲しい。現在の犠牲者は、何人だろうか」 「だだだからっ、四十五億人、っですうう!」  すんごい怒鳴られた。難聴系とて限度があると言わんばかりに。うーん、どうしよう。これでは完全にイジメの構図である。連載二話目にして一定の好感度を得ている主人公などそうもいないだろうから、嫌われる勇気を遺憾なく発揮して再度詰問するのも一つの選択肢かもしれない。嫌われたくはないけれど、うーん、だってこのままじゃあ、世界が滅んでるし。異世界転生したら人類滅亡してましたなんて、需要がなさすぎる。田舎のスローライフはどこへ行ったのだ。なにがどうなったら路地裏で戦争することになるのだ。しかし半端に嫌われてしまって、こんなに素朴そうな彼女から長期的に陰湿な嫌がらせを受けることだけは避けたいとも思ったので、いっそのこと憎まれ口を叩いてやることにした。突き抜けた悪意は立派なボケとして成立する。 「おいおいお嬢ちゃん、キミが臆病なのは分かったけれど、なにもドジっ子属性まで披露する必要はない。キミは数字を数え間違えるどころか、桁を間違えてるぜ。それも八桁だ」 「ど、どなたのモノマネをしているのかわかりかねますが、間違えていません」 「…………と、とか言っちゃって、ドッキリ大成功ー、みたいな」 「し、しつこいですよ」 「…………………………………………じゃ、じゃあ、マジで」  マジで。聞き間違いでも数え間違いでもなくマジのマジの大マジで。 「人類、半分死んでんじゃねえかあああああああああああ‼」  ――こうして僕の異世界転生物語が幕を開けた。まったく、その場のノリでプロットを完成させてしまうからこうなるのである。チートもハーレムもスローライフもないし、人類は思いっきり粛清されているし、もう無茶苦茶である。しかし、何より末恐ろしいのが、こんなのは軽いジャブに過ぎないということである。真に恐ろしく、真に無茶苦茶なが登場するのは、ここから半年後のことであった。
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