第4話 「――――ふむ、やはり衰えたな」

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第4話 「――――ふむ、やはり衰えたな」

ゴブリン二百九十九体の山というのは絵面として中々のインパクトがある。一体どこから湧いてくるのかは不明だが、方々からやってきたゴブリンは、彼女の横に積み上げられた薄汚い緑に目をぎょっとさせる。踵を返したときにはもう遅い。背後には既に凶刃が、赤白いぴかぴかが迫っているのだ。ぐええとかひょええとか思い思いの遺言を遺し、彼は見事三百番目の緑色のぐちゃぐちゃと化した。  三時間は経っただろうか。空はぼんやりと赤紫に染まっていて、熱を帯びた夕焼けが草原を焼いている。空は綺麗だ。異世界であろうと、人類が滅亡していようと、たぶん、宇宙だけは変わらない。宇宙にだけは、適わない。そんな風に思っていると、一際巨大な積乱雲が目に入った。 「なんだあれ、でっけえー」 「よく人が死闘を繰り広げている横で悠々自適と寝ていられるね」 「いーからいーから。ほら、あの雲」 「なによえらそ、う……に、」 「ん、どーした」  三秒。彼女の決断は早かった。一秒でその巨大雲が何たるかを理解し、二秒で僕の方を向き直し、三秒で僕の手を取って走り出した。かつての路地裏のときと同じ速度、同じ緊張で。 「お、おい! どうしたんだよ!」 「逃げるの!」  逃げる? 逃げるって何から。まさか、雲から? 「お、ちょ、ゴブリンは⁉ ゴブリンはどうすんだよ!」 「どうでもいいよそんなの! あの雲、竜雲だよ⁉」 「なんだそれ、天空の城でもあるのか」 「はあ⁉ もうほんと意味わかんない! 竜雲って言葉からわかるでしょ⁉」  竜雲。竜の、雲。それから何かが現れるとしたら。個人的には天空の城が現れてほしいところではあるが、そうでないとしたら。竜雲から現れるべきは、やはり。  ――――刹那、耳を(つんざ)く轟音。花火が打ちあがる音、飛行機が飛び立つ音、ロケットが打ちあがる音、たぶん、元の世界で存在し得るどんな音よりも、その音は大きかった。音は空気の振動だということがよく分かる。立っていられないのだ。地に膝をついて、耳を塞いでいるという実感だけが、あまりのショックにポックリ逝ってしまったのではないかという疑念を払拭してくれる。僕も彼女もさながら台風に身を曝された草木のように、二人でしなっていた。いや、台風よりも正確な比喩があるとすれば、やはり、それは竜巻である。その轟音が一生物の鳴き声に、咆哮に過ぎないことに気付くまで、僕は実に二十秒の時間を要した。 「う、嘘だろ…………⁉」  巨大積乱雲は霧消し、代わりにそこに居たのはまさしく怪物だった。夕陽を燦々と浴び、天に(たけ)る翼の生えた大蛇(おろち)。天すら喰らわんとするその威光は、それはもう決まりに決まっていて、人類が有史より夢想した神話上の生物、ドラゴンそのものだったのだが、こうして見下ろされてしまうと失禁ものである。  竜王ロード。ガラドさんがそう言っていた。この世界には竜を統べる竜、竜の中の王がいる、と。少年心を鷲掴みにしてそのまま悶死させてしまいそうなその語感に僕が興奮して鼻から血を噴いて倒れてしまったのは語るまでもない。……が、それを前にして僕が感じたのは圧倒的な恐怖、無力感である。  東京ドーム何個分、なんで比喩は田舎者出身の僕に出来ようもないが、しかし強いて言うならば、富士山のテッペンで悠々とその巨大な両翼を休めている飛竜を想像してみてほしい。ドームなんて人間が創造した程度のモノで、あれの規模を推量することの無謀さがよく分かるだろう。あれはおよそ人間がどうこうできる範囲を超越している。巨大すぎる積乱雲、標高三千メートルの山、もはやそういう天変地異の産物、天災なのだ。 「逃げるぞヘンリ!」 「いいえ晴太君。あたしたちはここで散る定めなのですよ。祈りましょう。せめて、せめて一思いに死ねることをぉぉ……」 「さ、悟ってんじゃねえええ!」  両腕を天に突き上げて滂沱(ぼうだ)の涙を流すヘンリ。なんて諦めの良い奴!   ごおう、と。そいつはまるで欠伸でもするかのように、ここら一体の大気を吸い込み始めた。陽にあてられ照り映えている紫雲、霧消しきらないで漂っていた竜雲の欠片達が一斉にそいつの大牙の隙間へと消えていき、辺りはそれこそ竜巻が過ぎ去った後のように快晴になる。綺麗だ。あまりの美しさとカッコ良さにそんな風に思ってしまったのだが。 「……………………おい、アイツ、何しようとしてる?」 「火を噴こうとしてますね。あたし達を睨みながら」 「んなアホな‼」  カッコ良すぎる! ……じゃなくて死ぬ! 絶対死ぬ! 僕たちに何の恨みがあるってんだ!   竜王の大口の辺りが陽炎(かげろう)となって屈折している。噴出された高熱が火になって、炎になったことに気付いたときには、既にゴブリン三百体の山の頂上は赤い塵になっていた。 「ヘンリッ!」  死んだ。間違いなく死んだ。結局のところ、異世界なんか死後の世界のようなものに過ぎなくて、神様が最期にいい夢を見させてくれただけなのかもしれない。地球人がみんなしてこの世界に迷い込んでしまったのは、きっと宇宙人とかが侵略してきて、みんな仲良く死んだからだ。ああ、本当に、良いことなんて一つもない前世だったけれど、生きる意味も死ぬ意味も見いだせない前世だったけれど、どうせ夢なら、どうせボーナスステージなら、僕は彼女と、もっと、色んな話を…………。 「――――ふむ、やはり衰えたな」  低く(しゃが)れた声。轟々という音の中から、その声は聞こえた。草、花、虫、魔物、ありとあらゆる生命力を焼いて灼熱地獄を形成している大地の上に、彼は飄々(ひょうひょう)と立っていた。 「老いには適わんよ、なあ晴太」  後から聞いた話である。  彼は、かつて異世界一の剣豪として竜王ロードと幾度と剣を交えた老狼。  彼の名は、剣聖ガラド。
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